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今の世の中を憂う

あー、気持ち悪い。

なんだ、この今の世の中は。

保守政権が長く続く弊害か。

日本人、東アジア人の持つ本質的な特徴か。

そこを刺激されると先導されやすい人種だから、歴史を振り返ると、そして他の東アジア国家では今でも、社会に階層を設け、強い権限、権力で社会をコントロールする仕組みが設けられる。

日本においては、時に沸き起こる大衆迎合主義的な大きな動きを、社会をコントロールする政治の主体を保守が担うことで抑え、東アジアに導入可能な独自の民主主義の形を作り上げたものの、アラブの春を蜂起させた、SNSという大衆煽動しやすいツールの国民への浸透により、大衆を思想統制し、社会転覆を目指す、革新的な思想が、基本的な思考として根付きつつある。

そして、それが一事象、時には国家運営にも影響を与える状況になりつつあるから、嫌悪感を通り越して、今の懸念、将来への恐れに変わりつつある。


ここ最近起きた多くの事件・問題と呼ばれるものが、同じ経路をたどっていることに気付く。

社会を、仕組みをより改善するための建設的な議論が行われず、感情のはけ口のように、個の責任を糾弾し続け、相手の首を取ることばかりに執着するのか。

それは、ここ最近起きた事件の全てから感じてきたこと。貴乃花親方、サッカー日本代表監督のハリルホジッチ、日本レスリング協会の栄和人、森友・加計等々。

なぜ、単なる組織内の政治闘争に、ここまで世間が介入するのか、内情も分からず、何が正義かも判断できないものが、反対勢力者に安易に加担し、組織内で判断すべき結論を歪めることの責任に思いが至らないのか。一億総裁判官気取りで、自分勝手な正義をかざし、出る杭をたたく、人の人生を貶めることを喜々とする、いつもの国民性が大きく出ているのか、いや、江戸時代に制度化された5人組制度、卑しき相互監視社会を受け入れるこの国の国民の性質が、匿名性の高いネット社会で解き放たれたのか、等々考えていたのだが、ようやく一つの解にたどり着く。

今起きている事象、国会での議論、マスコミの報道(自らの作り上げたストーリー通りの発言が得られなければ、記者会見をもっても、真相は今回も解明しませんでしたが発言する厚顔振りは相変わらず)、ネット世論、このつるし上げは、日本赤軍の総括、中国・文化大革命の自己批判、そのものではなないかと。

アメリカ大統領選でロシアが情報操作を行ったように、この日本の世論を、日本人の根底に持つ感情を刺激する形で、SNSという大衆煽動しやすい手法により、コントロールしようとする動き。それが「インターネット上では」という大きなうねりになった後では、それが発生した原因が究明されることはなく、マスコミ報道による拡散により、一つの国民世論として形作られる。

そうして、少なくともこの国の利益のためではなく、この国家をコントロールしたい人たちがいることを忘れてはならない。

こうした認識で見ると、日本におけるSNSの野放図、それが世論を形成する現状、この仕組みが非常に危険で、それをコントロールする仕組みが必要なことが見えてくる。

本来これらの問題は、日本の仕組みを変える必要があるようなものは、飛行機事故における検証と同様、関係者の責任は一切問わない、その代わりに現状、問題点を洗いざらい表に出し、その上で、同じ問題が起きないためにどのような方法が望ましいかを検討し、そして、これからの仕組みを作っていくべきこと。

なんでもかんでも責任ばかり問う、この異常な社会が、個人を、組織を守るために、物事の本質を隠し続けざるを得ない状況を作っている。本来問うべきは、個人の、組織の責任ではない。今の仕組み、システムの問題点であるべきだ。

ただ、物事の本質の改善を望まず、政治闘争としての個人、組織の糾弾を目的としている輩が今物事を動かしているのだから、この状況が当面変わらないことは仕方ないとしても、そうした人たちが裏にいることだけは、これからも様々に起きる問題を前にしても、認識しておく必要があることだろう。


余談として、ハリルホジッチ解任は、単に日本人のコミュニケーション能力のなさ、面従腹背を許容する精神、赤穂浪士を崇拝する思考、つまり、意見の異なる相手に自分の主張を述べることなく、その立場を保身するために相手に迎合し、相手が弱った一瞬に首を取りに行き、それが正義と賞賛される世界の常識から外れた国民性なのだから、この解任にハリル戸惑いを覚えるのは当然で、その怒りに対しては、ひたすら謝るしかないはずなのだけど。外国、特に様々な人種で社会が構成され、異なる価値観の中でお互いに話し合いながら仕組みを作り上げていく欧米社会では、発言しないことは容認していることを意味し、自分の意見を示さないそうした人間が評価されることはない。その思想に合わなければ、そこを出て行けばいいだけのこと。裏から手を回した、汚い日本的手法を使う日本代表2名が、W杯代表から外されることがせめてもの日本人の美徳を表す機会かと思っていたけど、彼の出来事は過去のものとされ、主力として出場するというのだから、はや今代表には興味さえ失いつつあるところだけど。
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女性専用車両問題に思う

最近は女性専用車両問題が話題になったのだけど、相変わらず論点のずれた議論をしているなとあきれながら見る。

内容は、女性専用車両に抗議するため、同車両内に居座った男性客を批判するもので、女性アナウンサーからも、痴漢被害の状況から、女性専用車両の必要性を訴えるというもの。


この国の性差別の根幹は、男性が社会システムを作る仕組みの中で、男性だけで女性保護を考えることにある。有識者と言われる日本の知識階級の発想は相も変わらず、全ての女性を弱者に位置づけた上で、男性はそのために生じる不利益は我慢すればいいという、「男は弱い女を守るもの」という偏見に満ちた前近代的なもの。そして、過剰に保護される恩恵を、女性は当然の権利として享受し、この仕組みこそが女性の権益の最大化につながるとばかりに、影響力の大きい団体はさらなる要求を突きつけながらも、その仕組み自体を批判することはない。

性別による差別を許さないという本来あるべき思想がなく、男性は男性主体の仕組み作りを正当化する手段として、女性は利己的な権益拡大のための手段として、都合のいい方便として利用し、結果、世界的にも先進的な女性優遇社会ができ、体制側と圧力団体でお互いの利益の最大化が図られているということだけの、ご都合主義のシステム。

結果、その弊害を受けるのが、その歪んだシステムの中で日常生活を送ることになる男性ということになる。

いまさら、その歪んだ仕組みを列挙することもないだろうけど、離婚後の子供の親権問題では、国際的にも子供の連れ去りとしてハーグ条約違反と問題視されるように、本来、親の関係性にかかわらず、それぞれの親が当然に持つべき子供を育て、会う権利でさえ、日本社会の特殊性という意味の分からない理由により男性裁判官が、面会さえ女性の判断に委ねるような、一方的な女性有利の判断を下す。痴漢のえん罪発生や売春防止法しかり、男性視線で作った、男性だけを律するための仕組みがあらゆるところに存在している。

思想的に平等主義の人たちならば、そうした性別による過剰な保護や、一方的な制裁を、逆差別だと憤るべきだが、そのような声が上がることはない。マスコミのコメンテーターは、世間受けがいいように(世間から批判されないように)、さらに男性側に厳しい罰則を求め、女性はまだまだ優遇が足りないと、さらなる要求を求める。

所詮は、こうした人たちが、世論をコントロールしようとしているんだから、日本の社会システムなど変わるわけがない。


今回の女性専用車両の占拠は、男性による、そうした歪んだ仕組みに対する抗議で、異常者の行動として目をそらすのではなく、本来、問題の本質を深く追求すべきこと。どうして、通勤時間帯の満員電車の中に男性が押し込められる中、女性はスペースに余裕のある専用車両で優遇されるのか。どうして、男性のみに乗車車両の制限が設けられるのか。当たり前のことだけど、男性は痴漢する可能性が高いから、全ての男性を排除するという方法は、法の下の平等をうたう憲法に違反し、許されない。


この問題の本質は、なぜ、痴漢の誘惑に駆られるような環境を、鉄道事業者が提供しているのかということに尽きる。

なくした財布が戻ってくることや、自動販売機が壊されないこと、災害時に盗難が発生しないことなど、自分を律する行動を世界で賞賛されることもある日本だが、その根本には、身近には近所の目(村社会)、最近では防犯カメラや万引きGメン等の仕組み、大きくは信頼性の高い警察システムにより、それを許さない社会システムを構築していることがある。そのため、社会システム自体が一時的に崩壊した東日本大震災下の東北地方では、避難者住居や立入禁止区域住居で多くの盗難が発生し、世界と変わらない状況、そして、日本社会の安全・安心が社会システムにより構築されていることを明らかにした。

それは当たり前のことで、本来、自己欲求最大化のためにエゴとエゴがぶつかる人間同士が協調して生きていくために作られた仕組みが社会であり、それをコントロールする方法が法律であり、その実現の手段が社会システムなのだから。

まず、法律に違反するような犯罪が起こらないためのシステムを作る必要があり、その犯罪が起きた際には、犯罪を犯した人を一律に責めるのではなく、システムとして問題がなかったのか、その犯罪が起きないためにどうすべきかを考え、常にシステムを改善していく必要がある。例えば、スーパーに店員も、防犯カメラも置かず、万引きの誘惑に駆られるような環境を作ることや、試験会場で試験官が読書にふけり、監視の雰囲気を作らないこと等々、そこで起きた犯罪や違反行為以上に、人間の弱さを誘引する環境を提供したことも責められるべきことだから。

そうしたとき、全く身動きが取れず、あらゆる行為を誰からも咎められる可能性が低い、乗車率100%を超える満員電車の環境を提供されていることを、当然の前提として捉えていいのかということになる。

まず責めるべきは、鉄道事業者であり、鉄道事業者は犯罪が起きる環境を提供していることを真摯に受け止め、自治体とも一体となり、その対策を検討すべきである。

道路網では当然のように求められるハード・ソフトの整備が、さらに環境の悪い状況が数十年と続く鉄道網では当然のこととして受け止められ、十分な事業収益を上げながら、鉄道事業者の不作為を許容している現実。さらに、地方公共交通機関のような赤字路線の維持のための必要収益の確保とは状況が違う、大手私鉄をはじめ上場企業が居並ぶ環境であることも認識しておく必要がある。

【全体】
○ 輸送許容量に対応可能な範囲内でのまちづくり(居住環境の整備)
○ 混雑時の乗車率100%以内を実現する鉄道網の整備(ハード整備)
○ ハード整備と合わせた、まちづくりをコントロールする仕組みや乗車率100%以内実現に向けた対策(ソフト対策)

【ハード整備】
○ 新規の鉄道網の敷設
○ バスも含めた公共交通機関全体での輸送網の整備

【ソフト対策】
○ 定期券の発行制限
・ 目標乗車率実現に向けた乗車人数のコントロール。定期券発行数を制限するとともに、割引率の高い法人定期券制度を導入し、個別企業には割り当て。輸送許容量を超える沿線では発行を制限し、企業の移転促進や新規立地を制限。長期的には、企業や人口の地方移転を促す。
※発想はアメリカの高速道路EV専用車線や、中国の自動車ナンバー発行枚数制限、ナンバーによる自動車運転可能日制限等々と同じ。社会システムの円滑の運用ためには、個人の権利が一定程度制限されることは受け入れるべき
※全ての利用者が乗車できるように、運行本数を限界まで上げる、スピードをあげる、車両に全員乗れるように押し込むという発想を変え、安全・安心で快適な乗車環境の提供という原点に戻る。そうしないのであれば、痴漢被害、窃盗被害は、環境提供した鉄道事業者が民事訴訟において主たる責任を負うことを明確にする

○ 定期券の利用時間帯制限
・ 法人定期券については、朝・夕方の混雑時間帯について、利用時間帯を設定。利用時間帯ごとの発行上限を設け、同じ時間帯での更新を前提とする。

○ 公共交通機関全体でのコントロール
・ 定期券割り当てに関しては、鉄道、バス等全体でコントロールする。
※全体管理はコストがかかりすぎるため、システムに企業が合わせることは許容する。システムの不便さから、企業や人口の地方移転を促す。

