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ランニングでの出会い

「旅行記完成」

熊野詣記も、一ヶ月かけて完成。かつては、日記で簡易版、ページで完成版を作成していたところだけど、ブログが思った以上に作りやすいから、すっかりブログを活用しつつあるこの頃で。

ブログの便利な点
①途中段階を下書きという形で保存できる。
②写真を複数枚使用できる。
③拍手で読んでいる人がいることを実感できる。

特に、①の下書き機能は、旅行記のように時間をかけて少しずつ作る場合には、とても便利。おかげで、本来メインとしたいページの更新がすっかり滞り、それはそれで、課題じゃあるのだが。

少々縁遠いと感じていた和歌山県も、多くの魅力を秘めていたことを、この旅を通じて知る。やっぱり、歴史のある街はおもしろい。となれば、次にどの地に行ってみようかと、早くも考え始める。

熊野古道に通づる伊勢神宮も、その一つ。その他、安土城址、岐阜城、尾張と、どうも、三重、滋賀、岐阜、愛知等中部地方界隈は、かつての歴史の中心地でありながら、未踏の地が多いから、訪ねてみたいという思いは強い。

そんな中、今の最有力候補は、山梨、長野、群馬県界隈。武田信玄、勝頼、真田幸隆、昌幸の生き方に傾倒しているところで、
①山梨の躑躅ヶ崎館という信玄の館、
②愛知の長篠という、未だその戦いに諸説が残る、武田家滅亡へとつながった勝頼敗北の地、
③長野の上田城という、少数の真田軍が、2度に渡り徳川の大軍を敗北に陥れた真田昌幸建立の城、
④群馬の岩櫃城という、関東の覇権を争った武田、上杉、北条が関東の要所として争奪を繰り広げ、結果武田家の支配地となり真田幸隆・昌幸と真田家が城主となった城
を中心に計画を練ることになるのだろう。

少々距離も遠いし、行程の難しさから、時間をかけて計画を楽しむ旅になりそうだと思いつつ。




「ランニング開始」

さて、ようやく気温も冷え込んできて、ランニング季節となってきたこの頃。先日、最新ランニングタイツを入手し、気持ちだけはやる気が高まっていたところで、一昨日からついに始動する。

夏以降も、(膨らみつつある体を絞るため)1,2週間に一度のペースで10km程度走っていたものの、(走る体を作るため)週数回ペースで走るには、思った以上に強い気持ちが必要。それには、やはり目標が必要だと、今回エントリーしたのは、12月13日開催の萩城下町マラソン(山口県萩市)。

これまで、5km、10kmコースと計3回参加しているこの大会に、今回は、ハーフで登録。今春、小豆島マラソンでハーフに挑戦しようと練習していたこと(途中暑さ等で練習挫折、かつ新型インフルで大会中止により未走)が自信になり、スピードマラソンから、長距離マラソンに切り替え、走りを楽しみたいという思いが、選択の理由。

(とりあえず、例年目標にしていた2月の大会には参加しないことを、ここで勝手に明言。)

というわけで、金曜日に6km、土、日曜日に10kmとランニングを開始。心肺機能、筋肉共に伴わない現段階は、トータルタイムは見るべくもないが、走れる体を作るために、距離を稼ぐことを目的に走る。

そんな体作り段階の2日目土曜日に、思わぬ出来事があったから、ここで紹介。いつもの太田川河川敷沿いを3kmほど走ったところで、後ろから同じくランナーの足音が近づいてくる。レース中盤、後ろから追われる展開に、忘れていた闘争心に火がつき、ここから見知らぬ足音とマッチレースが始まる。

緩やかな上り坂でぐいぐいとスピードを上げ、引き離しにかかる。いつの間にか大きなスライドと肩甲骨を使った腕振りによるレース用の走り方に変わり、そうそう、これが自分の求めるスタイルだと、走りを思い出した体に満足。こうなれば、そんじょそこらの奴には、負けるわけがない。本気モードでトップスピードに乗り、一気に・・・と思うも、ここでくらいついてくるから、相手もなかなか。

