COUNT-   T-  Y-

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今の世の中を憂う

あー、気持ち悪い。

なんだ、この今の世の中は。

保守政権が長く続く弊害か。

日本人、東アジア人の持つ本質的な特徴か。

そこを刺激されると先導されやすい人種だから、歴史を振り返ると、そして他の東アジア国家では今でも、社会に階層を設け、強い権限、権力で社会をコントロールする仕組みが設けられる。

日本においては、時に沸き起こる大衆迎合主義的な大きな動きを、社会をコントロールする政治の主体を保守が担うことで抑え、東アジアに導入可能な独自の民主主義の形を作り上げたものの、アラブの春を蜂起させた、SNSという大衆煽動しやすいツールの国民への浸透により、大衆を思想統制し、社会転覆を目指す、革新的な思想が、基本的な思考として根付きつつある。

そして、それが一事象、時には国家運営にも影響を与える状況になりつつあるから、嫌悪感を通り越して、今の懸念、将来への恐れに変わりつつある。


ここ最近起きた多くの事件・問題と呼ばれるものが、同じ経路をたどっていることに気付く。

社会を、仕組みをより改善するための建設的な議論が行われず、感情のはけ口のように、個の責任を糾弾し続け、相手の首を取ることばかりに執着するのか。

それは、ここ最近起きた事件の全てから感じてきたこと。貴乃花親方、サッカー日本代表監督のハリルホジッチ、日本レスリング協会の栄和人、森友・加計等々。

なぜ、単なる組織内の政治闘争に、ここまで世間が介入するのか、内情も分からず、何が正義かも判断できないものが、反対勢力者に安易に加担し、組織内で判断すべき結論を歪めることの責任に思いが至らないのか。一億総裁判官気取りで、自分勝手な正義をかざし、出る杭をたたく、人の人生を貶めることを喜々とする、いつもの国民性が大きく出ているのか、いや、江戸時代に制度化された5人組制度、卑しき相互監視社会を受け入れるこの国の国民の性質が、匿名性の高いネット社会で解き放たれたのか、等々考えていたのだが、ようやく一つの解にたどり着く。

今起きている事象、国会での議論、マスコミの報道(自らの作り上げたストーリー通りの発言が得られなければ、記者会見をもっても、真相は今回も解明しませんでしたが発言する厚顔振りは相変わらず)、ネット世論、このつるし上げは、日本赤軍の総括、中国・文化大革命の自己批判、そのものではなないかと。

アメリカ大統領選でロシアが情報操作を行ったように、この日本の世論を、日本人の根底に持つ感情を刺激する形で、SNSという大衆煽動しやすい手法により、コントロールしようとする動き。それが「インターネット上では」という大きなうねりになった後では、それが発生した原因が究明されることはなく、マスコミ報道による拡散により、一つの国民世論として形作られる。

そうして、少なくともこの国の利益のためではなく、この国家をコントロールしたい人たちがいることを忘れてはならない。

こうした認識で見ると、日本におけるSNSの野放図、それが世論を形成する現状、この仕組みが非常に危険で、それをコントロールする仕組みが必要なことが見えてくる。

本来これらの問題は、日本の仕組みを変える必要があるようなものは、飛行機事故における検証と同様、関係者の責任は一切問わない、その代わりに現状、問題点を洗いざらい表に出し、その上で、同じ問題が起きないためにどのような方法が望ましいかを検討し、そして、これからの仕組みを作っていくべきこと。

なんでもかんでも責任ばかり問う、この異常な社会が、個人を、組織を守るために、物事の本質を隠し続けざるを得ない状況を作っている。本来問うべきは、個人の、組織の責任ではない。今の仕組み、システムの問題点であるべきだ。

ただ、物事の本質の改善を望まず、政治闘争としての個人、組織の糾弾を目的としている輩が今物事を動かしているのだから、この状況が当面変わらないことは仕方ないとしても、そうした人たちが裏にいることだけは、これからも様々に起きる問題を前にしても、認識しておく必要があることだろう。


