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第45回衆議院議員総選挙につき

いよいよ明日は、衆議院議員総選挙。選挙までに、一度は触れようと思いつつも、結局前日までずれこむことに。

選挙とは、政党及び候補者のこれまでの政治活動とこれからの政策方針を判断する機会。その比重が、不確実性のある未来にではなく、これまでの実績に置かれることは、必然のことといえる。その意味で、マニフェストに掲げる政策の予算的裏づけ、実現性にばかり注目が集まる取扱いには、大きな違和感を覚える。4年間の政治活動を評価されるからこそ、そこに緊張感が生まれる。その評価をせずに、新たに打ち出した政策ばかりが争点になるから、政治家は、通常期の支持率など意に返さず、選挙後に国民の方を振り返らないのである。

過去の積み上げこそ、未来を的確に予測する手法。これは、どの世界でも同じこと。常日頃から、政治を意識することは難しいにしても、少なくとも、選挙時にはこれまでの政治活動をしっかりと総括したい。今一時の判断じゃなく、この先を託すに値する人物・政党を選びたいものだから。


さて、そんなことを思いつつ、今時点ここだという政党がないのは残念なところ。政治とは、信念に裏打ちされた政策実現の場だと考えているが、どの政党も政権取得ばかりに主眼を置き、信念がどこかに置き去りにされた結果、有権者からしてみれば、選ぶ基準が全く見えない。

民主党で言えば、政権を取ることが、政策を実現する最短経路だとは理解するが、その政策が、政権を取るためにブレたのでは、本末転倒といわざるをえない。いったいどういう未来を描き、どういう日本を作っていきたいのか、大衆迎合よろしく総花的な旨みばかりを盛り込んだ政策を掲げ政権をとり、いったい何ができるのか。公約違反という鎖にしばられ、財政再建という重りをつけながら、右往左往している姿が目に見える。公約実現と、一過性の対処療法に終始し、自民顔負けのばらまきをやられると、日本失望から諦めへのトドメとなり、さらに性質が悪くはあるのだが。

だからといって、自民党を評価することは、全くない。どれだかマニフェストで美辞麗句を並べようと、政府と自民党間の調整の結果、その政策の多くが骨抜きに終わった事実は、誰も否定できない。今の仕組みである限り、マニフェスト通りに政策が実現することはない。その調整こそ政治だから、党としての評価は、そこになるのだろう。

少なくとも、これまで結果を出せなかった党と、これから結果を出せるかどうか分からない党があるのなら、可能性のある方を選ぶのは、当然といえる。


過渡期の今は、こんな選び方しかできない。これは、政権選択でも、マニフェスト選挙でも、なんでもない。一つの党の否定でしかない。実は、比べてみると、自民党の手法が、多様な価値観を反映できるより良い方法なのかもしれない。ただ少なくとも今は、それとは違うものが求められているということ。独裁政権としていつまでも続くわけじゃない、長くても4年間、早ければ参院選までの1年以内、一度試してみるのもいいじゃないか。政治のあり様を模索している今は、それで十分だと思う。

根本の価値観を持ち、それに裏打ちされた主体となる政策を打ち出し、それにより政党を評価する。マニフェストと称し、全ての分野の政策を打ち出すことに意味があるとは思えない。判断材料の一つとして、大きな枠に留めておくべき。政治は、その時々の情勢、個別の問題で柔軟に判断すべきもので、一時の決定でその自由を奪うべきではない。選挙とは、その信頼を与える場であるはずだから。

そんな意味で、民主党のマニフェストは、非常に心配。一つ一つをここで検証する気はないが、幅広い分野に、手厚い保護策が用意される。いかにして、生きたお金の使い方をするか。政策を決める側には、これを意識してもらいたい。消費ではなく、投資。お金を入れることで、将来税金として国に返ってくる使い方。それが国益を高めることにつながり、将来への安心が、経済の成長につながるから。