前半のダラ走のおかげもあり、まだまだ余力があると、川堤を利用した急なアップダウンのある50m程のトンネル道で勝負を仕掛ける。下りで差をつけ、その後の上りで一気に突き放す。マラソンとは心理戦で、もう追いつけないと心が折れた瞬間が、負けとなる。こっちがいっぱいいっぱいでも、相手にこいつには勝てないと思わせれば、途端に相手のペースは落ちるもので、その仕掛け次第で、勝敗は大きく分かれる。

で、今回の仕掛けは、下りで開いた差を、こっちのペースが落ちるだろう上り坂で挽回しようと追いかけモードに入ったところで、さらにペースを上げ、諦めさせるというもの。少なくともペースアップには成功し、足音が遠のくまで差を広げ、さらにダメ押しでスピードに乗り走るが、しばらくして段々と近づいてくる足音に、今度はこちらの心が折れる番に。

もう一踏ん張りする力は残っているが、ここで振り絞ると燃え尽きる可能性が高いと、ペースを保ってなすがまま。しばらく真後ろに付けられ、もう追い抜いていってくださいよと思っていると、ぐいっとスピードを上げ、真横につかれて併走が始まる。

お互いいいスピードで走りながら、横から「速いですねー」とさわやかに声をかけられ、こちらも正直に「久々、いいスピードで後ろにつかれましたよ」と相手を讃える。併走して数百m、どの辺から走っているんですか、いつも走ってるんですかといろいろ質問を受け、そろそろ大会も増えて、マラソンの季節になったから走り始めたとこですよと、会話をしながら。

そして、この先が5km地点の折り返しになるんですよという説明をした後に、そろそろお別れということで、「私、中国電力の五十嵐といいます」と自己紹介をされ、ここで愕然。「あぁ、本物ですか」と、妙に納得して。そりゃ、いろいろ仕掛けても、一向に引き離せるはずがない。完全に実力が上回っているんだから。

とはいえ、それなり勝負を仕掛け、少なくとも途中で諦めず全力で頑張ってよかったと、2km弱の道のりを振り返る。後ろからじっくり吟味されていたんだろうけど、それなり楽しんでもらえたから、「速いですねー」という一般ランナーにとって、名誉ある一言をもらえたんじゃないかなと喜んでいるわけで。

実は、後ろについてもらって走るというのは、すごく贅沢で効果的な練習法。基本的には、一人練習が中心のランニングでは人と一緒に走る機会がないし、それぞれ実力やペース配分が違うことから、同or下レベルなら、一緒に練習することは適さない。

後ろにつくには、そこに実力差が必要で、相手のペースに合わせて、どこまでもついていけることが絶対条件。一方つかれた方は、大きなプレッシャーを背中で感じ、手を抜くことなく、実力以上の走りができるというメリットがある。そして、その気配は、後の練習でも活きるし、本番で後ろにつかれたときも経験となって活かすことができる。

マラソンをして最も意義があると思うことは、自分の弱さに気付けること。そしてこの競技のいいところは、その弱さを乗り越えるすべが用意されていることと思うこの頃(練習をしただけ結果が出るということで)。その手段として、自分一人では勝てない心を、支え押してくれるこの練習法は、大きな効果をもたらしてくれる。


帰って、中国電力の五十嵐さんを調べたら、この方しかいないから、きっとそうだろうと紹介。中国電力陸上部を2006年末に引退、現役時代は副キャプテンとしてニューイヤー駅伝3位、個人でも東京国際マラソン3位となり、世界選手権補欠になったという一流選手。

これはこれで、再び出会う可能性からこれからの練習のプレッシャーになるなと思いつつ、一流選手と一緒に走れたことを素直に喜び、今後の糧にしたいと思うところで。
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熊野詣記④【完】

3日目【9月21日(月)】

「熊野那智大社参拝」

最終日は、ゆっくりと朝8時に起床。本州最南端に位置する串本の太平洋を望む高台に建つのがこのホテルで、露天風呂から一望できると言う景色を見るため、さっそく朝風呂へと向かう。