余談として、ハリルホジッチ解任は、単に日本人のコミュニケーション能力のなさ、面従腹背を許容する精神、赤穂浪士を崇拝する思考、つまり、意見の異なる相手に自分の主張を述べることなく、その立場を保身するために相手に迎合し、相手が弱った一瞬に首を取りに行き、それが正義と賞賛される世界の常識から外れた国民性なのだから、この解任にハリル戸惑いを覚えるのは当然で、その怒りに対しては、ひたすら謝るしかないはずなのだけど。外国、特に様々な人種で社会が構成され、異なる価値観の中でお互いに話し合いながら仕組みを作り上げていく欧米社会では、発言しないことは容認していることを意味し、自分の意見を示さないそうした人間が評価されることはない。その思想に合わなければ、そこを出て行けばいいだけのこと。裏から手を回した、汚い日本的手法を使う日本代表2名が、W杯代表から外されることがせめてもの日本人の美徳を表す機会かと思っていたけど、彼の出来事は過去のものとされ、主力として出場するというのだから、はや今代表には興味さえ失いつつあるところだけど。
スポンサーサイト

女性専用車両問題に思う

最近は女性専用車両問題が話題になったのだけど、相変わらず論点のずれた議論をしているなとあきれながら見る。

内容は、女性専用車両に抗議するため、同車両内に居座った男性客を批判するもので、女性アナウンサーからも、痴漢被害の状況から、女性専用車両の必要性を訴えるというもの。


この国の性差別の根幹は、男性が社会システムを作る仕組みの中で、男性だけで女性保護を考えることにある。有識者と言われる日本の知識階級の発想は相も変わらず、全ての女性を弱者に位置づけた上で、男性はそのために生じる不利益は我慢すればいいという、「男は弱い女を守るもの」という偏見に満ちた前近代的なもの。そして、過剰に保護される恩恵を、女性は当然の権利として享受し、この仕組みこそが女性の権益の最大化につながるとばかりに、影響力の大きい団体はさらなる要求を突きつけながらも、その仕組み自体を批判することはない。

性別による差別を許さないという本来あるべき思想がなく、男性は男性主体の仕組み作りを正当化する手段として、女性は利己的な権益拡大のための手段として、都合のいい方便として利用し、結果、世界的にも先進的な女性優遇社会ができ、体制側と圧力団体でお互いの利益の最大化が図られているということだけの、ご都合主義のシステム。

結果、その弊害を受けるのが、その歪んだシステムの中で日常生活を送ることになる男性ということになる。

いまさら、その歪んだ仕組みを列挙することもないだろうけど、離婚後の子供の親権問題では、国際的にも子供の連れ去りとしてハーグ条約違反と問題視されるように、本来、親の関係性にかかわらず、それぞれの親が当然に持つべき子供を育て、会う権利でさえ、日本社会の特殊性という意味の分からない理由により男性裁判官が、面会さえ女性の判断に委ねるような、一方的な女性有利の判断を下す。痴漢のえん罪発生や売春防止法しかり、男性視線で作った、男性だけを律するための仕組みがあらゆるところに存在している。

思想的に平等主義の人たちならば、そうした性別による過剰な保護や、一方的な制裁を、逆差別だと憤るべきだが、そのような声が上がることはない。マスコミのコメンテーターは、世間受けがいいように(世間から批判されないように)、さらに男性側に厳しい罰則を求め、女性はまだまだ優遇が足りないと、さらなる要求を求める。

所詮は、こうした人たちが、世論をコントロールしようとしているんだから、日本の社会システムなど変わるわけがない。


今回の女性専用車両の占拠は、男性による、そうした歪んだ仕組みに対する抗議で、異常者の行動として目をそらすのではなく、本来、問題の本質を深く追求すべきこと。どうして、通勤時間帯の満員電車の中に男性が押し込められる中、女性はスペースに余裕のある専用車両で優遇されるのか。どうして、男性のみに乗車車両の制限が設けられるのか。当たり前のことだけど、男性は痴漢する可能性が高いから、全ての男性を排除するという方法は、法の下の平等をうたう憲法に違反し、許されない。


