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読書について

読書家とは、ドラトエフスキーやトルストイ、ニーチェなりの名著を当然のごとく抑えている方を言うのだと思っているので、どれだけ謙遜しても当てはまりそうにない。本の紹介ばかりしていると、読書量をアピールしたいのかと勘違いされそうだから、そこは自分の程度を自覚していると敢えて書いてみる。

読書とは暇つぶしであり、娯楽の延長とは、そういう誤解を招かないように時に使う少々卑下した表現だが、とりあえず今は自分の血肉になり得るものを選ぶことにしている。小説は娯楽であり一切読まないと自己啓発書やビジネス書を中心に選んでいた学生時代ほどのストイックさはないけど、ビジネス小説も織り交ぜながら幅を広げていこうと。

結局読書とは、知の好奇心を満たすためのツール。土地や文化の好奇心を満たすために旅に出かけるように、本は自分の知りたい知識を与えてくれる。本のタイトルや書評により、自分に足りないピースを見つけたなら、貪欲に吸収したいと駆り立たされる。埋まったピースがさらに視野を広げさせ、新たな知識を渇望する。その繰り返しが読書というものだろう。

じっくり体に染み込ませるように読むから、当然のように速度が遅い。心に響くような言葉には、その情景を頭に思い描きながら読み返し、堪能する。それまで集めた知識を紡ぎ合わせ、一つの解を導き出すとともに、さらなる広がりへと展開していく。至極の時間である。

どういう基準で本を選ぶのかと言えば、知りたい知識・情報という、まさに好奇心。小説に限れば、相性も大事。文章が下手なのは論外として、おもしろそうな内容で、数ページ読んですっと入ってくるようなら迷わない。ビジネス書等は書評を大事にしつつ、それが必要であれば頑張って読む。こうなれば、娯楽より勉強の位置づけに近くなる。

足りないピースを埋めるようにだから、それまで読んできた本とのつながりも要素の一つ。例えば、「スティーブ・ジョブズ」に感銘を受け、企業経営のあり方、製造業の進むべき道、目指す生き方に一つの解を見出したから、経営学として企業経営の失敗と対処法を具体的な事例から描く「イノベーションのジレンマ」で深みをもたせ、さらに金融面から日本的企業経営を捉える「ザ・ラストバンカー」で日本の仕組みとの整合を図る。あるべき姿の知識を持った上で、イノベーションに失敗した事例であり、国内製造業の課題を浮き彫りにする「さよなら! 僕らのソニー」により、世界を席巻した家電業界の没落から、日本の製造業が衰退した原因と、これからどの方向を目指すべきかの解を見出す、といったところ。

仕事においては、業務を通じて経験を積み、新聞等で最新情報を収集するだけでは、物足りない。本による体系的な知識、これがそのすべてをつなげてくれることが度々ある。戦略は、全体像が見えないと組み立てられず、狭い視野ではその場しのぎの戦術論に終始することになる。この人言葉が軽いな、全体が見えていないなと思わせる上司を目の当たりにすると、本は娯楽だからと卑下している場合じゃないなと思ったりするところで。


と、どさくさにまぎれて紹介した「さよなら! 僕らのソニー」は、なかなかにおもしろい。十数年前、過去最高の利益を上げ栄華を誇ったソニーが、出井・ストリンガー体制の下、凋落していく姿は、日本から韓国、中国へと製造業の世界拠点が移っていく状況の縮図にさえ思えてくる。これが紹介したいがために、読書の原点に立ち戻ったところだけど、結局前書きが長すぎて本題に入れずといったわけで。


・・・・・
中途半端になったから、最後に余談。
昨今、テレビ等でタレントが、学校で習う知識を社会に出て使ったことがないと不勉強を正当化する向きがあるが、これを誰も否定せず、半ば学校教育の否定につなげる風潮に違和感を覚えてならない。知識習得のためのより効果的な仕組みや教え方についての前向きな提案ならまだしも、教育内容の否定は、努力をしないことの正当化以外のなにものでもない。

それを選択することの価値は何もない。高校時代にたいして努力をしていない人間だから大層なことも言えないが、勉強は自分が自由を得るための手段と割り切り、当時も言われていた学校の勉強が社会で論など耳を貸す気は一切なかった。学歴で生きていけるほど世の中甘くないが、学歴は確実に自分の選択肢を広げてくれるから。

きっと、今でも先が見える人は、そんな動きを冷やかに見ているだろうが、視野が狭く目先のことだけを考えがちな若者においては、安易にそんな言葉にすがるのではないかと、多様な価値観だの、個人の尊重だの、ていのいい言葉による逃げ道が日常的に存在する昨今だからこそ、もう少し社会で生きる人間が伝えなければいけないのではないかと思えてくる。

結局、どういう場所で自分が生きていきたいかということだろう。欧米のビジネスマンが、教養として欧州の古典や歴史の知識が求められるように、目指す世界があるなら相応の知識を備える必要がある。そこで必要なのは学歴ではなく基礎知識、つまりは教養。推薦入学の横行で既に学歴など有名無実化していると思われるが、学歴が保証するものが従来は基礎知識であった。

残念ながら、中学・高校時代に習得した知識を使う場がないとは、使うステージにいないからに他ならない。その時にしかできないことがある。学生時代に必要なのは、自分が目指したいと思う少しでも上のレベルの人達が身に着ける知識を必死に詰め込むこと。大人になれば、やるべきことが膨大に広がり、既に皆が身に着けている学生時代の勉強を振り返る余裕などないのだから。基礎知識がないなら、取引先や同僚など同じステージにいる人たちとの仕事で生まれる会話についていけないし、仕事自体に影響が出る可能性もある。

知識の詰め込みではなく発想力をなどという意見があるが、発想力は知識のベースがないと意味のあるものは生まれないし、知識とともに社会で必要なのは、本人の能力に左右される発想力より、知識を組み立て解決へと確実に導く論理力にある。

個人的には、高校時代に思いっきり文系に走っているから、化学系の知識には苦労させられる。化学工業でとらえても、石油から最終製品に至るまでは、元素記号の果てしない結合・分離の繰り返し。原油→ナフサ→エチレン・プロピレン・ベンゼン・トルエン・キシレン→ポリエチレン・カプロタクラム・スチレン等々名称程度なら頭に入るが、元素記号をベースに、尿素と硫酸の記号が入っているから、○○に近い製品などと言われてもさっぱりイメージがわいてこない。もちろん、分かりませんでは済まないからいろいろと勉強することになるのだが、学生時代に記憶として定着している知識と比べると、使い勝手は大きく見劣りする。

勉強だけが学生生活ではないが、基礎知識は次のステップへの確実な土台であり、それは積み増しておくに越したことはない。それができる時間と、定着させる能力があるのが学生時代であり、その限られた期間をどう活かすのかを伝えられるのは、その経験をしている社会に出た大人たちしかいない。だから、テレビに対する信頼性の高い日本の社会において、負の影響を与える安易な言葉を軽々しく口にするタレントには辟易するわけである。

とはいえ、必要なのは基礎知識で、過剰な知識ではない。人の成長で大事なのは経験だから、高校時代ならまだしも、小さな頃は受験勉強で過ごすことなく、様々な体験・経験を優先してほしいと思うところだけど。
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