小泉改革の是正が、この選挙の争点らしいが、本当にそうなのか。あの流れは、間違っていたのか。自分は、そうは思わない。今でも、小泉さんが総裁候補として選挙に立つなら、明確に支持を表明する。保守の思想を背景に、現在の問題ある仕組みを正すのが、自分の目指すところ。既得権益を解体し、一部の人達の批判を受けようと、将来像を描き求められる社会に導く。目の前の事象や人気取りに流されず、自身の信念で正しいと思う道を突き進む、そんな信念の人が、今の政治家に見当たるのか。その感覚に自分と大きくずれがないからこそ、選挙で託す。本来政治とは、選挙とは、そうあってほしいと思うとこ。

民主党も、かつてはそんな党だったのに、小沢さんがすっかり色を染め直したから、まあそんな期待は難しいのだろう。岡田さんの気概は前党首時代から買っているところだけど、国民新党と組む変わらぬ方針に、小沢色は簡単には消せないと。まあ、彼は民主党の扇の要であり、政権交代・維持により現システムの変更を求める限りは、必要悪として彼を受け入れざるを得ないと覚悟はしているのだが。


すっかり触れることもなくなってきたが、相変わらず社会への不満が多いことには変わりがない。とりわけ、報道等で取り上げられる機会が多いから、再燃もする。補助金の継続や産業保護に新たな支援を求めながら、増税への反対や税金の使い方をとがめる風潮もその一つ。緊急経済対策自体に疑問を持つところが大きいが、それに対する世間の反応にも、違和感を覚える。自分の車を買うことに税金で補助してもらってどうするの。自分の財布を絞って、国からお金をもらって喜ぶ。それって、結局自分達に返ってくるのに、自分さえ良ければいいという考え。

将来像を描かない支援(補助)は、麻薬と変わらない。一時的に気持ちよくなるが、それで問題が解決するわけじゃない、そして効果が切れると再びそれを求め、一度与えたものだから、制度自体やめられなくなる。それを止めて荒治療する嫌われ者になることを皆嫌がり、廃人になるまで見てみぬ振りをする。

危機感を背景にした変革の機会を失った業界は、その補助を前提に生き残りを模索する。そして、さらに悪化した状況に、さらなる支援を堂々と求める。しかし、いつまでもそれは続かない。支援側の元が尽きれば、それは突然やってくる。支援を打ち切り、業界そのものの解体作業が。別に特別なことではない、少し考えれば分かること。そう、米国の自動車会社・GMがそうであったように。

農業補助も、中小企業支援も、医療費補助も、年金制度も、どれも疲弊した制度の一時的な生き残り策ばかりが並び、そしてその後どうするの、とその先を生きる予定の(30代の)人間に、さらなる不安を残すものとなっているのは、残念なこと。


一方、高速料金引き下げの評価は高い。受益者負担というが、ガソリン税、自動車税と、それも公共交通機関網が整備されていない地域の人々から散々取っておいてそれはないだろと、言いたくもなる。自分に恩恵があるからじゃなく、経済の活性化には、人の移動による効果が大きいという原則に立った上でのこと。人が動けば、物が動き、お金が動き、経済が回りだす。有料の道路は、実はかつての関所のように、人々に遠方の移動を阻む要因だった。都市への人口移動で衰退した地方も、呼び込むコストがかかる状態では、手の打ちようがない。

千円乗り放題というキャッチフレーズは、誇大広告だろうと、当初から突っかかっているところだが、乗り続けなければ千円じゃないのが、現制度の難点。つまり、どこか1箇所の観光地ばかりが潤い、その過程にお金が落ちない。文言通り一日千円乗り放題を実現し、途中途中の観光地にも人が集まる仕組みを求めたい。