既に利用客もまばらな温泉にゆったりと浸かった後、目の前に広がる太平洋の壮大な景色を堪能。しっかりしすぎた草木による目隠しのため、露天風呂に浸かりながら景色を見れなかったのは、残念。露天風呂で中腰になり景色を眺める滑稽な姿に、高台にある地形を活かした工夫を望む一方、ファミリーリゾートホテルの限界をそこに感じたもので。

朝風呂後、バイキング朝食を食べ、出発準備。ちなみに朝食は、和洋中と多種で、手の込んだ料理というわけにはいかないが、和歌山名物の茶がゆを食べられたから、それはそれで満足する。

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左:露天岩風呂温泉から、太平洋をの景色を望む。
右:いつもと少し趣の異なる、外観立派な串本ロイヤルホテル


せっかくいいホテルだからとゆっくり過ごし、ホテルを出たのは、10時20分。まず、最初の観光地、熊野那智大社を目指す。

串本から、昨日通った道を、再び三重県方面へ40分程行ったところにあるのが、那智大社のある那智勝浦。少し遅れ気味の予定に、急ぎ目でと思った矢先に、奇景を目にし、思わずすぐ近くの駐車場に車を止める。

ホテルから数百m行った先で目にしたのは、橋杭岩と言われる奇岩の並び。そこに、高波があたり、大きな波しぶきとなって、壮観な景色を見せている。晴れ渡る天気ながら、太平洋に面する和歌山県海岸沿いでは、瀬戸内では見ることができない高い波を見せる。風の強さの影響もあるだろうが、遮断物のない太平洋は波が高いようで、昨晩も真っ暗闇での運転中に、突然道路脇の海岸堤防から波しぶきが跳ね上がり、一瞬何が起きたか分からず、驚いたものである。

ちなみに、橋杭岩とは、弘法大師と天邪鬼が串本から大島へ橋を架ける競争をしたと言う伝説が残る奇勝。紀伊大島に向かって850mに渡り、大小の奇岩が連なる姿は、圧倒される迫力がある。

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左:海上に奇岩連なる橋杭岩。異様な景色に、思わず車を止める。
右:高波が奇岩にぶちあたり、大きな波しぶきとなって辺りを包む。


予定外の観光に加え、一車線道路での昼間の低速走行が影響し、熊野那智大社に到着したのが11時30分。大社までは、那智勝浦の中心地、紀伊勝浦駅からさらに車で20分程度と町のはずれにあるのも計算が狂った要因でもある。

麓の大門坂駐車場に車を止め、30分程坂を歩くのが通常の参拝コースだろうけど、既に大幅に時間がおしているから、車で山をあがっていく。土産物屋が立ち並ぶ山腹にある駐車場で空きを探すも、どこも満車状態。いよいよ駐車場エリアの最終地点に近づき、どうしたものかと困っているところで、係員からこの先を右折し、坂を上がった所にある駐車場に止めるよう指示を受ける。

言われたままに向かった先は、大社に隣接する駐車場。駐車料もとられないまま、最も便利な駐車場を利用できる幸運に恵まれる。


那智熊野大社とは、熊野三山の一つで、那智の滝への自然信仰が起源と言われる神社で、熊野夫須美大神を主祭神としている。境内には、朱色の拝殿が並び、熊野造りといわれる本殿を参拝し、境内の奥へと移動する。

奥にあるのは、那智山青岸渡寺。本堂は、豊臣秀吉が再建したもので重要文化財に指定され、かつては修験道の本拠地として栄えた歴史を持ち、現在は、西国一番札所になっている、天台宗の寺院となる。さすがの風格を横目で見つつ、やはり目が行くのは、その先の山肌から流れ落ちる滝の姿。

那智の滝をバックに、「ハイ、ナーチ」という掛け声と共に手持ちのカメラで撮影してくれるサービスがあり、喜んで利用。プロカメラマンによる撮影付きで、よければ隣で写真の購入をと勧められるが、こっちも負けじのいいカメラだから、購入せずに次へと進む。

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左:熊野那智大社。狭い境内に、朱色の社が並ぶ。
右:青岸渡寺本堂横から見る、那智の滝。三重塔と合わせて、なかなかいい景色。