この問題の本質は、なぜ、痴漢の誘惑に駆られるような環境を、鉄道事業者が提供しているのかということに尽きる。

なくした財布が戻ってくることや、自動販売機が壊されないこと、災害時に盗難が発生しないことなど、自分を律する行動を世界で賞賛されることもある日本だが、その根本には、身近には近所の目(村社会)、最近では防犯カメラや万引きGメン等の仕組み、大きくは信頼性の高い警察システムにより、それを許さない社会システムを構築していることがある。そのため、社会システム自体が一時的に崩壊した東日本大震災下の東北地方では、避難者住居や立入禁止区域住居で多くの盗難が発生し、世界と変わらない状況、そして、日本社会の安全・安心が社会システムにより構築されていることを明らかにした。

それは当たり前のことで、本来、自己欲求最大化のためにエゴとエゴがぶつかる人間同士が協調して生きていくために作られた仕組みが社会であり、それをコントロールする方法が法律であり、その実現の手段が社会システムなのだから。

まず、法律に違反するような犯罪が起こらないためのシステムを作る必要があり、その犯罪が起きた際には、犯罪を犯した人を一律に責めるのではなく、システムとして問題がなかったのか、その犯罪が起きないためにどうすべきかを考え、常にシステムを改善していく必要がある。例えば、スーパーに店員も、防犯カメラも置かず、万引きの誘惑に駆られるような環境を作ることや、試験会場で試験官が読書にふけり、監視の雰囲気を作らないこと等々、そこで起きた犯罪や違反行為以上に、人間の弱さを誘引する環境を提供したことも責められるべきことだから。

そうしたとき、全く身動きが取れず、あらゆる行為を誰からも咎められる可能性が低い、乗車率100%を超える満員電車の環境を提供されていることを、当然の前提として捉えていいのかということになる。

まず責めるべきは、鉄道事業者であり、鉄道事業者は犯罪が起きる環境を提供していることを真摯に受け止め、自治体とも一体となり、その対策を検討すべきである。

道路網では当然のように求められるハード・ソフトの整備が、さらに環境の悪い状況が数十年と続く鉄道網では当然のこととして受け止められ、十分な事業収益を上げながら、鉄道事業者の不作為を許容している現実。さらに、地方公共交通機関のような赤字路線の維持のための必要収益の確保とは状況が違う、大手私鉄をはじめ上場企業が居並ぶ環境であることも認識しておく必要がある。

【全体】
○ 輸送許容量に対応可能な範囲内でのまちづくり(居住環境の整備)
○ 混雑時の乗車率100%以内を実現する鉄道網の整備(ハード整備)
○ ハード整備と合わせた、まちづくりをコントロールする仕組みや乗車率100%以内実現に向けた対策(ソフト対策)

【ハード整備】
○ 新規の鉄道網の敷設
○ バスも含めた公共交通機関全体での輸送網の整備

【ソフト対策】
○ 定期券の発行制限
・ 目標乗車率実現に向けた乗車人数のコントロール。定期券発行数を制限するとともに、割引率の高い法人定期券制度を導入し、個別企業には割り当て。輸送許容量を超える沿線では発行を制限し、企業の移転促進や新規立地を制限。長期的には、企業や人口の地方移転を促す。
※発想はアメリカの高速道路EV専用車線や、中国の自動車ナンバー発行枚数制限、ナンバーによる自動車運転可能日制限等々と同じ。社会システムの円滑の運用ためには、個人の権利が一定程度制限されることは受け入れるべき
※全ての利用者が乗車できるように、運行本数を限界まで上げる、スピードをあげる、車両に全員乗れるように押し込むという発想を変え、安全・安心で快適な乗車環境の提供という原点に戻る。そうしないのであれば、痴漢被害、窃盗被害は、環境提供した鉄道事業者が民事訴訟において主たる責任を負うことを明確にする