車で移動すれば、決して千円で終わるわけじゃない。ガソリン代の負担の大きさは、車に乗る人じゃなきゃ分からない。そこにはしっかり税金が上乗せされているわけで、これ以上移動を制限してどうすると声高に訴えたい。道路網整備の見直しを行えば、維持管理費は捻出できるだろうし、高速料金収入を前提にした高速道路会社は、そのものを見直せばいい話である。環境なんて、日常生活と共存しなければ誰も求めない。政策的に実行するなら、年金などほっておいて、全国に新幹線と地下鉄でも張り巡らせるなり、電気自動車の大幅減税するなり、すればいいことと。

ちなみに、経済活動を活発にするなら、トラック等事業車こそ減額すべきという論には、反対。移動により利益を出すところを優遇する必要はない。事業者そのものが、他制度により十分優遇されており、かつ、料金の高低に関わらず利用状況に変化はないのだから、意味がない。むしろ、道路維持・修繕が必要となる最大の原因は、トラック等大型車両の運行にあり、維持管理費確保のため、事業者からは、割増の高速料金を取るべきだと投げかけたいくらいだから。


さて、いろいろ書きすぎて、言いたいことは伝わっているのか。まあ、今回の目的は、選挙気分になってもらい、明日の投票に行ってもらうこと、とうまくまとめてみる。その割りに、自分の主張ばかりじゃないかという厳しい指摘は、聞かないことにすることとして。
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サンフレッチェ広島応援記

いや~、ここ最近はなにかと忙しく、日記どころじゃなくて。

8月14日は、実家に帰る予定があったため休みを取るも、その他は皆勤。先週でいえば、金曜は終電がなくなりタクシー帰宅、土曜は朝6時出勤、日曜も朝6時出勤、月曜は始発前の朝5時にタクシー出勤と、体力を振り絞ってなんとか乗り切る。まあ、6時間未満睡眠免疫力低下説を地で行く体質もあり、案の定調子を崩し気味であったことは言うまでもないが。

何をしていたかは、今朝の朝刊を見てもらえたら、分かるかも(広島県限定)。そこに仕事の成果があったりするものだから。


さて、そんな中、先週土曜は、サンフレッチェ広島の応援にサッカーを見に行ったりしているから、何をしているんだか。広島にいるからには、サンフレッチェの応援に行かねばと思いつつ、昨年はJ2のため対戦相手に興味がもてず不参。どうせならおもしろい試合が見たいから、初観戦で選んだのは、浦和レッズとの試合。人気・強豪チームを倒してなんぼ、この辺は、野球の対巨人・阪神と同じ発想にあり。

ここまでサンフレッチェファンがいるのかと、スタンドを埋め尽くす観客に圧倒される。スタンドの片隅を埋める紫色のカラーと、それを包み込む赤い悪魔というイメージが誤りだったことを気付かされ。7割近くを埋める圧倒的なサンフレッチェカラー。スタンドに空席は見当たらず、広島の山奥で盛り上がるサッカー熱にただ驚くばかり。


少し時間を戻して、試合前に。試合開始2時間前には、山口から応援に来た熱烈なレッズファンの友達と会い、サッカーに便乗して山口話で盛り上がる。練習開始の18時頃に別れ、サンフレ応援グッズ(綿マフラー)を入手し、スタジアムへ。食事面で広島市民球場に大きく劣るのは、残念。やはり、出かけるからには、食べる楽しみがほしいところ。鶏炭火焼や焼きそば、幕の内弁当等適当に購入し、席へ。今回は、意図せずチケット発売日に購入したことから、メインスタンドそばの前から5列目という特等席。あまりに近いフィールドに、サッカー観戦の醍醐味を知る。

野球との違いは、フィールドの近さにある。目の前で繰り広げられる途切れることのないプレーは、45分ハーフの前後半をあっという間に終わらせる。野球のように攻守交替がないから、食事時間がなさそうというのも杞憂に終わり、ビールとつまみを食べつつの観戦。応援方法が分からないのは、観戦経験がないが故。まあ、所詮は熱烈サポーターで埋まる自由席にあらず、周りの観客も同レベルだったから、特に気にする必要もないんだけど。