時間がないないと急いだ拝観の理由は、昼食の予約を入れていたことから。余裕を持って13時としていたけど、追加観光や移動に予想以上の時間がかかった結果、既に時刻は12時30分を回り、今から直行して間に合うかどうかといった状況。ここまで来たら、那智の滝を見ずに帰れるかと、全く電波の入らない携帯電話に翻弄されながら、ようやく公衆電話を見つけ、お店に連絡。時間を30分延ばし、観光時間を確保。それでも限られた時間に変わりなく、急いで長い長い参道の階段を下り、滝見台へと到着する。

那智の滝とは、日本三名瀑(華厳の滝(栃木県)、袋田の滝(茨城県))に数えられ、落差133m、幅13mの大滝。元々は、瀧篭修行の行場である48の滝の総称とされたが、現在は、一の滝を指し、滝の自然信仰の聖地とされる。

この一の滝を御神体とするのが飛瀧神社で、滝を目の前にした滝見台が、観覧スポットとなる。注連縄が結ばれた落ち口から三筋に分かれ、原生林に囲まれた岩肌を落ちる大滝からは、荒々しさの中に自然の厳しさ感じさせる突き放すような威厳を感じ、心を研ぎ澄ませて相対す。那智の滝という歴史ある名所を見ることができた喜び、再び山頂の駐車場へと、石段を急いで登っていく。昨日の熊野古道で鍛えられたふくらはぎの下腿三頭筋がバネのようにしなやかに足を前へと進め、まさに修験道の行者のように。

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那智の滝。迫力あるその姿を、目の前にして。




お昼「桂城」

13時ぴったりに紀伊勝浦駅近くにあるマグロ料理屋・桂城に到着。那智勝浦にある勝浦漁港は、延縄漁によるマグロの水揚げ日本一を誇る、マグロの町。それならお昼はマグロを食べようと、評判の高いこの店を事前に予約していたもの。

小道にひっそりとたたずむ店ながら、暖簾の下には6人ほどの行列ができており、人気の程を確認しながら、店内へ。店内は、3つのテーブルと8人程のカウンター席からなり、さっそくきれいに片付けられた畳敷きのテーブル席に案内され、一息つく。

マグロ丼等並ぶメニューを見ながら、おすすめというマグロ定食を注文。完全にキャパを越えている、満席による余裕のないドタバタの接客を眺めながら、料理を待つ。ガイド本にも載る有名店なんだから、ハイシーズンはこのくらい混むだろうにと思いながら、マイペースに調理を続ける親父さんと人のいい若奥さんの一生懸命な接客姿に、おかしなバランスを感じつつ。

マグロ定食(1500円)は、ボリュームのあるマグロ尽くしの一品。分厚く切った赤身の刺身で、もちっとした柔らかな食感を堪能。マグロカツは、火を通して凝縮した旨みがよく伝わり、なかなかよし。煮込みは、甘辛く煮込んだフレークがおいしく、高級ツナといった感じでご飯が進み、鉄板焼きでは、カジキマグロをバターでシンプルに焼くことで、カジキマグロのあっさりした味わいに気付かされる。いつも一品付くというサービスで、マグロの唐揚げを付いてきて、スパイシーに揚げられたマグロが、またおいしくて。

夜は居酒屋として、鮪尽くしを堪能できるというから、そちらもちょっと気になりながら。なにはともあれ、鮪町ならではの鮮度の高さと料理の種類、ボリューム感に満足して、昼食を終える。

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左:那智勝浦のまぐろ料理屋「桂城
右:まぐろ定食(1500円)




「熊野速玉大社参拝」

この旅行最後の目的地は、三重県との県境・新宮にある熊野速玉大社。熊野三山の一つで、熊野本宮大社、熊野那智大社と合わせて、三社の一角をなす。熊野詣を完結するため、那智勝浦から20分の新宮に到着する。

他の2社と比べると、規模も観光客も少ないながら、朱色の鮮やかな社殿は、ここでも健在。まずは参道で、平重盛が植えたとされる樹齢千年のナギの神木を見学。ちなみにこのナギは、日本最大の規模を誇り、国の天然記念物に指定されている。