○ 定期券の利用時間帯制限
・ 法人定期券については、朝・夕方の混雑時間帯について、利用時間帯を設定。利用時間帯ごとの発行上限を設け、同じ時間帯での更新を前提とする。

○ 公共交通機関全体でのコントロール
・ 定期券割り当てに関しては、鉄道、バス等全体でコントロールする。
※全体管理はコストがかかりすぎるため、システムに企業が合わせることは許容する。システムの不便さから、企業や人口の地方移転を促す。

○ 専用車両の導入
・ 乗車率50%未満等のゆとりある環境を求める乗客用に、追加料金で乗車人員を制限する専用車両を用意する。定期券利用者は対象外(追加料金負担でも利用不可)、利用希望時は別途チケット購入。専用車両には乗務員を配置し、乗車時の確認、車両運行の安全確保、乗り換え案内等のコンシェルジェサービス(英語対応)を提供する。
※追加料金は距離にかかわらず500円等。目標乗車率達成の需要動向や乗務員人件費を踏まえて価格設定

○ その他
・ 過去の痴漢被害で男性恐怖症となり、男性と同乗したくない人は別の問題なので、鉄道事業者で治療費等負担することで対応。


等々と、とりあえず目指すべきシステムに変わりうる仕組みを、思いつくままに列挙。

こういうことは、まちづくりと鉄道事業者の専門家、利用者が、よりよい合理的で、効果的な社会システム改善のために検討すべきことで、女性保護などという配慮すべき一課題を、問題の本質に置き換えるから、誤った方向の議論がなされ、感情論からそれに反対する雰囲気がなくなり、いつの間にかなんとなくの空気でそれが制度として成立してしまう。

それは、責任を逃れる日本人の特質で、和を乱さずに合意に至ることを調整と勘違いし、声の大きな人に迎合して結論に至る、結果的にそのシステムを利用する大多数の人たちに不合理を押しつけ、数十年に及ぶ多大な社会的損失を発生させ、大きくは国力、国際競争力さえ低下させ、将来に取り返しのつかないつけを残す。

結局、医療も、年金も、少子高齢者化も、今問題といわれている多くのことが、過去のこうして作られた世論の風潮に影響を受けた、政治をはじめとする当時の判断の結果にいきつく。

現状が当たり前ではなく、物事の本質を捉え、本来はどうあるべきかを論じるべきではないのか。スケープゴートを作り、問題の本質をずらそうとする思惑まみれの報道、そしてそうした情報をもとに、所詮は上辺の感情的な批評に終始するネット。新たなシステムの変革が起きながらも、十数年前から、この国の社会は何も変わっていないのだなと情けなくなるばかりで。

マラソンシーズン終了

先日、目標としてきた大会を走りきり、今シーズンのマラソンを終了。

9月から練習を開始し、防府市の幸せますマラソン(14.6km)をステップに、萩市の城下町マラソン(ハーフ)はエントリー忘れで久々に欠場するも、年末から一気に追い込みを開始し、レース距離5kmを目標スピードで走りきれるよう、半年間に及ぶ練習で体を作り上げていく。

ただ振り返れば、練習量を増やし、負荷をかければタイムが上がり、2月中旬にはきっちりと体が仕上がる、というこれまでの経験則が通じなかったのが、今シーズンのマラソンだったけど。


雨の日以外はほぼ毎日練習し、週末には10kmの長距離と400mダッシュのスピード走、平日は深夜に3km走のタイムトライアルと、しっかりと追い込むのだけど、平均ラップが1km4分を切れず、かつ、3kmを超えるとスピードが一気に落ち、いつまでたっても5kmを走りきれる体に仕上がらない。