○ 専用車両の導入
・ 乗車率50%未満等のゆとりある環境を求める乗客用に、追加料金で乗車人員を制限する専用車両を用意する。定期券利用者は対象外(追加料金負担でも利用不可)、利用希望時は別途チケット購入。専用車両には乗務員を配置し、乗車時の確認、車両運行の安全確保、乗り換え案内等のコンシェルジェサービス(英語対応)を提供する。
※追加料金は距離にかかわらず500円等。目標乗車率達成の需要動向や乗務員人件費を踏まえて価格設定

○ その他
・ 過去の痴漢被害で男性恐怖症となり、男性と同乗したくない人は別の問題なので、鉄道事業者で治療費等負担することで対応。


等々と、とりあえず目指すべきシステムに変わりうる仕組みを、思いつくままに列挙。

こういうことは、まちづくりと鉄道事業者の専門家、利用者が、よりよい合理的で、効果的な社会システム改善のために検討すべきことで、女性保護などという配慮すべき一課題を、問題の本質に置き換えるから、誤った方向の議論がなされ、感情論からそれに反対する雰囲気がなくなり、いつの間にかなんとなくの空気でそれが制度として成立してしまう。

それは、責任を逃れる日本人の特質で、和を乱さずに合意に至ることを調整と勘違いし、声の大きな人に迎合して結論に至る、結果的にそのシステムを利用する大多数の人たちに不合理を押しつけ、数十年に及ぶ多大な社会的損失を発生させ、大きくは国力、国際競争力さえ低下させ、将来に取り返しのつかないつけを残す。

結局、医療も、年金も、少子高齢者化も、今問題といわれている多くのことが、過去のこうして作られた世論の風潮に影響を受けた、政治をはじめとする当時の判断の結果にいきつく。

現状が当たり前ではなく、物事の本質を捉え、本来はどうあるべきかを論じるべきではないのか。スケープゴートを作り、問題の本質をずらそうとする思惑まみれの報道、そしてそうした情報をもとに、所詮は上辺の感情的な批評に終始するネット。新たなシステムの変革が起きながらも、十数年前から、この国の社会は何も変わっていないのだなと情けなくなるばかりで。

マラソンシーズン終了

先日、目標としてきた大会を走りきり、今シーズンのマラソンを終了。

9月から練習を開始し、防府市の幸せますマラソン(14.6km)をステップに、萩市の城下町マラソン(ハーフ)はエントリー忘れで久々に欠場するも、年末から一気に追い込みを開始し、レース距離5kmを目標スピードで走りきれるよう、半年間に及ぶ練習で体を作り上げていく。

ただ振り返れば、練習量を増やし、負荷をかければタイムが上がり、2月中旬にはきっちりと体が仕上がる、というこれまでの経験則が通じなかったのが、今シーズンのマラソンだったけど。


雨の日以外はほぼ毎日練習し、週末には10kmの長距離と400mダッシュのスピード走、平日は深夜に3km走のタイムトライアルと、しっかりと追い込むのだけど、平均ラップが1km4分を切れず、かつ、3kmを超えるとスピードが一気に落ち、いつまでたっても5kmを走りきれる体に仕上がらない。

1月中旬からは、毎週末、本番コースに試走に行くも、これまでのように、練習回を重ねるごとにタイムが大きく短縮する状況にはならず、最後まで1km4分ペースを切ることができずに本番を迎える。

そして結果は、5kmを19分20秒で、1km3分52秒ペースと、なんとか4分/km切りを果たす。


最低1km3分50秒切りを目標に、それを達成するだけの十分な練習はしてきたはずなのに、本番でのタイムアップも目標までは届かず。5km以下のマラソン大会で1km3分50秒を切れなかったのは、マラソン大会に初めて出場し、計画的な練習方法も知らず、シューズへのこだわりもなかった17,8年前以来のこと。

いつも通りの練習負荷をかけ、スケジュールを逆算して仕上げながらのこの結果に、年齢面による影響しか考えられず、今後は、練習方法自体を見直す必要がある。今回も、あまりにも伸びないタイムに、様々に葛藤し、練習方法も工夫したのだけど、抜本的な見直しを研究していきたい。

年齢を重ねれば、体力も、瞬発力も、心肺機能も落ちるのは当たり前なのだけど、自分よりも年配の人たちが、とても手の届かないレベルで走り続けていることを思えば、それを言い訳にするのはまだ早い。とはいえ、マラソンに人生を捧げるつもりはさらさらないから、できるだけ練習量を増やさず、効率的に速くなる方法を見つけていきたいところ。

そして、マラソン練習をしながら、つくづく実感したのが、今年の冬の寒さ。1月中旬から2月上旬にかけては、22時を過ぎて帰宅する頃には、車載温度計がマイナス2度を表示する日が何度あったか。その寒さの中にあって、追い込み時期は、足の可動域を広げるために短パンで走ったりするのだから、気持ちが高ぶっているとはいえ、まさに震えながらの練習に。


振り返れば、毎日どうすれば記録が伸びるのかと悩みの日々だったのだけど、自分と向き合ういい機会になり、選択肢として短い距離を選ぶこともできたのだけど、逃げずに、そして、諦めずに自分を追い込む努力を続けたことには、結果としての記録以上に満足していること。

何事もそうなのだけど、結局、自分から逃げること、楽をすることを選ぶと、いつまでも大きな後悔を背負うことになる。あのときああしておけばと思うくらいなら、考え得るベストの方法で、今の全力を傾ける。そこで思い描く結果が得られなくても、その次に、もっと前向きな一歩を踏み出すことができるから。

今日の練習が、必ず自分の力になる。今日一日さぼれば、必ず本番で後悔する。ただそれだけが、深夜、極寒の中での練習のモチベーションだったものだから。

二十歳の旅人に

何かと話題に上った、今年の成人式。これまでマスコミで扱われるのは、荒れる式典の状況一辺倒だったのに、「はれのひ」問題を機に、いかに新成人にとって、成人式が重要なイベントなのかということがクローズアップされ、それはそれで、一般の人々にとって、今の若い人たちの感覚を知るいい機会になったのではないかと思う。

とかく、物事の一面に過ぎない些細な出来事を切り取り、誇張し、いわゆるニュース性のある内容に仕立て上げ、各局が同じ内容を繰り返し報道するものだから、その大局を知る者から見ればいかに報道が真実を捻じ曲げ、編集という名のねつ造を繰り広げているかとマスコミへの不信を募らせ、その情報を持たない者から見れば、いかに現在の社会が問題を抱えているかと印象操作の織り込まれた虚位ニュースを信じ、社会や政治への不信につなげているのが現状。

そうした中、アクシデント的な事件が起きることで、情報の受け手がこれまでのマスコミ報道に何かしらの違和感を覚えることは、この先の小さな変化につながるきっかけの一つになるのではと期待したくなる。


世の中の大半を構成するのは、真っ当に勉学に励み、社会の一員として働き、給与を稼ぎ、家族を養い、欲しいものを購入し、ときに旅行にも出かけ、そうした人生を楽しむ、いわゆる普通の人々。だからこそ、真面目に働き、地域社会の構成員として地域・国家に貢献する、そうした人たちを中心に置いた政治・行政がまずは行われるべきで、そうした施策の基本は、家族とともに豊かな暮らしが可能な十分な所得と時間が得られる中間所得層を育て、その厚みをできるだけ大きくすることを目指すべき。そして、それを基本とした上で、そこで生まれる余力を、社会保障等において、最低限の生活を保証する原資として活用するのが、本来のあるべき姿だろう。

そうした、これからの社会の中核を担うべき人たちの門出において、脚光を浴びるべきはをこれからの社会の一翼を担う普通の人々であり、そうした人たちの(少し肩に力の入った)将来への抱負を聞き、既に社会を構成する人たち、既に社会を卒業しようとする人たちに日本の未来への安心、期待を抱かせる、そうした儀式としてあるべきではないかと思う。

そうした意味で、成人式を晴れの舞台として、素直に成人式に出たいと思っている、そういう普通の人たちが脚光を浴びたことで、新成人にとっては、今でも社会に出る一つのけじめの儀式として意義のあるものなのだと、単なる若者がはしゃぐための同窓会の機会を作るために、行政が市民の税金を無駄使いしているというこれまでの批判も少しは和らぐのではと思うところ。


思えば20年前の成人式、大学2年度の単位取得の最難関と目された刑法の後期試験を2日後に控え、早々に成人式の出席をやめることを決断、駅前マックで試験勉強に集中する一日を過ごす。そもそも、実質的に社会の一員になることを示す元服などの儀式と違い、現代社会により作られた形式的な行政主催のイベントにさして興味がなく、同窓会も行けば行ったでおもしろかっただろうけど優先順位は低く、それよりも目の前の壁に全力を尽くすことを優先した当時の判断は、自分らしいなとこの時期が来ると振り返ったりする。

男性と女性でその捉え方も違うのだろうし、昨今のSNS活況の裏にあると言われる他人に認められたいという承認欲求や自己顕示欲を強く持つ若者たちが増えていると言われる状況などを踏まえると、今回の騒動もまた違った見方ができると思っていたりするのだけど。

山口ならば、「ふが悪い(運が悪い)」の一言で済まされてしまいそうだけど、まあ、様々な要因が複雑に絡み合い自分の思い通りにいかないことが社会には多くあり、そうした経験を積むことで、同じような場面に出くわしても、事前に察知し、知恵を絞り、自ら行動し、周りの人も動かし、そうしたことを避け、さらにいい結果を出せるようになってくるものだから、今回は、いい流れにない中で起こった仕方のないことだと受け入れることも、これからの流れを良くするための一つの方法だと思ったりする。そう、人生後十年もすれば、この騒動を振り返ったときに、単に社会の、一業者の責任だけではなく、自分に足りなかったこと、どういう選択肢があったのかということ、どういう行動がとりえたのかということ、今の悔しさもいい思い出として懐かしさに置き換わり、そうした成長も感じられることだろうから。


・・・・・・・・・・・
さて、本題。成人の日に日経新聞に掲載されたサントリー広告が印象的で、最後に伊集院静の名前を見て納得。そうそう、最近読んだ彼の本「悩むなら、旅に出よ」と同じ感性で心に響いてきたものだから。

「独りで、旅に出なさい」

二十歳、成人おめでとう。
今日から大人と呼ばれても、ピントは来ないだろう。私もそうだった。
今、君は自分がどんな大人になるのか想像もつかないだろう。
どうしたら君の、自分なりの大人の姿が見えるだろうか。
そのためには、いろんなものを自分の目で見て、さまざまな人と出逢うことだ。
私の提案は、旅だ。それも若い時に、独りで旅に出ることだ。
日本でも、海外でもかまわない。一番安いチケットを買いなさい。金がなければ、
君の足で歩き出せ。自分の足で見知らぬ土地を歩き、自分の目で、手で、肌で
世界に触れることだ。
どんな人がどんなふうに生きているかを見ることだ
インターネット、テレビ、新聞、書物で知る世界とはまったく違う世界だ。
世界は君が考えているより広く、大きく、豊かで、また切なく、貧しくもある。
独り旅はまず、自分がまだ何者でもないことを教えてくれる。
自分の力で歩くことが、人生の、生きる基本ということを学ぶだろう。
若い時になぜ旅が必要か? それは若い新鮮な目にしか見えないものが、今の
純粋なこころでしか獲得できないものが、間違いなくあるからだ。
旅に疲れたら、夕空を、星を仰いで一杯やればいい。
苦くて、美味い、旅の酒の味は、生涯の宝になるはずだ。
二十歳の旅人に、乾杯。

伊集院静  (サントリースピリッツ株式会社)


・・・・
振り返れば、20歳となり、成人式を出ずに臨んだ後期試験を終え、長野オリンピックが開幕を迎える2月上旬、初めての海外、タイ・バンコクを目指し、パキスタン航空の往復チケットだけを手に日本を発った、独り旅。

そこで得たものは、旅行記でも記したとおり。バンコク到着翌日に街中に向かって道を歩く途中での地元の大学生と出会い、そのまま大学についていき始まった2週間の学生寮での生活、マレー鉄道に乗りたいとシンガポール、マレーシアと縦断した列車の旅、少々危険な目にも、体調面の限界も感じながら灼熱の東南アジアで過ごした45日間。