結果は、2-1で、サンフレッチェ広島の勝利。対浦和レッズ勝利は、10年振りという快挙を知り、勝手に自分の勝負(応援?)強さを実感する。思えば、カープ戦も、昨年から負けなしの5連勝中。どうせ応援に行くなら、試合内容ではなく、勝利こそ全て。野球と違い、途中経過はあってないようなものだから、とにかくどんな形でも勝てばよしと。

観客は、今シーズン最多の2万7千人。ホームスタジアム・ビッグアーチの収容人員は5万人というから、緩衝地帯を除いても、まだ余裕があるのだろう。それでも、やはりスタンドを埋めるファンの姿は壮観で、盛り上がってこそのスポーツ観戦だと思ったところ。


なにはともあれ、サッカー観戦に対する誤解がとけた。実は過去にプロサッカー観戦は一度あり、それこそ17年前、Jリーグ発足時の天皇杯、サンフレッチェ広島の試合を見ていたりする。プロの試合が来るならと中学生時分に防府市立陸上競技場に自転車で出向いたものの、内容にもう一つ満足しなかった思い出が残る。その後、テレビで見る機会は多くても、90分で終わる、あの感じならわざわざお金を出してまでと敬遠していたが、時の経過によりレベルの上がった迫力あるプレーは、お金を出して見るに値し、なにより生の迫力は映像をはるかに凌駕し、やっぱり何事も自分の目で直接見なきゃ語れないとつくづく感じたもので。

こうなれば、広島にいるうちに、もう一試合観戦に行こうかと、10月のガンバ大阪戦を視野に入れつつ、しばしサッカー熱の余韻に浸ろうかと思っているところで。

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大崎下島訪問

「クライマーズ・ハイ」が、あれほどいい映画だとは思わなかった。テレビのロードショーを見ての感想だけど、これならお金を払って見てあげればよかったと鑑賞後に思う。

映画料金一律1800円は、どう考えても高く、二人で行けば娯楽の域を軽く超える。数十億円の売上を記録する映画があると思うと、儲けすぎの感が強い。それが、売れない多くの映画の原資になっているとしても、それでは本物の映画は育たない。シネコンという収益システムの確立と、それによる多くのスポンサーの獲得で収益構造が大きく改善している中、そこに甘える映画業界の姿に、規制に守られ続けた結果、衰退の一途をたどるテレビ業界を見るようで、この先が心配になる。

それだけに、いい映画は、映画館で見ようと思うところが多い。結局見れていないが、今なら「剣岳・天の記」をといった具合に。

クライマーズ・ハイは、日航ジャンボ機墜落を新聞社の立場で追ったもの。題材的にはいまさら感が強いが、この映画は、事件そのものより、事件を通じた新聞社での人間ドラマを描いたもので、その熱い姿が心に響く。

社会派小説は、ここ最近のはまりどこで、金融腐蝕列島は、結局文庫化されていない「消失」を除き読破。ハゲタカに到っては、Ⅰ・Ⅱと合わせて、待ちきれずにハードカバーの「レッド・ゾーン」も読むに到る。基本、おもしろそうな映画は原作を読むから、想像以上の映画にならないだろうと見に行かないことが多い。しかし、この映画を通じ、この熱さは、自分のイメージからは出てこないと、映画の価値をあらためて感じたところ。

会社ってのは、人と人が、本気でぶつかる熱いところだよなと、嬉しくなる。「徹底的な対決こそほんとうの協力なのだ。同調・妥協は何も生み出さないし、不潔である」という芸術家・岡本太郎の持論が仕事でどこまで通じるかは別にして、どうでもいいことはいっさい構わず、仕事についてはいっさい妥協せず全力でというモットーに通じるところがあって。