1月中旬からは、毎週末、本番コースに試走に行くも、これまでのように、練習回を重ねるごとにタイムが大きく短縮する状況にはならず、最後まで1km4分ペースを切ることができずに本番を迎える。

そして結果は、5kmを19分20秒で、1km3分52秒ペースと、なんとか4分/km切りを果たす。


最低1km3分50秒切りを目標に、それを達成するだけの十分な練習はしてきたはずなのに、本番でのタイムアップも目標までは届かず。5km以下のマラソン大会で1km3分50秒を切れなかったのは、マラソン大会に初めて出場し、計画的な練習方法も知らず、シューズへのこだわりもなかった17,8年前以来のこと。

いつも通りの練習負荷をかけ、スケジュールを逆算して仕上げながらのこの結果に、年齢面による影響しか考えられず、今後は、練習方法自体を見直す必要がある。今回も、あまりにも伸びないタイムに、様々に葛藤し、練習方法も工夫したのだけど、抜本的な見直しを研究していきたい。

年齢を重ねれば、体力も、瞬発力も、心肺機能も落ちるのは当たり前なのだけど、自分よりも年配の人たちが、とても手の届かないレベルで走り続けていることを思えば、それを言い訳にするのはまだ早い。とはいえ、マラソンに人生を捧げるつもりはさらさらないから、できるだけ練習量を増やさず、効率的に速くなる方法を見つけていきたいところ。

そして、マラソン練習をしながら、つくづく実感したのが、今年の冬の寒さ。1月中旬から2月上旬にかけては、22時を過ぎて帰宅する頃には、車載温度計がマイナス2度を表示する日が何度あったか。その寒さの中にあって、追い込み時期は、足の可動域を広げるために短パンで走ったりするのだから、気持ちが高ぶっているとはいえ、まさに震えながらの練習に。


振り返れば、毎日どうすれば記録が伸びるのかと悩みの日々だったのだけど、自分と向き合ういい機会になり、選択肢として短い距離を選ぶこともできたのだけど、逃げずに、そして、諦めずに自分を追い込む努力を続けたことには、結果としての記録以上に満足していること。

何事もそうなのだけど、結局、自分から逃げること、楽をすることを選ぶと、いつまでも大きな後悔を背負うことになる。あのときああしておけばと思うくらいなら、考え得るベストの方法で、今の全力を傾ける。そこで思い描く結果が得られなくても、その次に、もっと前向きな一歩を踏み出すことができるから。

今日の練習が、必ず自分の力になる。今日一日さぼれば、必ず本番で後悔する。ただそれだけが、深夜、極寒の中での練習のモチベーションだったものだから。

二十歳の旅人に

何かと話題に上った、今年の成人式。これまでマスコミで扱われるのは、荒れる式典の状況一辺倒だったのに、「はれのひ」問題を機に、いかに新成人にとって、成人式が重要なイベントなのかということがクローズアップされ、それはそれで、一般の人々にとって、今の若い人たちの感覚を知るいい機会になったのではないかと思う。

とかく、物事の一面に過ぎない些細な出来事を切り取り、誇張し、いわゆるニュース性のある内容に仕立て上げ、各局が同じ内容を繰り返し報道するものだから、その大局を知る者から見ればいかに報道が真実を捻じ曲げ、編集という名のねつ造を繰り広げているかとマスコミへの不信を募らせ、その情報を持たない者から見れば、いかに現在の社会が問題を抱えているかと印象操作の織り込まれた虚位ニュースを信じ、社会や政治への不信につなげているのが現状。

そうした中、アクシデント的な事件が起きることで、情報の受け手がこれまでのマスコミ報道に何かしらの違和感を覚えることは、この先の小さな変化につながるきっかけの一つになるのではと期待したくなる。