様々な人に出会い、なにより人の温かさ、親切に出会い、20年間作り上げてきた自分という存在の小ささ、日本と関係なく世界が回っている現実を肌で感じ、その経験一つ一つを心に刻んだ、自分の原点。駆られたように出かけた、20歳というタイミングの凄さ、もっとも感性が鋭く、感受性も豊かで、それでいて社会に交わるのに必要な落ち着きと、視野の広さを持ち始めた時分。日本人の集まりを避け、現地の人たちとの接触を楽しんだ、今にも増してとんがっていたあの頃の自分が好きでもある。

20歳前後の学生時代を振り返ると、本を読むことで、著者と比べた自分の知識や能力の足らなさを感じ、学生社会の環境に甘えない、自分の能力を伸ばす努力や挑戦につなげることができ、旅をすることで、日本に関係なく(日本のことなど誰も気にせず)、世界は動いている(世界の人たちは日々生活している)という当たり前のことを気付かされ、世界の大きさと、自分の存在する社会の小ささ、自分の周りで起きること、日本の社会で起きることさえ所詮は大きな世界に何の影響も与えないちっぽけなことだという現実を全身で感じることで、より広い視野を、より柔軟な思考を身に着けることができたもの。

それは同じ独り旅でも、22歳のタイとも、26歳のタイとも、27歳のニューヨークとも、29歳のトルコとも違う、やはり、20歳のむき出しの感性だからこそ感じ、出会えた旅なのだと思う。

多分、それを経験しているかしていないかでは、自分の根底にある価値観の厚みに違いを生むだろうと思うから、この伊集院静の言葉は素直に響き、もし、二十歳の若者がこれを見ているなら、思い切って、独りでの海外を目指してみてほしいと思う。そこにはドラマのような出会いはないかもしれないけど、SNSやテレビのない中で過ごす、ひとりもの思いにふけ、より鋭くなった頭でいろいろなことを考える時間が、知らないうちに自分に厚みをもたらしてくれるはずだから。

スーパーランニングシューズ

テレビドラマ「陸王」で、マラソン選手にとってのランニングシューズの重要さが、世間にも認知されたところだけど、それは、一流選手に限らず、一般の市民ランナーにとっても同じこと。

いつしか努力に見合う、体力面の伸長に限界を感じ始め、いかに効率的・効果的な練習で、自分の目指すタイムを出すかを様々にアプローチしていくうちにたどり着く、その一つの手段が、シューズやウエアのグレードアップにあるということ。

「タイムをお金で買う」とは、ある種自虐的な表現なのだけど、現実的に、上級者向けのシューズにすることで、1kmあたり10秒程度の短縮を図ることも可能だから、知識を持ち、適切なグッズを着用することは、高い目標を持つランナーにとって必須の手法ともいえる。

ランニングシューズはその効果が最も現れるもので、今シーズン脚光を集めたのが、10月に開催された出雲駅伝で10年振りに優勝した東海大学や、この1月の箱根駅伝で4年振りに往路優勝した東洋大学の選手たちの足元を固めた、ナイキの新シューズ「ズーム ヴェイパーフライ 4%」。これまで主流の軽量な薄底シューズの発想を転換する、厚底シューズ。フォアフット走法などという理屈はもとより、前評判の高くない大学チームの優勝、そして現日本No.1選手の大迫選手着用という事実だけで、一般ランナーの間でも一気に話題に。

10月の出雲駅伝でその情報を得、2万6千円と値段も破格なヴェイパーフライ4%の廉価版、同性能を持つ「ナイキズームフライ(1万6千円)」の購入を検討するも、既に人気しかしておりどこも売り切れ。そして、ようやく入手したのが、NIKE公式サイトで販売再開された12月上旬のこと。

NIKE公式サイト購入のいい点は、購入1ヶ月後までサイズ・色交換や返品が可能なこと。通常26.0cmを履くのだけど、表示サイズよりも一回り小さい感覚との事前情報から、両サイズのシューズで試して26.5cmを購入。店舗内の試し履きと違い、1ヶ月の期間に、数kmを複数回走ることができるから、確実に自分の足に合うサイズを選ぶことができ、シューズ自体が合わなければ返品できるというのは、シューズ通信販売の究極の方法だと思いつつ。


さて、肝心のこのシューズの感想は、圧倒的なタイム短縮をもたらすという安易な期待は裏切られ、やはり、タイム短縮には努力しかないのだと思い知らされる。このシューズは、一定スピードで走り、脚の疲労と闘うハーフやフルマラソンこそ力を発揮し、個人的にメインにおいている3~5kmの駅伝距離なら、むしろ足裏で地面を掴む感覚で走る薄底(アシックス ターサージャパン)の方がスピードが出る印象。厚底は重さがあるから、脚の回転をあげると2km以降にその重さに大きな負担を感じ始める。まあ、それもまだまだ練習途上の状態だから感じることかもしれないけど。

ただ、厚底効果か、練習後の疲労度は大きく軽減。3,4日と連続して走ると、ふくらはぎに痛みが出るなど疲労の蓄積を感じ、段々と練習時のスピードが落ちていくものだけど、このシューズだと翌日の足の疲労度があきらかに軽い。スピードではなく、距離を走る練習なら、このシューズを率先して履いているところ。

たまに仲間と合同練習をしたりすると、案の定、ズームフライを入手していたりし、皆、同じ考えなのだと盛り上がったりする。努力は惜しまず、目標タイムに向けて、正確には去年の自分に勝てるように日々精進するつもりなのだけど、ここ数年は、同じ努力では超えられない体力的な壁を感じ始めていることも確か。そこには、自分を追い込めなくなった、自分の甘さもあるのだけど、それを何とか、最新科学でカバーできないかと思うところがあり。

かつて目指した3分35秒/km切りなど今や昔、今の目標は、遅くとも5kmを3分50秒/km切りで走ること。どうやら最新テクノロジーのシューズに頼れそうにないことは分かったから、引き続き、自分を追い込む、辛い練習にかけるしかないと覚悟を決めているところで。

shoesni1.jpg


      shoessa1.jpg
※ターサージャパンの東京マラソンモデルがカッコよすぎたので紹介
※ナイキズームフライはNIKE公式サイトでの定価購入が安価のため掲載せず

安全性能の高い車

車ネタをもう一本。

最近、年齢面等から安全性能の高い車への乗り換えを検討する親から相談され、情報を収集。
※情報一例 「安全な車ランキング2017 コンパクトカー編

車の取り回しから中型車(3ナンバー)は望まず、車体自体の強度面から軽自動車は選択しないとの条件から、コンパクトカーを中心に検討し、現時点、歩行者検知自動ブレーキ機能を備える車は日産・ノート、マツダ・デミオに限られることを知る。

天下のトヨタがこの点で後れを取るのは、一重に、最新性能を高級車から優先的に導入する、マーケティング重視の方針から。いくらハイブリッドで燃費が良くても、安全性能で劣る車は勧められないと、当初の希望だったアクアを選択肢から外す。

その点、マツダの生真面目さは感心の域。SUVやアクセラ・アテンザといった高価格帯に限らず、小型車のデミオを含む全車種に、レーザーとカメラの両機能による、歩行者検知自動ブレーキを含む安全性能を標準搭載。ついでに、高速走行での自動ブレーキに対応可能なミリ波リーダーもオプション設定。歩行者対応は昨年10月のマイナーチェンジ後で、ネットサイトの比較では未掲載のところもあるけど、上位機能を時期を待たずに導入するのも、消費者重視のマツダらしい対応。購入者は、価格ではなく、用途で自動車サイズを選ぶというのが、今の現状。車格で差を設け、高価格帯の車へと誘導する手法が時代に合わないことを、トヨタにも気付いてほしいものだけど。

個人的にマツダ押しなところがあり、12月発売のCX-8にさっそく試乗に出かけた際に、営業マンから追加で情報を収集して伝えたのだけど、どうやら、日産・ノートで落ち着きそうな気配。

やはり、DeNAと自動運転開発を進める日産の安全性能は他者のワンランク上を行き、かつ、世界に先駆けて築いた電気自動車技術を活かしたe-POWERは、燃費、走りともに魅力的な車。個人的には、ノートのガソリン車のもっさり感は好きではないのだけど、電気自動車となれば話は別で、余裕のあるパワー、加速感は、運転に安心感を与えてくれる。

日産も販売に苦戦しているからか、なかなか魅力的な値段の提示を受けたようで、どちらにしろ、これで車運転のリスクが減らせるならと、その決断を歓迎しているところで。


ついでに余談として、CX-8に試乗し、最新性能の高さに感心。暴れ馬のようなCX-5と比べ、一つ大人になり、上品な落ち着きを感じさせながら、その実、奥底に見え隠れする、内に秘めたパワーをときどきちらつかせてわくわくさせてくれる、人間で言えばaround40のような、若かりし頃の勢いをまだまだ内面に持ちながら、周りに合わせる表面的な落ち着きで着飾る味わい深さを持つ、運転をともに楽しませてくれる車。

試乗でも体感できる安全性能には、運転の負担を大きく減らしてくれることが想像でき、近未来的な機能を含め、それらが標準装備されること、また、3列目シートの出来の良さには感心することが多く、その魅力は十分感じたのだけど、つまるところ、320万円からという価格をどうとらえるかといったところ。

思えば、ファミリー世代の自動車販売の多くを占めるミドルクラスのミニバンでも、300万円前後はするものだから、決して高すぎる価格ではないのだろうけど。

ただ、こうした運転にわくわくさせられる車で遠くへ出かけたいとはつくづく思うところで、チャイルドシートが不要になるころには選択肢の一つとして検討できるようにと、情報収集を続けていきたいところで。


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ミニバンタイヤの交換

子供が小さいうちは、スライドドアの車が必要だとの声に押されて、レガシー・ツーリングワゴンから乗り換え、早くも5年目を迎える、家族用の車・ステップワゴン。

子供の乗せ降ろし、車内での着替え・おむつ替えと、ミニバンのメリットを存分に享受しつつも、背の高いミニバン特有のハンドリングの不安定さ、もう一つなパワーには思うところがあり、ときに、レガシー・ターボの、伸びるような加速、速度を感じさせない安定感を思い出し、次こそは運転を楽しめる車をとひそかに考えていることは、まあ余談。

さて、5年も経つといろいろと劣化もしてくるようで、利用は週末のお出かけか、平日の市内移動と限られるため、未だ3万5千kmとたいして距離を走っていないのだけど、ローテーションをしていない前輪タイヤは溝が大きくすり減り、特にサイドウォールに関しては4本ともヒビがひどく、高速運転に支障をきたす状態との指摘を受け、タイヤ交換を決意。

さっそく、オートバックスで見積もりを取ったところ、ヨコハマやダンロップと、いくつかのメーカーのミニバン用タイヤは、交換費用を含めて4本で10万円の見積り。燃費性能やウェットグレードと安全能力を求めると、自然と値段もワンランク上に。

それにしても、タイヤ4本で10万円とは少し高すぎるのではともう一つ納得がいかず、それならネットで探してみようと方針転換。

安全を最優先したい車関係だからこそ、信頼できる実店舗で選びたいのだけど、高額部品ともなると価格とのバランスも重視。ネット検索上位に表示される価格.comサイトを利用し、転がり抵抗係数A、ウェットグリップ性能aのミニバン専用高性能低燃費タイヤ「ヨコハマタイヤ・ブルーアース・RV-02」を選択。

ちなみに、ミニバン専用タイヤとは、負荷の集中するタイヤ外側の摩耗を抑え摩耗寿命を伸ばすとともに、重心の高さから生まれるふらつきを抑え安定感をもたらすなど、ミニバンのために開発されたタイヤ。その中でも、ヨコハマRV-02は、クラス最高のウェット性能と評価も高いから、ミニバンの運転性能改善面からも、少々価格が高めながらも積極的に選択。

価格順位上位の店を比較しながら、製品の信頼性を重視して口コミ情報をもとに、店を選択。そして選んだのが、タイヤ販売の専門店「Side Car」。

タイヤ価格の安い掲載店の多くが、タイヤの製造年月や製造国を選べない中、ここは希望を伝えることが可能とのこと。正月休み期間だったため、注文前の確認は諦め、注文時にコメントで「製造年月が直近で、製造週が同一のもの 。できれば日本製。遠方のため、運搬中にタイヤのサイドウォールが傷つかないよう配慮した梱包を希望」と伝える。

梱包については、運送会社の事情から、ラップで一周撒きにできず、そのままの状態で発送するとの連絡を受けるも、これは過剰な要求だと認識していたから、了承。ちなみに、店によっては、1本+300円でラップ撒きしてくれるところもあるから、神経質な方はそうした選択も可能。