さて、そんな土曜日は、昼に呉市大崎下島に出かけ、江戸時代の街並みが残る港町・御手洗を訪ねる。広島県内を回るとは、来広以来の目標で、その中でも夏だからこそ訪ねたい場所があるから、限られた時間を見つけて、出かけていく。この週末に行われた、440年続くという三原市の「やっさ祭り」に引かれるところもあったが、伝建地区を持ち、昨秋に橋でつながったばかりの大崎下島は、広島居住のうち、ぜひ夏に訪ねたかったから。瀬戸内海に浮かぶ、そんな小さな島の様子は、またいつか報告するとして。

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第64回原爆慰霊の日

どこにでもテレビカメラが入り、自分の家から、世界中の様子をリアルタイムに知ることができる時代になっているけど、やはり、自分の五感で感じるものとは大きく違う。見た気になり、知った気になっても、それはその事象のほんの一面に過ぎず、本当にそれを知りたければ、現地に直接行くしかない。それは、様々な情報伝達ツールができた今こそ、意識しなければいけないことだろう。

現地での体験は、本や雑誌、テレビで得た2次元の情報を、3次元の立体的なものへと変え、その本質を知ることができる。そこで初めて様々な角度からの分析や類似の事象への引用が可能になり、自分の知識の厚みへとつながる。そして、その積み重ねが、その人自身の幅になり、魅力につながってくるのだと思う。

人間、後天的に新たな能力を身に付けるものではなく、生まれ持った潜在的な能力をいかに引き出し、上積みするかだと思っている。それは、その能力の種類に応じて、勉強や仕事、体験を通じて引き出すことになり、実際は何かをする過程で無意識に引き出されていることも多い。何かをできないことを自分の能力・周りの環境のせいにするのはおこがましく、自分の努力・経験不足による未熟さゆえだと割り切るのもそんな理由による。他人と比較すると能力の差に気付くことになるが、人間の集合体である社会で生きる限りは仕方がない。それには、それを埋めるため、目的を絞り、そこに他人の倍時間をかければいいだけのことと思っているが。

人生どう生きるかは自由だし、自分の能力をどう扱うかも自由。ただ、自分の幅を広げることによる充実感は大きく、その一つの手段として、時間とお金と労力を惜しまず、現地に足を運び、全身で感じるという体験をしてみてはと思うところ。



さて、突然こんなことを書いたかと言えば、広島で2度目の8月6日を過ごし、この雰囲気はその場にいないと分からないとつくづく感じたから。知識では学べない、現場に立ち感じることの大切さを。

行き過ぎた平和・同和教育が、広島教育行政に暗い影を落とし、10年前の県立高校校長自殺により表面化したことは、聞きしに及ぶところ。以後、国主導による一貫した是正指導により、正常化にまい進し続けているとはいえ、小・中・高と一度も国歌を聞くことなく反日思想のもとに育ってきたとの話を聞くと、平和に名を借りた歪んだ広島教育の闇の深さにあらためて気付かされる。

教育の方向性が変わったから、平和の精神が薄れたのかといえば、それは違うと、8月6日に平和公園を訪ねて思う。教育において、教室で行う座学はその一部に過ぎない。そして、体験を通じて得られるものは、それを大きく上回る糧となる。

暗闇の中、途切れることなく平和公園を埋め尽くす人々の姿。ある人はライトアップされた原爆ドームのそば、爆心地を流れる元安川に浮かぶ灯篭を見守り、ある人は平和の灯に祈りを捧げ、ある人は慰霊碑へと続く長い列に並ぶ。何があるわけでもない、ただ、8月6日になると、どこからともなく人々がこの地に足を運び、それぞれの思いでかつての不幸な出来事を思い起こす。

小さな子供を連れた家族連れから、仕事帰りの会社員、お年寄りまで、自然と集まる人々の姿に、この日を忘れまいとする強い気持ちを感じて、嬉しくなる。60年経ち、既に戦争を知らない世代に浸透し、さらに次の世代へと受け継がれようとしている広島の想いが、目の前で繰り広げられる。