熊野速玉大社とは、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)と熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主祭神に、12柱の神を祀る神社。神門を通った境内には、他の熊野大社と同様、複数の社殿が連なり、速玉宮、上三殿、中四社、下四社とそれぞれに参拝する。

参拝後、参道のお土産屋でもうで餅を見つけ、一つ購入。もうで餅とは、餡の入った餅に玄米の粉をかけていることに特徴があり、素朴な味わいがおいしく、一つ試食をしたところで購入。熊野詣でのお土産として有名ながら、賞味期限3日はあまりに短く、自家消費ということで帰ってからの楽しみにすることに。

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熊野速玉大社。ちなみにかつての熊野詣は、熊野本宮大社参詣後、熊野川を船で下り、熊野速玉大社を参拝、続いて熊野那智大社を参詣するのが基本ルート。そして最後に、熊野那智大社から標高800mを越える険しい山道を歩く大雲取越を歩き、再度熊野本宮大社を参詣して、終了となる。





「熊野川」

こうしてこの旅行の目的地全てを回ったところで、帰路につく。場所は、三重県と接する和歌山県の最東。海沿いを走るのは景色がよさそうだけど、幹線道路のため渋滞を懸念し、熊野川を上り、熊野古道を経由する、山道を選ぶ。時間は、15時。自宅まで550kmというナビの表示に、いったいいつ着くことやらと覚悟を決めて、出発する。

熊野川沿いを走りながら、どこかゆっくり熊野川を見る場所があればと思っていると、突如道の駅が現れ、思わず立ち寄る。場所は、国道168号線沿い、新宮から15分ほど北上したところにある、道の駅・瀞峡街道 熊野川(どろきょうがいどう くまのがわ)。

道の駅の店内に入ることなく、熊野川の河原へと下り、だだっ広い川幅を眺め、勢いのある水の流れに目を向ける。熊野川は、奈良県十津川を源流に和歌山県新宮に流れ出る、延長183kmに及ぶ一級河川。台風通過地帯であることからも、全国的に降水量の多い地域で、熊野川流域も、過去に何度も水害をもたらした歴史を持つ。人間の力でコントロールできない、未知なる存在。熊野川が神聖化され、その中州に2千年も前に熊野大社が設けられた経緯を想像する。

広大な川幅と、岸壁の高さが、この川の流量を想像させる。曲がりくねりながら、遠くの山奥に吸い込まれるように流れていく景色は、どこか神秘的で、しばし時間を忘れてその姿に見入る。

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右:河原に下りて、熊野川と対面
左:道の駅から、熊野川を見下ろす。




「帰路」

道の駅からは、昨日歩いた熊野古道を振り返りながら、古道と並行する国道を順調に進む。新宮出発2時間後の17時に田辺市中心地に到着し、ここから高速道路に乗り、後は道なりに帰るだけと一安心する。

南紀田辺から始まる阪和自動車道は、近畿自動車道に接続し、大阪までつながる高速道路。銀週間も3日目、連休帰宅の大渋滞が予測される中、行きと同じく広島までの道のりは、都市から地方と逆方向の移動となるため、楽観視。南紀田辺から順調に一つ目のICをクリアし、どのSAで夕食を取ろうかと考え始める。

そして、楽しい帰宅ドライブが続いたのも、一つ目のみなべICを過ぎたここまで。突如始まる大渋滞。低速どころか一切進まない状況。南紀田辺から広島までの500km弱の道のりの7km地点から始まった渋滞に、この先を危ぶみながら。

15km先のSAまで2時間かけて到着。これはたまらんと、普段渋滞時には時間ロスを避けるために寄らないことにしているSAに立ち寄り、一休憩。ひとえに阪南自動車道が、一車線によることが大きな原因。大型連休という想定を大幅に上回る需要が、逃げ場のない一車線に集中し、一切車が動かないという最悪の状況を招く。思えば、和歌山南部から大阪までは、地方→都市という大型連休帰宅ラッシュの渋滞要因を兼ね備えた地。こんなことなら、龍神スカイラインを通る高野山を経由した山中の道を選べばと、悔いたもので。