正月明けに到着したタイヤは、日本製、4本とも同一週(2017年32週(8月10日頃))と希望通り。製造年月が直近かどうかは判断がつきかねるけど、2017年製、希望を伝えた上で選ばれたのだからと素直に受け入れることに。

そして、価格。オートバックスで提案を受けたものよりもランクが高いにも拘わらず、その価格を4割下回る51,440円(48,240円(タイヤ)+3,200円(送料))。
【2017年製】ヨコハマタイヤ BluEarth RV-02 205/55R17 91V ミニバン専用低燃費タイヤ 12,060円/本>

既存タイヤからの組み換えはオートバックスに依頼し、バルブ交換費用、タイヤ廃棄費用を含めて9000円と、計6万円程度でのタイヤ交換を実現。それにしても、当初見積額と比較して4割安で、高品質のタイヤをつけられるとは。店舗販売のタイヤは利益率が高いと聞いていたけど、ここまで嵩上げしているようでは、もうじき、家電以上にネット店舗に需要が移るのではと思えてならない。

さっそくタイヤ交換しての運転は、安定性、グリップ力ともに満足。これまでの不安定感は摩耗したタイヤにも原因があったのだと気づかされたところで。

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最後の日

「この人のためなら、どんなことでもする」

そう思える人に、いったい何人出会うことができるのだろうか

次の飛躍の機を見出し、新たな世界へとチャレンジする

最後まで、その背中で、この世界で生きてきた人間の、目指すべき生き様を示してくれる

この年末に退職する、心から慕う上司に思う


一緒に働いた期間は1年ばかりで、そこから築いた関係は10年も経っておらず

その方の周りを囲う数多の優秀な部下の中にあっては、その末端を汚しているに過ぎないと

謙虚な気持ち一つなく、自覚しているのだけど

そんな自分にまで目をかけてくれ、そして、いつも、何の遠慮もなく懐に飛び込む若者を受け入れてくれることが嬉しかった


「この人にはかなわない」

仕事において、人として、そうした場面に何度も直面し、さらに、その根底にある人への気遣い、優しさを知り、心からの尊敬、親しみを持つ

仕事において、全力でぶつかっても、常に真正面から受け止め、しっかりと跳ね返してくれる

さらにそれを越えようとする気概を愛し、そうした経験の積み重ねで、多くの人たちから評価される、今の自分の基盤ができあがっていった実感がある

その求める高いレベルについてきた人間を、決して自分のためだけの使い捨てにせず、次につながるあらゆる方面への売り込みで、その先に進む道を用意してくれる、部下への愛情の深さ

そうした場面に出くわし、そして結果において、それを示してくれたことが、直属の部下を離れてからの、揺るぎない信頼へと変わる


その決断を知ったとき、東京が五輪開催地に決まったあの瞬間と全く同質の感動を覚える

それが目指す目標の一つだとなんとなく感じていたから、退路を断って、決してやすき道ではないその道を選んだ勇気に感動し、その姿勢を尊敬し、自分のためにされたことを心から嬉しく思った


もしかしたら、これから、まだ、全くといっていいほど返していない恩を、少しでも返す機会に恵まれるのかもしれない

これまでの心からのお礼を、これからの変わらない、いや、もっと深い付き合いを、そして、例え元部下に対しても、心遣いのある人だから、少しでも役に立てる、恩を返す機会があることを心待ちにしていることを、最後となる今日に伝える


これからいつか、自分がリーダーとしてもっと高い位置から、周りを統率する日が来るのかもしれない

「士は己を知る者の為に死す」

遠い、中国、春秋戦国時代の言葉だけど、トップに、上司に対するこの思いの共有が強い組織の本質であり、それを思わせるリーダーのもとで、その在り方を学ばせてもらったことは、高い目標としてプレッシャーでもあり、代えがたい経験だったともいえる


そしてなにより、そこで過ごした時間が楽しかった

いろいろ言葉はつむいだのだけど、伝えたかったのはこの一言に尽きるのかもしれないなと思いつつ

医療小説「院長選挙」

本の販売数量から、日本人の読書離れを嘆くのなら、まずは、本の価格を下げてほしいと切に思う。

ハードカバーと文庫本という変な棲み分けを作らず、再販制度という価格統制もやめ、量の出る(大きな利益が見込める)人気の新作を800円程度で販売すれば市場は大きく広がるだろうし、それが印刷・販売コストの圧倒的に低い電子書籍で実施すれば新たな市場が開けるだろう。

そうすれば、本来、一般家庭で購入できない高額な専門書等に取り扱いを限るべき公立図書館が、ベストセラーのハードカバー小説を置くことを拒否できようし、その役割が明確化されたら、市民のニーズという体のいい言葉で悪用し、税金で週刊誌を揃えるようなおかしな運用も見直されるようになるだろう。


なぜ、相変わらず1冊1700円もするのだと思いつつ、文庫化される数年後ではなく、知識としても今押さえておきたいからと、大学病院を舞台とした現役医師による医療小説「院長選挙」を入手する。


コミックにはレンタルといういい制度があり、先日、評判に聞く「いぬやしき」を読んだのだけど、その中で唯一違和感を覚えるのが、機械の体となり、病人を治す能力を持った主人公が病院の重病患者を治癒し、それに感謝する病院関係者の姿。

2018年の医療と介護の診療報酬の同時改定が大詰めを迎え、診療報酬の引き上げ・引き下げのそれぞれの思惑により、政治、行政(財務省、厚生労働省、各諮問機関)、関係団体(日本医師会)を巻き込んだ駆け引きが繰り広げられているところだけど、医療提供側から報酬引き上げの根拠として示した「病院経営の悪化」の調査結果が示すように、ここ数年の、今後の高齢化の進行を見据えた医療体制の見直しや医療費抑制に向けた制度改正が、医療現場を疲弊化させている現状は否定できない事実。

ただ、その報酬引き上げの根拠を、リーマンショック後に経済が冷え込み、給与や人員削減等のリストラで民間企業が乗り切る中、族議員、医師会の圧力で優遇され続けてきた医師の技術料(給与)という事実に触れず、ここ数年だけを比較し、企業の賃金引上げ率と同水準を求めるから、誰からも共感が得られていないのだけど。

医師の給与が高い弊害が、昨今は明確に指摘されだしており、本来、世界を相手に活躍すべき最も優秀な部類に入る人材が、安易に医師を目指すことで国力低下につながる現実。その医療業界の現状は、徹底して競争が排除され、保険制度の下、有資格者皆が保護される仕組みは、現世代が負担すべきコストを将来世代に回しているだけの、社会的損失以外の何ものでもないだろう。

残念ながら、病院経営の悪化の要因が、医師等の人件費の増加と分析されているのだから、当事者は未だ目を背けているのだけど、ようやく根本の見直しが行われる環境が整いつつあると言えるだろう。


さて、話がずれたけど、重症患者を治癒して喜ぶ病院経営者などいるはずがなく、病院の利益の源泉は、病床の利用率にあるのだから、連携する診療所や系列の中小病院など、限られた医療機関から紹介された顧客(入院患者)が、医療の提供無しに突然治癒し次々に退院したなら、ベッドは空き、高額な医療設備は使用されず、医師は診療・手術機会を失い、この病院は確実に経営が悪化すると思わざるを得ない。

医は算術などという皮肉ではなく、病院も診療所も経営以外の何ものでもなく、民間企業に言う儲けの仕組みは、より高い診療報酬の対象となる医療を、より多くの患者に提供(売上高=単価×客数)するしかないのだから、経営が悪化しても人件費を削減しないという点も含め、医療提供体制や診療報酬等の仕組みを抜本的に見直さない限り、この現状は変わらないということを、このストーリを見てあらためて思ったもので。


思えば、いぬやしきの話も余談で、今回入手の本の舞台となる、大学医学部の権力闘争の裏側を見れたならば、医療の現状を楽しく理解できると期待する。冒頭を立ち読みし、「医療界では循環器内科こそが頂点」なんて内容を読んだだけで、わくわくしてくるわけで。

2017流行語大賞

まさに、今年を象徴する言葉、「忖度」。

忖度とは相手の気持ちを推しはかることを言い、まさに気遣い、心遣いに長けた日本人を表す言葉と言えるだろう。

この言葉がマスコミで脚光を浴びた当時、忖度など、仕事をする上でできて当たり前の最低限のことで、これの何が問題なのか理解できないと、尊敬する上司に意見をぶつけてみたものだけど、いつの間にか仕事の上でも、日常的にこの言葉が使われ始め、コンプライアンスのような位置づけになったのだから、流行語にふさわしいだろう。

そして、年も後半になって、再び忖度を象徴するできごとを目の当たりにし、方向性のズレた、過剰な忖度がもたらす弊害の恐ろしさ、そしてこの言葉が問題とされた本質を突きつけられたようで、今こそ、流行語の要因となった言葉のあやとしての忖度ではなく、この国の国民性から生じる陰湿な忖度の在り方を認識し、その対応を変えるべきときではないかと考えさせられる。

そう、それこそ、相撲協会が、横綱審議員会が、マスコミが、貴乃花親方に、国民世論に忖度し、横綱・日馬富士を追い込み、横綱に引退表明させた、一連の事件。

忖度された側は、求める結果が出た瞬間から、自らに向き始める矛先から逃げるがごとく、「引退する必要はなかった」と突然擁護をはじめ、ある者は、早すぎる引退を惜しむという、手のひらを返した態度をとる。

ただ、貴乃花親方は相撲協会理事会を揺さぶり権力拡大を図る一つの手法に、横綱審議員会は自分たちの存在意義を示すための手段に、マスコミは弱みを見せた権力者(相撲協会)を徹底的に責めて屈服させる、似非社会正義を振りかざすために、それぞれが自己満足のためだけに勝手に世論を煽り立てたことが、忖度が忖度を呼び、一人の人間の精神を崩壊させ、社会的に抹殺する。

この結末に、17年間の努力を一瞬の出来事で無駄にした横綱の軽率な行動を責めることなどできるはずがなく、17年間の努力により、相撲界の最上位まで達した一人の人間を、一度の失敗で、相撲からも、相撲の世界からも消し去る、存在を殺す、この国の仕組みの恐ろしさ、異常さ、それを何とも思わないこの国の人間の心の無さを嘆く。

マスコミが、国民が心の奥底で求める、当事者の社会的地位からの脱落(議員辞職、経営者引責辞任、引退、謹慎)、会社倒産、解雇、そして極めつけは自殺、という心のすく、人を貶める最悪の出来事をもって、あらゆる問題は興味の対象から外れ、追い込む過程で散々に使われる自らを正当化する社会問題への提起など、その結末の後では誰も口にすることはなくなり、次のターゲットを目ざとく探し始める。

そうした行為を増長する、警察が捜査段階でマスコミに取り調べ内容等の捜査情報を漏洩し、裁判所が判決が出る前に被告が社会的制裁を受けることを判決内容に酌量することで実質的に追認する、法治国家を自ら否定するあるまじき実態。

江戸時代につちかわれた、むしろ日本人、大きくは東アジア人固有の本質が引き出された、村八分に象徴される地域コミュニティでの相互監視社会、異物を排除することを容認する人間性。個ではなく全体を優先する思想。

例え自分に批判の矛先が向かおうと、そこで社会的、人間的に存在を殺されていく個を黙って見過ごす人間では決してありたくない。それが自分にとっての正義だから。

そうした仕組み、態度を社会として容認しながら、何をもって子供たちにいじめをなくそうと言っているのか、理解できない。いじめとは、異物を排除する、人間の本能に近い行動であり、理性をもって抑制する必要があるが、この国の社会システムはその行動を容認しているのだから。

誰も否定できない、正論をはくことが正義ではない。人間関係には他人には推し量れない様々な事情があるのだから、当事者間の解決を図る仕組みにより、和を以って調和を図ることこそが、他人の価値観を認めず排除を求める、危険な感情を奥底に持つこの国の人々が社会を築くうえで必要な方法として西暦600年代から受け継いできたことなのだから、過剰でも、方向性が違うこともなく、相手の最も弱い気持ちを推し量る、本当の忖度により、この国の社会が変わっていってほしいと思うばかりで。