慰霊碑を前に、心から出てくるただ一つの思い。次の時代は自分達が引き継ぐので、ゆっくりとお休みください。

人々の強い思いが集まり、身が引き締まる厳かな雰囲気へと変わる8月6日の平和公園。そこで自然と出てくる犠牲者に対する自分の誓い。一年に一度、あらためて気付かされるこの体験こそが、原爆慰霊の日の意であり、真の平和の心につながるものではないのかと思うところである。

慰霊碑

灯篭流し

無人島バーベキュー記

週末の山口県長門市訪問は、どうにか天気がもって、曇り空の下海を満喫する。透き通った青い海を期待したものの、前日からの雨風で透明感が低かったのは、大きな痛手。もぐって魚介を探そうにも、一寸先が闇状態で、そうそうに諦めて。

漁師の息子が仲間にいたりするから、小型漁船で無人島に出かけられるわけだけど、ここ数年続けて参加しているこの行事のおかげで、こっちもそれなり海サバイバル技術を身につける。おいしい貝類を見分けたり、海水で洗う飯ごう炊飯のご飯のおいしさを知ったりと。

年に最低一回を目標にする海水浴も楽しみ、だらだらと4時間近く島で語らい、念入りに後片付けを済まし、島を後にする。今回は、曇り空のため日焼けもほどほどに快適に過ごせ、これはこれでなかなかよかった。鶏肉、ソーセージ、レトルトカレー、野菜、米と各種飲物が、基本的な持参物。現地調達をモットーに、流木集めから始めるのが、この無人島バーベキュー。船の燃料代込みで、一人2500円と、お手頃なのも毎年気軽に参加できる理由で。


さて、お手頃とは、無人島までの話で、それ以降は、事情が変わる。16時30分頃港に戻り、そこからタクシーに乗り込み長門市三隅町の湯免温泉へ。相変わらずぬるめの露天風呂はそこそこに、内風呂で温泉を満喫。どこにでも温泉があるのが山口県のよさとは、広島にいるからこそ思うとこ。


温泉後は、タクシーで長門市内へ。まずは、長門駅北側にある宿「青海屋」へ行きチェックイン。ここは、昔ながらの2階建て日本家屋の宿で、ビジネスホテルのようなプライバシー感はないが、温かいおばちゃん達のもてなしを味わえる。干物やちくわ、生卵等々多種のおかずにきな粉餅まで付く朝食がおいしく、朝食付き宿代3500円という値段からも、ただ泊まることが目的ならここをおすすめ。温泉でゆっくりなら、湯本温泉、大谷山荘となるのだろうが。


宿紹介はさておき、チェックイン後に向かったは、おいしい仙崎産の魚介を食べさせてくれる居酒屋「よし松」。思えば、ここ3年連続の利用も、おいしく多種の魚料理を食べさせてくれるから。

まずは、刺身盛合せで、ヒラメ、マダイ、剣先イカ、サンマ、ハマチと、長門市仙崎産の魚介を堪能。日本海の魚は、やっぱり締まり具合と旨みが違うと実感。長門市通(かよい)は、捕鯨基地として発展した町で、そのため今も鯨を食べさせる店が多いという特徴がある。新鮮な鯨を食べたいなら、一般的に知られる下関より長門を押す人も多く、ここよし松でも様々な部位を食べさせてくれる。締まった赤身がおいしい尾の身(3千円)は、今回は頼まず。鯨ベーコン(2千円)で、一年振りの鯨を堪能する。サイズ、コクのある味わい共に、都市部で見かける鯨ベーコンとは大違い。ここで食べてから、鯨のおいしさに気付いたもので。他にも鯨部位は、赤身刺身(1200円)、皮刺し(1800円)、百ヒロ(1500円)、ホホ身(3000円)といろいろと。竜田揚げは、事前に漬け込む必要があることから作ってもらえなかったけど、鯨づくしというオーダーにも応えてくれるから、本物の鯨を味わいたければ利用してみてはと思うとこ。