さらに15km進んだ御坊ICからは徐行程度で少しずつ進み始め、出発50km過ぎの海南ICを過ぎた頃には、それなり落ち着きを取り戻す。和歌山市内の街明かりを眺めつつ通り過ぎ、21時30分に出発70km過ぎの紀ノ川SAで、ガソリンを補充し、合わせて夕食を取る。人であふれた食事エリアで、さっさと食べられるカレーを選択。もう少しこだわりたかった、旅行最後の食事を済ませ、いよいよ後は帰るだけに。

紀ノ川SAを過ぎると、渋滞もほぼ解消。渋滞の鬱憤から解放され、先を競うかのように車の流れに乗り、大阪、兵庫、岡山と近畿・中国・山陽自動車道を駆け抜ける。

そして、広島ICからほど近い自宅に到着したのが、深夜1時。寄り道をしながらも、帰路についた和歌山県新宮市から、10時間の道のり。通常でも7時間程度かかることを思えば、そこまで大きな遅れに思えないこともないが、まあ、久々強烈な大渋滞だったと振り返る。

ただ思うのは、かけた時間以上に、疲労を感じていないこと。高速道路千円に便乗して車移動を選択した今回の旅行を振り返り、意外となんとかなるものだと、むしろ自信になったもので。




「旅感想」

古来人々が神を求めて歩いた、現存する古道。いつか自分の足で歩きたい、そんな思いを持ち続け、いつしか世界遺産として取り上げられる機会が増えたことが、紀南への旅を決断した大きな理由。9月にできた大型連休も、旅行後見込まれる疲労からの十分な回復期間を計算でき、この機会を利用しての旅行の後押しとなる。

熊野古道と熊野三山参りをメインに据えた検討で、経由地としてとても便利な高野山の立地を知り、高野山参拝・宿坊泊という、古道歩きに匹敵する大きな目的を加えられたことは、この旅を一層意味のあるものにしてくれた。

そこでしか感じられないものがある。どんな旅も、目的はいつもそこにある。映像で見ようが、本で読もうが、人から話を聞こうが、決して分からないこと。自分自身がその地に立ち、自分に問いかけ、全身で感じて、初めて、見えるものがある。その積み重ねが、自分に返ってくると知っているから、また自分を追い込み、新たな発見のある地へと出かけるわけである。

歴史と文化が交錯する地、熊野。また機会を見つけ、いろいろなルートを歩いてみたいと思わせる、熊野の魅力を心に刻んで、またこの地を訪ねることとしよう。

熊野詣記③

2日目【9月20日(日)】

「朝のお勤め」

朝は、5時30分に起床。さっさと着替えて、一人早朝散策に繰り出す。

1200年もの間、真言宗の聖地として、人々の修験と信仰を担ってきた地が持つ独特の空気感。そして、それが一層高まる、一切の混沌を排す神聖な朝を全身で感じたく、早朝の高野の町を歩く。日が昇る前の高野山は、9月半ばとは思えない冷え込みにより、凛とした空間に包まれる。昇る朝日を全身で浴びながら、誰もいない金剛峰寺を参拝、心あらわれるひと時を過ごす。

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左:散策中に日の出に遭遇
右:朝、誰もいない金剛峰寺を参拝


ゆっくり山内を歩きたい思いを抑えて、急いで宿坊に戻ったのは、6時30分から朝のお勤めがあったから。さっそく本堂に向かい、山の斜面を使った小さいながら重厚感のある庭園を眺めることができるロビーでしばし待機。6時30分に本堂へ案内され、大日如来を前に宿泊者20人程が正座で姿勢を正す。そして、3人の僧侶による読経を聞きながら、焼香を一人づつ済ませ、住職による縁起を含めたお説教をいただいた後、40分程のお勤めを終える。