夕陽の美しい町

日経新聞に連載された、サントリー創業者・鳥井信治郎を題材とした「琥珀の夢」を読んだのが、久しぶりの伊集院静の小説。彼の本を読んだのは、いねむり先生、大人の流儀の二冊で、積極的に選択することはないのだけど、同郷の防府市出身だったり、25年前の直木賞受賞時に、地元の本屋に来店しサイン会が行われた印象等から、遠い親戚のようななんとなくの親近感を勝手に持っていたりする。

小規模本屋が多い山口・防府市界隈では、売れ筋の単行本やロングセラーの文庫本ばかりが並び、店内を散策しながら、積まれた本の中からおもしろい本を見つけ出すという楽しみ方が難しく、店舗に置かれる、お気に入りの著者の新作ばかりを確認する作業になりがちなのだけど、今回は、その書評にひかれて、久しぶりに伊集院静の本を手に取ったことから、ここで紹介。

「若い時に旅に出なさい、と先輩たちがすすめるのは、人が人に何かを教えたり、伝えたりすることには限界があり、夜のつかの間、後輩たちに語って聞かせる人生訓がいかに周到に準備されたものであれ、そこにはおのずと言葉によって伝達する壁がある。“百聞は一見にしかず"とはよく言ったもので、百回、エジプトのギザのピラミッドの大きさを聞くより、一回、本物を目にすればすべてがわかるのである」

『悩むなら、旅に出よ。 ~旅だから出逢えた言葉Ⅱ~』という本で、旅の捉え方に共感すること、そして、旅で出会った言葉とそのエピソードがなかなか心に響き、いつものぶっきらぼうな生き方の描写とあいまり、いい味わいを見せていることから、これはじっくりと、コーヒーでも飲みながらその情景を想像しつつ、描かれた世界に浸りたいなと思い、購入。

なにより、購入の決め手になったのは、この言葉を手元に置いておきたかったから。

同郷の歌手・山崎まさよしとの対談で、「お二人の故郷はどんな所でしょうか」と編集者に訊かれたくだり。

山崎さんは少し考えてから言った。
「夕陽の綺麗な町です」
私は、思わず息を飲んだ。どうしてあんなに何度も見ていた夕陽に気付かなかったのだと思った。たしかに夕陽が美しい町だ。

自分の町を表す言葉。防府市は歴史の深い町で、様々な文化的な遺産や、歴史のエピソードがあるのだけど、そういう表層的なことではなく、人間が作り、積み上げたものを排除し、人が生きる生活の場としての日常的な視点から、土地そのものの魅力を捉える感性に対する凄み。そして、突き刺さる言葉。

確かに、夕陽が美しい。西の山に沈む、赤く大きな夕陽に心をとらわれることが年に何度とある。こうして言われてみると、どうして今までそんなことがすんなりと言葉に出てこなかったのだろうと思えてくる。

夕陽の相対的な評価は難しく、その背景に海や古の構造物があるなど、他にはない特別な何かがある場合を除けば、同じタイミングで、他の地域でどのように夕陽が見えているかを測らない限り、他地域への優位性を語れないことも確か。

ただ、夕陽の美しさは何かと比較しなくても、人が心で感じることができるもの。まぶしかった太陽が赤みを帯び始め、一日の終わりを告げる頃、どこからともなく、現地の人も旅行者も目の前のことの手を止め、自然と海辺に集まり、海へと沈みゆく大きな夕陽を静かに見守る。二十歳の頃に、マレーシアのランカウイ島で目の当たりにしたあの景色こそが、万国共通で人を引き付ける夕陽の持つ魅力に気付かされた原風景。

その魅力に地域の人たちが気付くことで、また違ったこの土地の魅力を発信できるのではないかと、多分それは特別な何かではなく、この土地で過ごす際の一つのプレゼントのような感覚で。それをどのように、どのような形で見せるのが、人の心に響くのか。それを感じることができる人たちが集まれば、何かおもしろいことができるのではと思いつつ。

それを気付かせ、考えさせられた、今後に活かせそうな何か大事な言葉だと思うから、この本を手元に置くことにしたというわけで。


表紙の写真がよく、これだけでも本棚に飾りたくなる。自分の本づくりでは、こういう表紙のイメージを求めて試行錯誤したなと懐かしく思い出しながら

秋冬の装い

 「コートやダウンジャケットを羽織るにはまだ早い、肌寒さを感じ始める10月~12月をカバーするアイテム」を今年のテーマに、広島や博多に行く機会があるとお店をふらふら。

そして、まだまだ暑さの残る8月末に、早くも、ロッキーマウンテンのダウンベストに一目ぼれし、さっそく入手。

ダウンベストは体のカバー範囲が限られるだけに、ダウンの質が良くなければ十分な防寒・保温能力が得られないことは、以前に購入したファストファッションブランドの安価なベストで経験済み。その失敗も活かし、積み上げた歴史で高い信頼性を誇るロッキーマウンテンを選んだもの。

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・フェザーベッド(羽毛布団)のような機能を目指し、ヨーロッパ産ダウンをダウン90%、フェザー10%の割合で配合
・カウボーイ向けの防寒ウェアブランドとしてスタートした名残の1枚立ちの革ヨークが特徴
・レザー、ナイロンともに深みのあるネイビーカラー
・襟周りにムートンを使用するタイプは、肌触りがよく、首回りも暖かくて魅力的だったけど、かっちりし過ぎて使い回しが限られること、真冬にダウンベスト単体を選ぶ可能性は低く、そこまでの防寒を求めていないことから、選択せず



秋も中頃までは、ネルシャツとダウンベストを組み合わせていたのだけど、10度前後の気温となると、ダウンベストの下に何かもう一点、保温性のあるアイテムがほしくなる。この冬のテーマには、暗くなりがちな冬の装いの差し色になる「明るめのニット」を考えていたこともあり、ふとした出会いがその後押しをする。

たまの家事・育児の息抜きのリクエストに応える際には、子供の面倒を見やすいショッピングセンターに出かけることが多いのだけど、10月末には8年振り、それこそ広島市居住時代以来となるイオンモール広島府中を訪問。

かつてダイヤモンドシティと呼称されていた頃よりもさらに規模が拡大され、ダイソー、無印良品、ユニクロ、スポーツオーソリティ、フタバ書店等々の大規模店舗に加え、ZARAなどの海外ファストファッションブランドや、コジマ×ビッグカメラの大手家電量販店が店舗を構える構成に。そして、積極的にここを選びたくなる理由の一つが、トイザらスが入っていることで、ここに子供たちを連れていけば、遠くから見守るだけで手をかけずに1時間でも2時間でも時間を過ごすことができ、かつ、この時期ならばクリスマスプレゼントの感触もつかめるという、男親にとってはこれほどありがたい環境はないということで。

ついでにいうと、1階フードコートの充実ぶりは感嘆に値。どこのショッピングセンターも、フードコートには丸亀製麺、リンガーハット、ペッパーランチ、マクドナルドの大型チェーン店が並ぶのが定番で、期待することはないのだけど、ここの店舗構成に初めて見、都会のショッピングセンターの成長ぶりを感じさせられる。

3階のトイザらス等が入る子供向けショッピングエリアには、マクドナルドをはじめ定番の店舗が並ぶフードコートがあるのだけど、1階部分は職を楽しむ大人向けの構成。広島定番のお好み焼きは「ちんちくりん」、牛たんの「利久」、本格パスタ&ピッツァの「サルバトーレ・クオモ」、ラーメンの「尾道 鶏そば」、海鮮丼の「HIRO88」等々、ワンランク上のチェーン店や地元店が入り、ワクワクしながらランチ選びを楽しめる。

ただ、ファッションに関しては、ファミリー向けや若者向けに偏ることからショッピングセンター店舗に期待することはないのだけど、子供の世話係を交代した自由時間に、ふらりと入ったお店でピリリといい味出している服を見かけたから、店舗内を散策。

NICOLEが運営する「Grand PARK」というセレクトショップで、店舗入り口に並ぶニットを見ている際に、「本物のロッキーマウンテンを着ている人を見たのは、あなたが2人目」と声をかけられ、一目見てこのブランドに気付く人が扱う商品に興味がわき、話を聞くことに。

ファッションでもなんでも、本物志向の人とは話が合い、そういうこだわりは聞いていても楽しいものだけど、ショッピングセンターの店舗にそういう店が、スタッフがいることに軽く驚き。いろいろなやり取りを経てたどり着いたのが、ガンジーウーレンズ(Guernsey WOOLLENS)の白色ニット。イギリス・ガンジー等のフィッシャーマンズセーターをルーツに持ち、重厚感のあるウール糸ながら、シンプル・スタイリッシュに仕上り、そして、英国漁師の極寒の過酷な環境を乗り切るために生み出された、高い保温性を保証する目の詰まった編み込みが、ダウンジャケットとの相性、ダウンジャケットと合わせた暖かな着こなしを実現、これぞの一品と即決する。

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・ガンジーセーターとは、イギリスとフランスの間、イギリス海峡に浮かぶガンジー等に住む漁師の防寒着として誕生。油分を多く残したウール糸によりをかけ、丹念に編み込んだ目の詰まったニットで、保温性、撥水性の高さに特徴
・編み込み装飾で全体が覆われておらず、ポイントで装飾が入る程度のシンプルさがお気に入り
・前後対象のデザインは、夜の海上でも着脱しやすいことが起源。漁師は汚れたら前後を入れ替えて着ているそう
・汚れたらなんて考えていると服を楽しめないからと白色に。ネイビーカラーのダウンベストとの愛称は抜群で、すっかり週末はこのコンビで過ごすことに



久しぶりに新たな系統のアイテムが加わったことで、これまで着やすさや品のある大人な雰囲気を好みチノパンに偏りがちだったのだけど、ジーンズが再びローテーションの中心に座ることに。

例えば、学生時代に、かつての防府のセレクトショップ「キャッスル」で購入した英国ブランド・コーギー(Corgi)のニットセーターが、20年を経た今でも軽さ、暖かさ、デザイン共に見劣りせず、未だ冬のアイテムの一つとしているように、いいもの、本物の品質、デザインをもつものは、軽く10年スパンでも変わらずに着続けることができる。

数年前は、H&MやZARAなどのファストファッションで、気の向くままに目につくものを価格を気にせず購入する気持ちよさに浸ったこともあるけど、それらが1シーズン経た後に、どのような存在になったかを考えると、そのためにかける時間も、お金も無駄なことに気付き、そういう店では価格に惑わされずなおさら慎重に選び、できれば長く着られる本物志向の一品を見つけることに再びシフトするようになっている。

理想としては、各シーズンごとに、アウター、トップス、パンツ、シューズとパーツごとにお気に入りの一品を揃えること。予算面からも一度に揃えることは不可能だから、5年、10年スパンで足りないところを少しずつ埋めていく、だからこそ、長期間着られるものを選ばないと、無駄な出費が増え、必要なものを揃えられないという危機感がある。

もちろん、年齢を重ねれば求める嗜好も変わってきて、特に最近は、(大人の落ち着きを合わせ持つ)できるだけ明るい色を取り入れるようにしているから、それを満たすメインのパーツを優先し、いつまでも先送りしている重要性の低いパーツもあるのだけど、そうした構成が頭の中に入っていると、その場の勢いや店員のセールスで無駄なものを購入することがなくなり、完成形に近づく楽しみも味わえるから、限られた予算の中でファッションを楽しむ一つの方法ではと思っているところ。

かつてはホームページの一コンテンツを担ったファッションページも、ダウンサイジングにより、姿を消してから久しい。ファッションは少々お金がかかるから、いろいろと出費が増える中で段々と優先順位が低くなり、慎重にはなるのだけど、本や映画などと同様に、感性に刺激を与えてくれ、さらに表層化するだけにその満足度は高いものだから、いつまでも楽しんでいきたいと思っているところで。

自動車保険の見直し

圧倒的な保険料の安さに、それまでの個人保険代理店との契約を見直し、インターネット販売の三井ダイレクト損害保険に切り替えてから15年以上。車両保険を含めて3万円台前半に収まる価格は、他のネット販売損保では太刀打ちできず、ここ数年は保険会社を比較することもなく、契約更新を続けてきたところ。