世の中の大半を構成するのは、真っ当に勉学に励み、社会の一員として働き、給与を稼ぎ、家族を養い、欲しいものを購入し、ときに旅行にも出かけ、そうした人生を楽しむ、いわゆる普通の人々。だからこそ、真面目に働き、地域社会の構成員として地域・国家に貢献する、そうした人たちを中心に置いた政治・行政がまずは行われるべきで、そうした施策の基本は、家族とともに豊かな暮らしが可能な十分な所得と時間が得られる中間所得層を育て、その厚みをできるだけ大きくすることを目指すべき。そして、それを基本とした上で、そこで生まれる余力を、社会保障等において、最低限の生活を保証する原資として活用するのが、本来のあるべき姿だろう。

そうした、これからの社会の中核を担うべき人たちの門出において、脚光を浴びるべきはをこれからの社会の一翼を担う普通の人々であり、そうした人たちの(少し肩に力の入った)将来への抱負を聞き、既に社会を構成する人たち、既に社会を卒業しようとする人たちに日本の未来への安心、期待を抱かせる、そうした儀式としてあるべきではないかと思う。

そうした意味で、成人式を晴れの舞台として、素直に成人式に出たいと思っている、そういう普通の人たちが脚光を浴びたことで、新成人にとっては、今でも社会に出る一つのけじめの儀式として意義のあるものなのだと、単なる若者がはしゃぐための同窓会の機会を作るために、行政が市民の税金を無駄使いしているというこれまでの批判も少しは和らぐのではと思うところ。


思えば20年前の成人式、大学2年度の単位取得の最難関と目された刑法の後期試験を2日後に控え、早々に成人式の出席をやめることを決断、駅前マックで試験勉強に集中する一日を過ごす。そもそも、実質的に社会の一員になることを示す元服などの儀式と違い、現代社会により作られた形式的な行政主催のイベントにさして興味がなく、同窓会も行けば行ったでおもしろかっただろうけど優先順位は低く、それよりも目の前の壁に全力を尽くすことを優先した当時の判断は、自分らしいなとこの時期が来ると振り返ったりする。

男性と女性でその捉え方も違うのだろうし、昨今のSNS活況の裏にあると言われる他人に認められたいという承認欲求や自己顕示欲を強く持つ若者たちが増えていると言われる状況などを踏まえると、今回の騒動もまた違った見方ができると思っていたりするのだけど。

山口ならば、「ふが悪い(運が悪い)」の一言で済まされてしまいそうだけど、まあ、様々な要因が複雑に絡み合い自分の思い通りにいかないことが社会には多くあり、そうした経験を積むことで、同じような場面に出くわしても、事前に察知し、知恵を絞り、自ら行動し、周りの人も動かし、そうしたことを避け、さらにいい結果を出せるようになってくるものだから、今回は、いい流れにない中で起こった仕方のないことだと受け入れることも、これからの流れを良くするための一つの方法だと思ったりする。そう、人生後十年もすれば、この騒動を振り返ったときに、単に社会の、一業者の責任だけではなく、自分に足りなかったこと、どういう選択肢があったのかということ、どういう行動がとりえたのかということ、今の悔しさもいい思い出として懐かしさに置き換わり、そうした成長も感じられることだろうから。


・・・・・・・・・・・
さて、本題。成人の日に日経新聞に掲載されたサントリー広告が印象的で、最後に伊集院静の名前を見て納得。そうそう、最近読んだ彼の本「悩むなら、旅に出よ」と同じ感性で心に響いてきたものだから。