朝に訪れた厳粛な時間を、それぞれが己の心で受け止め、それが終わる頃に、どこか洗練された自分に出会う。金色のきらびやかな大日如来と、天井に葵の紋が残る徳川霊台を使用した古めいた木造の建物がなんともいえない空間をつくりだす。最後に、本堂に掲げられた肖像画、国宝・勤操大徳像を見学し、長い廊下を渡って部屋へと帰る。

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左:普門院本堂
右:本堂内の不動明王。大日如来が据えられたとなりの部屋で朝のお勤めを。


部屋に帰ったところで、朝食時間。夕食時の広間に再び行き、膳に並べられた朝食は、質素ながら、艶やかに光るご飯に、柚子皮の香りが効いた味噌汁、だし汁がしみ込んだがんもどき、蕪の煮物とそれぞれがおいしく、あっという間に食べ終える。

食事を終えてからは、早々に出発準備し、8時過ぎにチェックアウト。なにせ、今日の予定は大詰まりの上、昨日行けなかった高野山奥の院までルートに加えたものだから。出かけ前に、お坊さんと、朝は冷えましたねと話をすると、今でも気温は14度くらいと温度計を見せてもらう。大阪市内と10度気温が違うといい、もう一ヶ月もすれば、寺院内も炬燵を出して暖を取るとか。冬場の雪も多いらしく、まさに修験の場だと、感心しながら話を聞く。

となると、早朝は10度を切るくらいか。修行の身と宣言しながらフリースを着こんでの朝のお勤め参加は、とても大きな声で言えないことだけど、昼の気温から半袖準備しかしていない人も多かったから、参加される際は、ちょっと気を付けたいとこで。




「高野山・奥之院」

奥之院とは、空海入定の地であり、聖地高野山の中の聖地とされる場所。835年、63歳のとき、結跏趺坐(けっかふざ)のまま奥之院最奥の大師御廟に入定されたもので、死去と表現されないのは、永遠の悟りの世界に入り、今もここ奥之院で生きていると信じられているからだという。

ここを参らずして、高野山を訪ねたとはいえないと、少々強引に予定に組み込み、そして、2kmある参道を全て歩くことを最初から諦め、奥之院バス停付近から始まる1.3kmの参道を選択する。

8時20分に参道を歩き始め、杉並木の中道の両脇を埋める墓碑を見ながら、奥へと進んでいく。千年を超える歴史の中、広く尊崇を集めてきたことにより、宗旨、宗派を問わずに建てられた数十万基にも及ぶ墓碑には、歴史上の人物のものも多く存在する。

数え上げたらきりがないが、平敦盛、熊谷直実といった平安時代の武将、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗、明智光秀、柴田勝家、織田信長といった戦国時代の武将、四十七士や陸奥宗光に、他宗派の法然や親鸞の墓まである。その中でも、重要文化財等に指定されている徳川家康次男・結城秀康霊屋や豊臣秀吉の墓である大五輪塔はなかなか立派で、立ち寄って見学する。

奥之院でも別格の雰囲気を持つのが、弘法大師御廟一角。数十m手前となる御廟橋からは写真撮影が禁止となり、杉の大木の間を抜けて、燈篭堂へ向かう。燈篭堂とは、御廟の拝殿となり、老女「てる」が両親菩提のためにした献燈を始まりに、白河天皇の献燈、昭和天皇の献燈を三燈とし、全国の信者による献燈が燃え続けている堂となる。ここで、家族や自身へのお守りを購入し、堂の裏にある御廟へと向かう。

森の中にひっそりとたたずむ弘法大師廟。大師が入定したその地は、さすがに厳粛な雰囲気に包まれ、ただ心を清め、ここで結ばれた縁に感謝しながら、お参りを終える。

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左:杉が林立する参道沿いに、お墓が並ぶ。
右:御廟橋(みみょうばし)の先が大師御廟となり、ここからは撮影禁止。




「熊野古道 中辺路(なかへち)」

高野山奥之院を30分程で参拝を終え、急いで熊野古道へ向け出発。奥之院中の橋駐車場をスタートに、熊野古道方面へ、和歌山県の山中を縦断する高野龍神スカイラインを使い、ひたすら南下。スカイライン途中にある展望台で紀伊の山々を眺めながら一休憩し、1時間半後の10時30分に熊野古道の出発地・滝尻王子に到着する。