販売代理店利用とネット販売の差は、やはりサービス。その価格差が人件費にあるように、販売代理店は一定水準以上の営業マンが事故時にも経験を踏まえた的確かつ柔軟な対応をしてくれるが、ネット販売は、所詮は遠方のコールセンターのオペレーターによる、マニュアルに沿った事務的な対応が行われることになるから、利用者本人に一定の対応力を求められる。

ネット損保の多くが、事故時の高い顧客満足度を掲げるのだけど、確かに、保険会社を利用する事故に限れば、きめ細やかな対応は難しいとしても、その対応に大きな不満はないだろう。ただ、保険会社を利用しない事故、例えば、どうみても相手が事故の原因で、過失割合を10対0にしたい場合、弁護士資格を持たない保険会社は交渉に入れないと、個人で交渉するよう求められる。

20年の運転歴の中で、交通事故は過去に2度あり、一度目は渋滞時停車中の後方車不注意による追突、二度目は2車線道路の左車線から右方のコンビニに入ろうとした前方車の突然の右折による進路妨害。

事故状況とこちらの希望を伝え、後の交渉は保険会社同士でと思っていたところから、電話口で冷たく突き放される状況はなかなか辛いものがあるが、所詮は一定の過失割合も保険金で負担されるのだけど、こちらが悪くないのに過失を認めなければいけない理不尽を受け入れ難いのであれば、直接交渉、結果の報告を行うことになる。

もちろん、そんな事務的な対応を求めるのは、顔も知らないネット保険会社のコールセンターのオペレーターだけで、その際の交渉相手は、事故を起こした本人ではなく、相手保険会社の販売代理店の担当者となり、助言もないまま一人で専門家との交渉を展開することとなる。

そのような、保険金支払いの対象とならない事故に対する保険会社の対応を評価する機会はなく、事故対応に対する高い顧客満足度が広告で喧伝されるたびに、誤った情報を消費者に提供していると不満を覚えるわけである。

ネット保険会社には、保険代理店の担当者のような、事故全般に関するきめ細やか、かつ、柔軟な対応は期待できず、保険金支払い以外は基本的に自分で対応すると認識しているのであれば、その価格面から、これほど魅力的な選択肢はなく、だからこそ、安易な顧客満足度という言葉に踊らされず、シンプルに価格のみを判断材料にすべきだと考えている。(保険会社により保険金支払いをできるだけ避けるため、保険金適用基準を独自運用(保険金不払い)するところがあるから、一定の情報収集が必要なことは、ネット・リアルにかかわらず共通だろうけど)


今回保険会社を見直したのは、年間3万円程度の予算としている保険料が大きく値上がりしたから。その原因は、車両保険利用に伴う、等級の引き下げ。

以前も、飛び石によるフロントガラスのひび割れに伴いフロントガラスを交換しているのだけど、今年の7月に同様の飛び石被害が発生。前回同様、車両保険による修理を依頼したところ、数年前から、飛び石被害に関する修理への車両保険利用が、等級引き下げ要因に運用変更されたとの説明を受ける。

フロントガラス交換費用10万円に対し、車両保険利用の場合、自己負担は免責金額5万円となるが、等級引き下げに伴い、次回保険料が3万円以上値上がりするから、今回は車両保険を利用しない方がいいのではないかという示唆。飛び石という避けようのない被害を受けながら、事故等級を引き下げる理不尽は受け入れ難く(この扱いは全保険会社同様だけど)、そのような脅迫じみた話に屈し、保険会社が保険金支払いを免れるのもおかしな話。例え結果的に、次回の保険料が修理代以上にかかろうとも、保険は適切に利用すると、保険金を申請したもの。

結果、今回の自動車保険更新の案内には、同等保険内容で保険料7万4千円と、見事4万円が上乗せされた提案を受ける。

実質的に、最も利用可能性の高い飛び石被害に車両保険が利用できず、免責金額5万円+等級引き下げ約5万円の、計10万円以上の修理が対象となる自損事故など、発生可能性が想像できないため、車両保険加入を取りやめ。

余談ではあるが、大型スーパー駐車場の柱との接触など、保険を利用せずに自損事故を修理した経験者は知っていると思うけど、ガソリンスタンドが代理店になっているカーコンビニ倶楽部などは、かなり柔軟に予算に応じた修理対応をしてくれ、交渉次第で大きな値引も可能だから、少なくとも自動車ディーラーの半額以下で修理可能との感覚。その経験から、10万円を超える修理は、ワンボックスカーのスライドドア1枚全替えぐらいの大きな損傷が前提となる認識。

車両保険をやめれば保険料は軽く3万円は下がり、さらに、保険料予算の3万円程度を見据え、ソニー損保やおとなの自動車保険等、最近広告を目にする保険会社で試算し、希望を満たす保険会社を見つける。(ネットの一斉見積りは過去に利用し、とめどないセールスメールが着続けるという被害を受けたから、二度と利用しない方針)

そして、三井ダイレクト損保よりも1万円安い、3万1千円の提示を受けたSBI損保と、新たな契約を結ぶに至る。その対応は、実際に事故が起きないと分からないのだけど、大きな期待をしなければ、問題ないだろうと思うところ。住宅ローンでも感じた、SBI関連会社の価格競争力に感心しながら、大規模広告による印象操作や、評価の不確かな顧客満足度やサービス力という定性的な基準ではなく、価格面で分かりやすく差別化する戦略に好感を持ったところ。

【保険内容】
・保険内容は同等内容を継続
・不安心理につけ込む、同等保険料を維持するための保険会社からの更新時提案は拒否する方針
区分補償内容
対人賠償保険金額無制限
対物賠償保険金額無制限
対物自己負担額なし
人身障害補償保険金額1億円
搭乗者傷害保険金額1千万円
無保険車傷害保険金額2億円
自損事故保険金額1.5千万円
○その他、家族運転者(26歳以上)限定等の特約あり



失われつつあるもの

平凡な日常の刺激や不満のはけ口として、それが社会正義だと自分勝手に解釈したなら、社会の成功者にカテゴライズされた人であれば誰でも、ほんのわずかなシミ程度の汚点を見つけては、その地位を失い、自己満足を得るまで、執拗に責め続ける。

嫉妬という、かつて、日本で最も恥ずべきとされていた感情に基づく発言や行動が、匿名という環境で当たり前のように日常にあふれる。そしていつの間にか、週刊誌という、かつては全く信頼されず、その内容に触れることさえ嫌悪の対象にされていた情報が、さらに下層の、人の感情がむき出しになったネットというメディアがあらわれたことで、その取り扱いの内容やレベルが変わらない中で、市民権を得るに至る。

本来、日本社会が持っていたはずの芯が、そうした感情にまみれたメディアに侵され、社会システムの中心にいる人たちが強い信念でその圧力をはね返せないものだから、勝手に世間の声と置き換えられた汚れた圧力に負け、その一時の感情を解消するためだけの安易な判断を下すことになる。

昨今の多くの問題はここに帰結するのだけど、特にここ数日の相撲協会の対応は、またそうした象徴的な出来事の一つだろう。

相撲とは横綱こそがその象徴で、そうした象徴への敬意や権威は周りの人間が作り上げるもので、その役割は相撲協会が担う。例え、横綱が相撲協会の支配下にあったとしても、それは外部に対して感じさせてはならず、ましてや素人集団の横綱審議委員会がコントロールするなど、相撲の価値を自ら落とすようなもの。

例えば白鵬の土俵に戻らない抗議行動など、本来、横綱にあのような態度を取らせてしまったことを行司、審判が猛省し、横綱をたてながら相撲協会がファンに対して謝罪すべきことだろう。横綱の権威を汚し、相撲協会の正当性を貫くことで得られることなど、協会理事や関係者の保身でしかない。相撲取り、競技者が第一でないことは本来は批判の的になるのだけど、残念ながら、この国の人たちは外国人に対して感情的な排除の論理をもつものだから、自らの立場や組織を守るためなら、その場しのぎの批判から逃れる手段に、安易に弱者の外国人を切り捨てる、それが例え最高峰の横綱であったとしても。

貴ノ岩の問題は言うまでもない。相撲協会内部の醜い権力闘争に横綱を利用するなど、協会の存在価値そのものを疑いたくなる。策士が策に溺れた姿ほど、はたから見て醜いものはなく、協会理事でありながら、相撲の現体制を守らず、自らの権力拡大を図る人物を現役力士、ファンの誰が信頼するのか。痛みに耐え、日本人横綱として奮闘したあの姿から感情的に依怙贔屓していた人たちも、横綱の進退まで天秤にかけ、相撲の存在自体を貶める今回の騒動で、さすがに愛想がつきたことだろう。弟子を守るという理屈もいいが、自らが若いころにしてきたことも踏まえ、とるべき行動を考えてほしいものだと思えてくる。

組織が旧態依然でいることはよくないが、外部の圧力を利用して仕組みを壊すことで得られるものは限られ、ましてや伝統競技であるなら、負の面しかない。その価値は、何十年、何百年と積み上げてきた歴史にあり、それを外部の人間に破壊させたなら、その根底を取り戻すことができなくなるから。安易に世間と言われる声に屈せず、何を守るべきかを信念をもって貫き通し、それをするべき責任者が命がけで取り組むのであれば、所詮は一過性で過ぎる批判などに負けるはずはないと思うのだけど。そうした人間が、相撲に限らず、政治や社会そのものから失われていっていることこそが、今の日本の問題かもしれないとも思いつつ。

雨のマラソン大会

開催4回目にして初参加を決めた、本日、10月22日(日)実施の防府市「幸せますマラソン」。

暑い時期を避けて、冬場に向けて練習を開始するため、10月末のこの時期にはまだ体ができておらず、地元で開催される大会でありながら、出場には消極的だったのだけど、わざわざ遠くの大会に出るくらいなら、応援も気軽にできる地元の大会に出よう、そして何より、いつの間にか増えた体重が少々の運動では落とせない体質へと変わってき、本気で追い込む必要性、つまりはダイエットのために出場を決意。

結果、体重は食事制限をしないと落とせないことをあらためて認識させられたのだけど、走力は着実に上昇。なにせ、この幸せますマラソンは、中途半端な距離(14.6km)以上に、高低差98m、2度の山登りを強いられる過酷なコースがランナーに不評という、いわくつきのレース。とはいえ、出場するからには、過酷なコースを走り切る力をつけねばと、練習も自然と厳しいものに。

結局、本番コースを練習するのが手っ取り早いと、9月末から計5回の試走。9km、11kmと距離を伸ばしながら、最後の3回は完走。一週前練習で、1km5分ペース、1時間15分と目標タイムを切り、ようやく余裕をもって走れたから、これで本番も何とかなるのではと一安心。


ちなみに、今シーズンから夜間練習用のライトを変更。これまでのライトは、2年間の使用でマジックテープの付くアームバンドが伸びていたこと、アームバンド部分とLEDライトが重なり、十分な照明効果を得られていなかったことから、別商品を検討。新たに選んだものは、バンド部分とLEDライトが分かれ、かつ、LEDライトのサイズが大きく明るいもの。これがサイズ感もちょうどよく、すっかりお気に入りの一品に。

そして、残暑が続いた9月中旬からの練習開始、アップダウンの激しい10kmを超える長距離練習用にとドリンクボトルを新調。500mlを超える容量、ランニングの妨げにならない安定感が気に入り、すっかり愛用。とにかく登り坂がきつくて、水分補給なしに走り切れないという事情があったりするのだけど。

   



さて、マラソン大会へと話を戻し、前日には、台風21号の接近から中止を見込むも、大会本部は、果敢にも決行を決定。当日の朝になって、ますます強まる雨足に棄権がちらつくも、ご近所さんにも参加するからと伝え、自分にプレッシャーをかけていたものだから、やすやすと選択できず。

ただ、秋雨前線が活発化し、ほぼ毎日が雨というここ数週間の状況に加え、先週時点の天気予報でも当日の天気が雨だったから、雨対策は万全。雨用靴下、ランニングポンチョに、雨・寒さ対策にワセリンを用意。これなら、少々の雨でも走り切れると自信をもって家を出る。

(ランニング雨対策グッズ)
      