「独りで、旅に出なさい」

二十歳、成人おめでとう。
今日から大人と呼ばれても、ピントは来ないだろう。私もそうだった。
今、君は自分がどんな大人になるのか想像もつかないだろう。
どうしたら君の、自分なりの大人の姿が見えるだろうか。
そのためには、いろんなものを自分の目で見て、さまざまな人と出逢うことだ。
私の提案は、旅だ。それも若い時に、独りで旅に出ることだ。
日本でも、海外でもかまわない。一番安いチケットを買いなさい。金がなければ、
君の足で歩き出せ。自分の足で見知らぬ土地を歩き、自分の目で、手で、肌で
世界に触れることだ。
どんな人がどんなふうに生きているかを見ることだ
インターネット、テレビ、新聞、書物で知る世界とはまったく違う世界だ。
世界は君が考えているより広く、大きく、豊かで、また切なく、貧しくもある。
独り旅はまず、自分がまだ何者でもないことを教えてくれる。
自分の力で歩くことが、人生の、生きる基本ということを学ぶだろう。
若い時になぜ旅が必要か? それは若い新鮮な目にしか見えないものが、今の
純粋なこころでしか獲得できないものが、間違いなくあるからだ。
旅に疲れたら、夕空を、星を仰いで一杯やればいい。
苦くて、美味い、旅の酒の味は、生涯の宝になるはずだ。
二十歳の旅人に、乾杯。

伊集院静  (サントリースピリッツ株式会社)


・・・・
振り返れば、20歳となり、成人式を出ずに臨んだ後期試験を終え、長野オリンピックが開幕を迎える2月上旬、初めての海外、タイ・バンコクを目指し、パキスタン航空の往復チケットだけを手に日本を発った、独り旅。

そこで得たものは、旅行記でも記したとおり。バンコク到着翌日に街中に向かって道を歩く途中での地元の大学生と出会い、そのまま大学についていき始まった2週間の学生寮での生活、マレー鉄道に乗りたいとシンガポール、マレーシアと縦断した列車の旅、少々危険な目にも、体調面の限界も感じながら灼熱の東南アジアで過ごした45日間。

様々な人に出会い、なにより人の温かさ、親切に出会い、20年間作り上げてきた自分という存在の小ささ、日本と関係なく世界が回っている現実を肌で感じ、その経験一つ一つを心に刻んだ、自分の原点。駆られたように出かけた、20歳というタイミングの凄さ、もっとも感性が鋭く、感受性も豊かで、それでいて社会に交わるのに必要な落ち着きと、視野の広さを持ち始めた時分。日本人の集まりを避け、現地の人たちとの接触を楽しんだ、今にも増してとんがっていたあの頃の自分が好きでもある。

20歳前後の学生時代を振り返ると、本を読むことで、著者と比べた自分の知識や能力の足らなさを感じ、学生社会の環境に甘えない、自分の能力を伸ばす努力や挑戦につなげることができ、旅をすることで、日本に関係なく(日本のことなど誰も気にせず)、世界は動いている(世界の人たちは日々生活している)という当たり前のことを気付かされ、世界の大きさと、自分の存在する社会の小ささ、自分の周りで起きること、日本の社会で起きることさえ所詮は大きな世界に何の影響も与えないちっぽけなことだという現実を全身で感じることで、より広い視野を、より柔軟な思考を身に着けることができたもの。

それは同じ独り旅でも、22歳のタイとも、26歳のタイとも、27歳のニューヨークとも、29歳のトルコとも違う、やはり、20歳のむき出しの感性だからこそ感じ、出会えた旅なのだと思う。

多分、それを経験しているかしていないかでは、自分の根底にある価値観の厚みに違いを生むだろうと思うから、この伊集院静の言葉は素直に響き、もし、二十歳の若者がこれを見ているなら、思い切って、独りでの海外を目指してみてほしいと思う。そこにはドラマのような出会いはないかもしれないけど、SNSやテレビのない中で過ごす、ひとりもの思いにふけ、より鋭くなった頭でいろいろなことを考える時間が、知らないうちに自分に厚みをもたらしてくれるはずだから。

スーパーランニングシューズ

テレビドラマ「陸王」で、マラソン選手にとってのランニングシューズの重要さが、世間にも認知されたところだけど、それは、一流選手に限らず、一般の市民ランナーにとっても同じこと。

いつしか努力に見合う、体力面の伸長に限界を感じ始め、いかに効率的・効果的な練習で、自分の目指すタイムを出すかを様々にアプローチしていくうちにたどり着く、その一つの手段が、シューズやウエアのグレードアップにあるということ。