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その他、あさりのバター焼き、トコブシ煮物、焼きナス味わい、締めは、ウニ釜飯。去年も書いたけど、メニューにないけど、なによりおすすめなのがウニ釜飯。生ウニをウニ釜飯に乗せるという一押しの一品は、生ウニが入らないということから、今回は諦める。海藻が少ないことから、今年は長門界隈でウニがほとんどとれないんだとか。長門、萩界隈の赤ウニは絶品で、世間で知られる北海道のウニなんざ目じゃないと自信を持っていえる。香り高く、口どけのいい、甘みと旨みが口いっぱいに広がる北浦の赤ウニを、一度食べてもらえたらと思いつつ。

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というわけで、生ウニを乗せなくても、十分においしいウニ飯を堪能。いつもなら、まだまだ料理を食べつつだらだら過ごすところだけど、バーベキューを長く引っ張ったことから、2時間程度の滞在でお店を後に。ここからスナックへと流れるとこだけど、まあ今回はお付き合いしなくてもいいかなとここで宿へと帰る。

夏休みを前に、どこか山口でいいところない?と聞かれると、温泉も料理も楽しみたいなら、長門はなかなかおすすめどころと紹介するこんにち。山口のマイナーどころだけど、一度訪ねてみてはと思うところで。


【追加情報】
さて、周りの広島県人に山口の魅力を浸透させつつあるところで、そんな紹介文をいくつか。

海のきれいさなら、角島を目指していきたい。美祢ICで下りて向かうか、下関経由で向かうかは、日程次第。宿泊を長門、萩にするなら、美祢ICから角島へ直行したい。早めに宿に着いて、周りを散策できるから。朝に下関・海響館、唐戸市場と回り、昼に川棚温泉で瓦そば、午後から角島を経由するなら、宿は、料理がおいしく、上質の施設とサービスを備えるホテル楊貴館でというコースもおすすめ。角島から長門まで、車で40分もかからないから、当然長門市や萩市に到着することも可能だけど。

どこかいい温泉はと聞かれたら、温泉地山口でも抜群の評価を得ている俵山温泉をまず上げる。長門市から、車で30分弱。ただ、長門市内から俵山へと向かう県道下関長門線が豪雨により崩落したと聞いているから、ここは事前に道路事情を要確認。豊田町か、油谷回りと、回り道になるから、この夏に限れば、ちょっとおすすめできないかな。

子供がいるなら、一度は秋芳洞を見てもらいたい。隣には、サファリランドも併設されているし、カルスト台地を歩くのもいい。ただ、美祢ICなり、小郡ICなりからの道は限られ、お盆の大渋滞は必至。だから、お盆にと聞かれると、ガランとすいている週末を選んではと、補足してしまうところ。

広島から近いからか、どうも広島県人に人気なのは、岩国市美川町のムーンバレー。炭鉱跡を利用した地底王国だとかだったと思うが、山口で見かけた覚えのないCMが広島で流れていたりするから、驚いたもので。テーマパーク系施設には興味が無く、行ったことがないから、どうもそれなり楽しめるらしいという人の評判を伝えるのみ。

言うまでもなく、街全体が厳かな雰囲気を持ち、散策だけでも楽しめる萩は、別格の評価。ただ、ここは、歴史背景を含めた知識を持っていたり、街並み散策自体を楽しめる、ある程度大人な方々じゃないと楽しめないかなと、扱いが難しかったりする。萩焼にしろ、行くならおすすめの店を紹介するよと、フォローは万全なんだけど、色よい返事がもらえないのも、そんな理由によるんだろうな。

さて、今回はこの辺まで。自分は自分で、少し東方に足を伸ばそうかなと思っているところで。
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