・防雨と暑さ・蒸れ対策を同時に対応する、ランニングポンチョ。この時期に最も恐れるのは、暑さによる脱水症状。今回の雨は、そういう意味では走りやすい環境だったけど、一方、濡れることによる寒さ対策と、ビニールを被ることによる暑さ・蒸れ対策が必要に。このポンチョはランニング専用で、その効能を十分実感。
・雨対策、そして濡れることによる寒さ対策に、ワセリンを使用。腕、脚に降り注ぐ雨を弾き、体が冷えることなく最後まで腕が振れたことに、効果を実感。
・ランニングソックスは、タビオ一択なのだけど、これは雨天用で高撥水機能糸を使用していることが特徴。雨天時に練習することはなく、出番はほとんどないのだけど、ようやく活躍の場が。水たまりの中を何度も走り、靴自体はびっしょりなのだけど、走りに大きな影響が出なかったのは、この靴下のおかげなのだろう。



練習したとは言え、まだまだ練習初期で体が十分仕上がったわけではなく、スピードを意識した練習でも、1km4分30秒程度が精一杯だったから、結果に大きな期待をせず、おのずと完走を重視した無理をしない走りに。雨は十分な対策からもほとんど気にならず。それ以上に、二度の登り坂、特に標高98mまで1.5kmを超える登り坂が続く最後の山越えが本当にきつく、とにかく足を動かすことだけを意識して何とか山頂へ。さて、ここからの下りで巻き返しをと思うも、周りで走る人たちは同じようなレベルだから、下りともなると普通に1km4分を切るペースで並走、結局、下りに入った12km地点から、ゴールの14.6km地点まで、順位が変わることなくゴールする。

さて結果は、1km4分50秒を切るタイムでゴール。目標タイムを5分以上上回り、大いに満足。ただ、全体順位を見ると人に言えるものではなく、距離を考えると、1km4分40秒ペースを目指さないといけないなと反省。

例年なら、ここから12月の萩城下町マラソン(ハーフ)を目指すのだけど、今回は幸せますマラソンのエントリーにかまけて、9月末で締め切られた萩城下町マラソンのエントリーを忘れる失態。目標もないのに、20kmを越える練習をする気にはならないのだけど、例年通り2月に向け、1km3分50秒を切るペースで走れる体づくり、そして、ダイエットを目指して、また、練習を再開したいと思うところ。

衆院選総括

結局のところ、今回の衆院選は5年にわたる安倍政権の信任投票で、この結果の敗者は政権批判ばかりを並べ世論誘導し続けたマスコミにあったと断じることができるだろう。

加計、森友学園問題にしろ、連日テレビで報道し続けた批判は論点にならず、有権者は、冷静に、これまでの実績から、国家の運営を誰に託すべきかを判断した。それらが、批判のための批判であって、国家運営とは別のところにあることなど見透かされていたことを、マスコミは猛省すべきだろう。

主義主張のない、ただ現状への批判ばかりを並べる野党は、マスコミの論理に乗り、当然のごとく政策論争を深めるに至らなかった。解散の大義というよく分からない理屈を並べ、選挙の意義を追わなかった事実は、何よりも批判されるべきことだろう。

マスコミが正当に評価しない、安倍政権による経済、外交とも、ここ十数年にない強さを発揮し、特に、アメリカをはじめとする諸外国との外交関係強化が実り、政権交代時の中国、韓国に対する弱腰外交が完全に逆転する形になったことは、なによりの成果だろう。

政治とは結果がすべてで、株価が20年振りの高水準に至ったのなら、やはりそれはそれまでの経済政策の成果となる。7千円台に低迷していた民主党政権時代も、世界は株高の状況にあったのだから、外部環境を要因に挙げても正しい比較はできない。北朝鮮有事のリスクを解散批判の理由としていたなら、選挙日まで有事が起きなかったことを、的確な情勢分析による正しい判断だったと評価し直すべきだろう。これで、今後数年間は北朝鮮有事に対し、安定した体制で対応できるようになるのだから。

民進党解党も、結果的に良かったのだろう。立憲民主党という民進党内の左派、革新勢力が分離されたことで、自民党に代わる二大政党を選びやすくなった。もちろん、その対抗馬となりうる政党は希望の党だとは言うまでもないと思うが。

どうも、この20年間、リベラルという、現状を変えてくれそうな改革的なイメージを持つ、体のいい言葉に騙されたきたのだが、いわゆるヘルメットを被って、シュプレヒコールを集団で叫ぶ示威行為をする人たち、つまりは革新系を指すことなのだと、排除された立憲民主党の人たちを見て気付く。日本のマスコミがそうであるように、左派系の人たちは報道文化界の一定数を占め、さらに大衆誘導を得意とするものだから、選挙でも一定割合を占める。かつてはその役割を社会党が担っていたのだけど、ここ最近は、それを中道で全体を包み隠した民主党が受け皿となっていたもの。

今回、立憲民主党が議席を伸ばしたように、市民団体や草の根と呼ばれる人たちなど、大きな声の熱烈な支持者がいる一方で、国民の大勢が社会利益を蔑ろにし、自己利益ばかりを主張する彼らを嫌悪しているという現実もある。社会党がそうであったように、100議席は取れても、国民は決して政権を任せようと思わない。一周回って、再びそういう団体が生まれたと思えば、彼らの存在も分かりやすいと言えよう。

国民の安倍首相への評価は高いが、自民党の既得権益を重視する姿勢が受け入れられているわけではない。安倍政権の後が本当の勝負で、ここで初めて、小池百合子都知事の出番が回ってくると考えていい。希望の党にとって、今回の選挙は政権交代の下地となる、代わりになりうる保守の存在をアピールできればよく、民進党解党で欲が出たのだろうけど、このタイミングでそこまで大きな躍進は必要なかった。小池都知事温存は適切な判断で、勝てない勝負をする必要はなく、相変わらずの勝負勘の良さを思う。

岸田にしろ、石破にしろ、まだ残っていれば石原にしろ、どれも首相の器にあるとは思えず、そうなれば、自然と自民党の重鎮が操る傀儡政権ができあがる。そうなれば、既得権益重視の体質が顕著となり、そこに代わりうる存在があるならば、選択肢として大きな風を巻き起こす可能性がある。

期待されて出る。それこそが理想の形で、その根には保守、目指す方向は現状打破の改革精神が求められる。今回、「排除の論理」により、彼女のぶれない政治信条は確認できた。東京オリンピックを成功させ、2期目を迎えているときに行われる衆院解散総選挙、その時こそが、彼女の勝負の時であり、だからこそ今回は、一度の選挙結果程度で思想が揺らぐ輩はそうそうに希望の党から排除し、戦える骨太の集団へと体質を変えていくチャンスと言えるだろう。

ここ5年の安倍政権は信任し、さらにかじ取りを任せるが、自民党の体質そのものを許容したわけではない。それが、橋本、小渕、森内閣を知る人たちの心のどこかにある思いだろう。小泉や安倍内閣の改革路線が自民党の本質ではなく、いつその旧態依然とした体質が現れるかと、鋭く観察している人も多いのではないか。ついでに、子供手当という、先のサラリーマン課税・負担が目に見える財政拡大路線はそろそろ歯止めをかけていきたいところだけど。


最後に余談を言えば、憲法改正反対を叫ぶ人が理解できない。その時々の国民の思想、社会の仕組みを最上位に、それを法律に落としたものが憲法であり、憲法によって国民がコントロールされる社会は本末転倒。それを、アメリカ人が作ったとか、日本人が作ったとかではなく、その時々の国民の思想を反映できない仕組みにこそ、それを止めようとする存在こそが問題と言える。9条改正を反対する人たちは、国民が9条改正を賛成することが前提で、それはそれで問題だし、改正される可能性を排除したいのなら、それも国民意思を阻害する誤った思想と言わざるを得ない。それならそれで、有史3千年の歴史において、日本国民は好戦的な傾向があり、国家とマスコミの安易な扇動で戦争にさえ突入する民族であることから、国民に国家運営の判断を任せるべきではないので、憲法は改正させず、護憲を維持すると説明してもらえれば、国民も正しく憲法を改正すべきかどうか判断できるようになると思うのだが。

挑戦とは

「挑戦とは、小さな背伸びの積み重ね」 by 野口健

本日、何気につけていたラジオから流れてきたこの一言が、久々に心に響く。 

それは、冒険家、登山家である彼がこれまでの取組を通じてたどり着いた一つの解で、もちろんスケールは違うのだけど、結局、すべてのことに通じる真理といえるだろう。

特別な能力で、突然何かが成せるわけではなく、一つ一つの凄く細かな積み重ねで、大きなことを成し遂げることができる。その言葉を借りれば、「どっかで無理してるなとか、背伸びとかする、そのちっちゃな背伸びをどれだけ積み重ねていけるか」。

仕事も同じで、「働き方改革」という体のいい言葉が独り歩きしているけど、自分に見える理想の形を目指して、そこに手を出すことで、さらなる負担が自分に返ってくると葛藤しながら、自分が納得のいく形へと突き詰める。若いころからの、立場立場での、誰も気づいていないと思いながら自分に負荷をかけてきたその小さな積み重ねが、十年後、二十年後に仕事に対する視野の広さ、解決手法の多様さ、判断の早さ、ついでに周りからの信頼と、おもしろいほど自分の血肉となり、返ってきていることに気付かされる。

抜きんでた能力があるなら、また違う生き方もあるのだろうけど、積み重ねることで、多分それは努力というお仕着せではなく、自分の理想を求めて、自分が線引きした限界からもう一歩追い込むことを繰り返すことで、いつの間にかこれまでよりも少し高い階層に行きつき、周りを余裕をもって見渡せる、そんな感覚。

自分を解放する、そうした自由を得るために、今、もう一歩頑張る。それを楽しみながらやれるよう、いい仕事に出会いたいなと思うところで。

映画「関ケ原」

圧倒的な価格の安さと、品揃え、近所の店で取り寄せるよりも早い到着に、家電から食品、服飾品までネットが主要な購入手段になる中、数多くの選択肢の中から、直接見れない、触れられないものを、失敗せずに選ぶため、多くの他人の評判を集め、比較し、最大公約数的に間違いのなさそうなものを選ぶという方法が習慣化しつつあるこの頃。

信頼に値するかどうかも分からない、価値観や背景も知らない他者の評価が当てにならないこと、最大公約数の評価平均点が高いものを選ぶと、得てしてつまらない、当たり障りのないものだったりすることは何度も経験しているから、さらに専門家の評価まで範囲を広げたりと、判断に至るまでの情報収集の量、時間が膨大に増えている状況。

直接触れずに、他人の評判だけで判断することで失われるのが直観力で、知らないうちに他人の評価で取捨選択し、将来の判断材料となるはずだった多くの無駄を経験せずに成長することのリスクを、感じざるを得ない。

食事所でも多くの店を知ることで自分の中に基準ができ、新たな店との比較ができる。他人の評価を目にしないから、自分なりの感性で、店を評価できるようになるといった具合に。


さて、そんなことを感じたのは、本日見た映画から。

1800円という料金、2時間超の時間を無駄にしたくないと、おもしろそうだと感じつつ、映画を見る際には、ついついネットでその評判、感想を見るかどうかの最終判断材料にしてしまう、習慣化された行動。

わざわざ映画館でとなると年に1回程度、だからこそ、間違いのない選択をしたいという思いが強く、前回はちょうど1年前、上映開始初日だった「君の名は。」にひかれつつ、評判の高さに加え、映画館だからこその迫力が楽しめそうな「シン・ゴジラ」を選び、期待以上の内容を満喫したもの。

そして今回、ふつふつと映画館で観たい欲求が高まったのが、「関ケ原」。人気タレントを主人公に使った時代劇にありがちな、中身の薄い、若者向けの分かりやすい勧進帳悪、無理のある恋愛ストーリーを恐れつつも、こよなく愛した、原作・司馬遼太郎への期待感から、気にならずにはいられず。

週間興行収入の良さとは裏腹にネットの評判は悪く、その内容は、早口で何を言っているのか分からない、方言が聞き取れない、内容が分からないから字幕をつけてほしい、期待の関ケ原での戦闘シーンが終盤の十数分しかなくおもしろくない等々。

そんな感想に、期待は一気に高まり、これは本物の時代劇映画なのではと、突き動かされるままに映画館に向かったのが、本日。

歴史小説好き、特に、司馬遼太郎好きならば、石田三成や明智光秀を世間で作り上げられたイメージ通りに悪者だと思っておらず、むしろ権力闘争を仕掛けた稀代の傑物と好意的、中には憧れに近い印象を持っている人も多いだろう。