「タイムをお金で買う」とは、ある種自虐的な表現なのだけど、現実的に、上級者向けのシューズにすることで、1kmあたり10秒程度の短縮を図ることも可能だから、知識を持ち、適切なグッズを着用することは、高い目標を持つランナーにとって必須の手法ともいえる。

ランニングシューズはその効果が最も現れるもので、今シーズン脚光を集めたのが、10月に開催された出雲駅伝で10年振りに優勝した東海大学や、この1月の箱根駅伝で4年振りに往路優勝した東洋大学の選手たちの足元を固めた、ナイキの新シューズ「ズーム ヴェイパーフライ 4%」。これまで主流の軽量な薄底シューズの発想を転換する、厚底シューズ。フォアフット走法などという理屈はもとより、前評判の高くない大学チームの優勝、そして現日本No.1選手の大迫選手着用という事実だけで、一般ランナーの間でも一気に話題に。

10月の出雲駅伝でその情報を得、2万6千円と値段も破格なヴェイパーフライ4%の廉価版、同性能を持つ「ナイキズームフライ(1万6千円)」の購入を検討するも、既に人気しかしておりどこも売り切れ。そして、ようやく入手したのが、NIKE公式サイトで販売再開された12月上旬のこと。

NIKE公式サイト購入のいい点は、購入1ヶ月後までサイズ・色交換や返品が可能なこと。通常26.0cmを履くのだけど、表示サイズよりも一回り小さい感覚との事前情報から、両サイズのシューズで試して26.5cmを購入。店舗内の試し履きと違い、1ヶ月の期間に、数kmを複数回走ることができるから、確実に自分の足に合うサイズを選ぶことができ、シューズ自体が合わなければ返品できるというのは、シューズ通信販売の究極の方法だと思いつつ。


さて、肝心のこのシューズの感想は、圧倒的なタイム短縮をもたらすという安易な期待は裏切られ、やはり、タイム短縮には努力しかないのだと思い知らされる。このシューズは、一定スピードで走り、脚の疲労と闘うハーフやフルマラソンこそ力を発揮し、個人的にメインにおいている3~5kmの駅伝距離なら、むしろ足裏で地面を掴む感覚で走る薄底(アシックス ターサージャパン)の方がスピードが出る印象。厚底は重さがあるから、脚の回転をあげると2km以降にその重さに大きな負担を感じ始める。まあ、それもまだまだ練習途上の状態だから感じることかもしれないけど。

ただ、厚底効果か、練習後の疲労度は大きく軽減。3,4日と連続して走ると、ふくらはぎに痛みが出るなど疲労の蓄積を感じ、段々と練習時のスピードが落ちていくものだけど、このシューズだと翌日の足の疲労度があきらかに軽い。スピードではなく、距離を走る練習なら、このシューズを率先して履いているところ。

たまに仲間と合同練習をしたりすると、案の定、ズームフライを入手していたりし、皆、同じ考えなのだと盛り上がったりする。努力は惜しまず、目標タイムに向けて、正確には去年の自分に勝てるように日々精進するつもりなのだけど、ここ数年は、同じ努力では超えられない体力的な壁を感じ始めていることも確か。そこには、自分を追い込めなくなった、自分の甘さもあるのだけど、それを何とか、最新科学でカバーできないかと思うところがあり。

かつて目指した3分35秒/km切りなど今や昔、今の目標は、遅くとも5kmを3分50秒/km切りで走ること。どうやら最新テクノロジーのシューズに頼れそうにないことは分かったから、引き続き、自分を追い込む、辛い練習にかけるしかないと覚悟を決めているところで。

shoesni1.jpg


      shoessa1.jpg
※ターサージャパンの東京マラソンモデルがカッコよすぎたので紹介
※ナイキズームフライはNIKE公式サイトでの定価購入が安価のため掲載せず
プロフィール

Author:hiro

カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。