映画「関ケ原」の主人公は、石田三成。最初の場面で、主要人物を演じる俳優の字幕紹介が行われたことに、なぜ、これから映画の世界に入り込む入口で、現実社会にいる俳優の名前を見せるのかと憤るも、そこから始まる映画の内容は、タレント人気を当て込んだものとは一線を画す、本物志向。

早口、内容が分からない、最大公約数として上位にあがるこの映画の評判の理由がビシビシと伝わる、この映画のターゲットは、まさに本物の歴史好き。ストーリーのテンポを妨げる、遠回り、無駄な素人向けの歴史背景の説明はとことん省き、歴史を知っている前提で、関ケ原という舞台で全国を巻き込んで行われた豊臣と徳川の権力闘争を、人間模様、時勢の流れを掘り下げながら展開していく。

歴史を知っているならば、なによりも司馬遼太郎作品を読んいるならば、映画の速いテンポがこ気味良く、ああ、あの場面だなともちろんストーリーにも十分ついていけ、北政所の三河弁もその意味を理解するのに労せず、そして、これは教科書だけで歴史を学んできた人が見たら、絶対についていけないだろうなと感想を持つことだろう。

原作本を読んだ直後にドラマや映画を見ると、その違いが気になり、ストーリーに入り込めないものだけど、司馬作品の中でも傑作の部類に入ると読みこんだのが20年前だから、その記憶は断片的で、映画を楽しむにはちょどいい加減。これは、かつて司馬作品にのめり込んだ人たちこそ、楽しめる作品だろうと思いつつ。


最近は、反薩長史観という言葉があるように、勝者が作り上げてきた歴史を、史実を見直し、否定する流れがあるよう。どこかの国のように、醜い権力闘争に明け暮れ、外国勢力に付け入る隙を与えるまでに国力を衰退させた過去の事実を直視せず、美しい宮廷ドラマで過去を美化するだけの、現代人が都合よく作り上げた、歪曲された歴史しか認めないようなことは論外としても、やはり、勝者が作り上げたのが歴史であり、それは正史として、国家が継承すべきものだろう。

勝者の歴史を正史とするために、過去の史書を焼き捨て、歴史を塗り替えてきたのが中国だけど、それをしなかった日本において、また違う視点からの史実があったからといって、正史を塗り替えようとするのは、また違う。それはそれで尊重し、言うなればもう一つのストーリーとして、国家のアイデンティティを左右する正史としてとらえず、知識レベルの楽しみとして活かするものだろう。

徳川幕府という強大な権力があってこそ、幕末志士の活動が輝き、明治維新政府があってこそ、南洲翁の内戦も意義が生まれる。そして、徳川家康という壮絶な制度改革で武家の力をコントロールし、戦国時代を転換させ、江戸300年の平和を築いた正史を彩る人物がいるからこそ、正史によって消されたそこで展開された陰謀、悪行に対し正義、正論を振りかざし戦った石田三成という人物が映え、その一端を、島左近、大谷刑部、直江兼続といった当代一流の人物の信を得ていたことで推し量り、秘かに楽しむのである。

源頼朝が、足利尊氏が、織田信長が、豊臣秀吉が、徳川家康が天下を取る過程の小さな詐術、陰謀の事実を暴き、もって正史を汚す意味などなく、これらの偉人が、天下を治め、真正面から新しい世の中を創造した結果こそ、国家として最も評価すべき偉業であり、それが、現代社会へと紡ぐ礎になっているのだから。


さて、余談が長くなったけど、歴史好きなら映画「関ケ原」は、世間的な評判など気にかけず、映画館で見るべき作品だろう。久しぶりに、2時間30分という時間があっという間に流れる、いい作品に出会えたと思いつつ。

ためにする批判

批判するためにする批判ほど無駄なことはなく、耳を傾ける必要もない。

森友学園にしろ、加計学園にしろ、自衛隊日報にしろ、野党や朝日・毎日等の左翼系新聞が問題だと声高に叫ぶ主張は、政権を批判することだけが目的で、国をより発展させよう、社会システムを改善しようという建設的な発想が全くないから、心にも響かない。

印象操作でイメージを悪化させ、低下した支持率により政権交代につなげようとする短絡的、姑息な手法を誰が支持するというのか。結果、これだけ国会答弁を繰り広げながら、蓮舫・民進党が目指す国家像が全く見えてこない。目の前の些細な問題を、重箱の隅をつつくように嵩にかかって責めたてることが、民主党時代からのお家芸だが、その急先鋒だった原口一博、長妻昭、枝野幸男、蓮舫等が、政権の中枢を担う側へと立場が変わった時、目指すべきビジョンなど持ち合わせていないものだから、国務大臣として全く機能しなかったことは、周知の事実である。

これらの問題は、単純に政治家同士の権力争い、官庁の主導権争いであり、この問題に時間を割くことは、国家の糧には何にもならない。そして各々マスコミが便乗し、自分の思い通りの社会を作る政権を樹立しようと扇動しているだけのこと。それをしっかり認識したうえで、この無駄な議論を楽しむのならいいけど、たかだかこの程度の問題で、政権支持率が大きく影響を受けるのだから、国民の無知を嘆くべきか、マスコミの影響の大きさを憂うべきか。

長期政権で緩んだタガを締めるくらいのことで済めばいいが、これからの4、5年、世界的な低金利環境の見直しによる大きな経済変動が予測され、日本においても平成37年(2025年)に団塊の世代が75歳以上の高齢者になり社会的なシステム変革が求められるこの時代に、政権を任せられる人物が安倍さん以外に見当たらない。

言うまでもなく、石破さんは軍事的な知識はあっても、国家を導くビジョンは持ち合わせてなく、地方創生大臣の時のように様々な要望を飲み込むだけならば、とても財政の厳しい国家運営は任せられない。主義主張もよく分からない岸田外務大臣がなぜ総裁候補なのかは未だ理解できないのだけど、いまさら古賀誠を背後に持つハト派の宏池会を復権させても仕方がないこと。2021年まで安倍さんが任期を延長し、東京五輪を成功させた小池都知事が自民党総裁として首相にというのがきれいな流れだけど、目に見えない権力争いで思惑通りに動かないのが政治だから、さてどうなることか。

いずれにしても、小池さんは小泉劇場型政治の感があるから、地方政治に本腰を入れて取り組み、パフォーマンスではなく、地道な行政運営で実績を残せたら、自然と声がかかることになるだろう。

世間の評価は別にして、今回の加計問題では、文科省の不手際への指摘しか聞こえてこない。「忖度」という言葉が流行しているが、行政が国民の負託を受けた与党の政治家、政権の意向を踏まえて業務を行うのは当たり前の話で、行政には政治の判断を実行するための、運用面のルールがあるに過ぎない。政治の介入で、運用面(行政)のルールが変えられたと批判することは本末転倒の話で、まさに中央官庁が国家を運営していると錯覚している、官僚の傲慢に過ぎない。

この問題の本質は、既得権益を守るため、競争を引き起こす新規参入を阻止するために作り上げた規制を、国家の成長を優先し、緩和することの是非を問うこと。業界団体と政治、行政、利害関係者が結びつき、規制や税制、補助による優遇措置により、一部の既得権益者を潤す国家にはびこる悪習にどう対峙するか。農協、パチンコといった表面化しているものだけでなく、石炭や自動車等の産業、弁護士、医師、看護師等の資格などその内容が多岐にわたる中、その一端に過ぎない獣医師程度の問題で、これほどの便乗騒動になるのならば、今後、誰がそのリスクを負い、国家の利益のために改革を行うことができるのか。

国家の利益という視点で物事を批評しないから、マスコミの言動は軽く、それを好む人たちによるつまらない扇動しか生み出さない。

この流れがいつまでも続くわけではない。日本が進むべき、もっと大きなビジョンを国民に見せることができたなら、これまでの些細な問題が政権判断の要素ではなかったことに、それが自民党内の他の政治家や民進党など他の政党に担えないことに、多くの人が気付くだろう。ここが潮目と勝負に出てくる政治家、省庁の対応を客観的に見ていると、それはそれでおもしろいものではあるのだけど。

自民党の傲慢さから垣間見えた、危険な兆候

科学的根拠に基づく、国民の健康増進、それに伴う医療費の削減に効果が高く、国際的な流れ受けて進められた受動喫煙防止策が、JT(葉煙草農家)や飲食業界、喫煙比率の高い自民党支持層等の既得権益からの反対により、延期となる。

所詮政治とは、合理的な判断を不当に歪める、無駄な手続きに過ぎないのか。

自民党政治の凋落は、既得権益の保護者という存在が国民から拒絶されたことから始まり、再び、現在の自民党政治が支持を得ているのは、決してかつての潮流に回帰したからではなく、単に、既得権益を代表する自民党政治、官僚主導の行政を否定する、官邸を中心とするトップダウンの手法で、長期的視点で国家の利益を追求する、安倍政権への指示に過ぎない。

現在、政権バッシングとして利用される長期政権の弊害という主張は、官邸により押さえつけられ不満のたまる自民党議員、政権交代だけを目指し主義主張に関係なく政権の印象を貶めることだけに躍起な民進党議員が、お互いに共通利益を見出し、共に主張しているに過ぎない。

その忍び寄る危機的な予兆は、その問題の本質を見抜き、いつもの民主党のから騒ぎと捉えられている森友学園や加計学園のような、本来国政に影響のない小さな問題からではなく、受動喫煙防止策に係る法改正延期にこそ見るべきで、これこそが、かつての自民党スタイル、国民が拒否反応を起こす、国家ではなく、少数の既得権益(自民党支持層)保護を優先する、旧態政治への回帰と、次期政権における、自民党の凋落を予感せざるを得ない。


アメリカや欧州で起こる、国民意識の高まりを背景とした政権交代の風が、なぜ日本ではふかないのかと話題になったことがあったのだけど、答えは簡単で、日本は数年前に既にその経験を済ましたからに過ぎない。

昨今のトランプ旋風やブレグジット、フランスでの保守政権誕生と騒がれた流れは、無責任で財源根拠のない理想政策を掲げ、国民の生活が第一と、ポピュリズムを前面にだして誕生した、民主党への政権交代そのものと言える。日本はこの経験から、理想を追い求める社会民主主義が、決して国家を強く、豊かにせず、社会システムに混乱しか招かなかいことを肌身で知ったから、ただ、理想だけを声高に掲げる存在に、支持が集まることがない。

本来、既得権益の破壊、岩盤規制の突破こそが、民進党に対する国民の期待で、自民党への有力な対抗手段だった。加計学園による獣医学部新設は、まさに特区制度により規制緩和を実現するもので、本来、民主党が攻めるべきは、なぜ、このような規制が未だ残るのか、他にも同様の規制が多くあるのだから、それらを洗い出し、規制撤廃をさらに推し進めろ、という一点であるべき。

つくづく思うのだが、蓮舫党首は民進党議員の典型で、勉強面の頭の良さはあるから、物事の細部のミスに気付くのは得意だけど、全体像を描けないから、物事の追及が小手先に留まり、本質を突けず、新たな発想による提案もできない。プライドが高いからか、自分の視野から考えが外に出ることができず、ビジョンの共有がないから、彼女の主張が心に響かず、共感しようがない。

つまり、官僚として一仕事をする上では優秀なのだろうけど、政治家、特にリーダーには向いていない。

威勢は良くて、主義主張の中身を問わない社会民主思想でつながる支持者は盲目的に支持するかもしれないが、それが広がらないのは、その中身がないからに他ならない。

今回の、旧態依然とした自民党の本質が垣間見えた今こそ、あの酷かった民主党政権の前の、さらに忌み嫌われていた森前総理、旧竹下派の時代への逆戻りをにおわせ、かつての民主党がお得意とした改革を訴えることが、民進党の生き残る道であり、現政権に緊張感を与え、政策に政治が反映される、正しい姿と言えるだろう。

もう少し強権的に動けば、いろいろな物事が合理的に動くだろうにと思いながら、着実に結果を積み上げる安倍政権のしたたかさには、感心するところが多い。物事を決めるうえで、多くの段階を踏むことにより、多面的な意見を取り入れる、不合理な制度が民主主義だというのなら、与えられた機会を、利己的な政権交代という小さな目的のためではなく、目の前で直面する様々な問題の解決に向け、国家のために費やしてほしいと思うばかりで。
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Author:hiro

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