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スカイライン中間点にある展望ポイントから。


熊野古道といっても、いろいろな道があることを知ったのは、この旅行を計画してから。大きく分ければ、高野山から向かう小辺路、海沿いを歩く大辺路、そして山の中を歩く中辺路。その中で、厳しい道のりほど参拝のご利益があると好まれたのが、中辺路となる。ちなみに、その他の古道は、伊勢神宮からの伊勢路、奈良吉野からの大峯奥駈道、大阪からの紀伊路とあり、熊野本宮大社からさらに遠方からの道のりとなるから、候補にもあげていないもの。

選んだのは、最もメジャーな古道であり、熊野本宮大社へとつながる中辺路。どうせ熊野古道を歩くなら、険しい道を、納得するだけ歩きたい。熊野大社を目指して歩いた人々の跡を追って。やはり、自分自身が体験しないと分からない。大社を目指して山道を歩いた先に、自分は何を感じるのだろうか。普段は決してやらないことを、この機会を使って体験しておきたいという思いと共に。

中辺路も、全て歩けば軽く3日はかかる道のりで、とてもそこまで突き詰める気はなし。熊野参詣堂には、熊野の神の分社である熊野九十九王子が祀られており、その中でも格式の高い王子が5つある。その一つが、滝尻王子といい、熊野の霊域の入口とされている場所で、今回の古道歩きのスタート地点となる。

滝尻王子を出発としたもう一つの理由は、滝尻王子にある熊野古道館が運営している乗用車搬送サービスを利用したかったから。数時間歩いた後に、再び出発地点にバスで戻るほど無駄なことはない。ただ歩くのが目的じゃなく、やはり、目指すは熊野大社と、参詣のための道のりにしたいとの思いが強くあり。そんな思いの中見つけたのが、このサービス。滝尻王子から、13km(徒歩6時間)先の近露王子、もしくは38km(徒歩15時間)先の熊野本宮大社まで車を運んでくれるというもので、歩く距離も望むところの十二分。それだけに早く古道を歩き始めたかったけど、朝に奥之院参拝を加えたために遅くなったとは、ご推察のとおりで。

目指すは、近露王子までの13km6時間の道のり。熊野本宮大社の参拝時間が17時までで、10時出発、近露王子6時間後の16時着の当初予定は崩れたけど、標準時間は、あくまで観光で訪れる年配者も含めた平均値だろうと楽観視。歩く速度には自信があると、さっさと鍵を預けて、11時前に熊野古道を歩き始める。

滝尻王子から500mごとに番号道標が立てられているけど、歩く際には番号の意味を知らなかったから、参考とせず。基本的に、目標にしたのは、近露まで4つある王子と、神社等主要なポイント。親切なガイド本の古道歩きマップには、それぞれの区間の距離が書かれていたから、これを目標に歩いていく。

杖は13kmの道のりを歩くには、バランスが崩れて邪魔にしかならないと判断し、使用せず。タオルや水筒を入れたバックパックを背負い、山道を登っていく。熊野古道と聞くと、それなり整備された道のイメージがあるが、これが単なる山道に過ぎないことを、歩いて数百m過ぎに気付く。特に、滝尻王子からの道は険しく、急な上り坂が続くことから、観光気分で来た人は、500m先にある不寝王子(ねずおうじ)を過ぎた頃には、さっさと諦めることだろう。

不寝王子からは、周りを雑木林に囲まれたさらに急な山道を、滑らないように道を横断する木の根に足をかけながら、登っていく。ひたすら続く上り道を、息を切らしながら歩き、登りきったところで一休憩。出発1km程で、既に45分が経過。残りは、5時間15分・・・、これは長い戦いになるぞと気持ちを引き締め、腰を上げる。

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左:滝尻王子をスタートして最初にある登り坂。広めの歩きやすい道をイメージしていたから、突如始まった急な山道に驚く。
右:木の根を滑り止めに、山を登っていく。


山道は、道なき道を歩くことになるけど、ところどころに熊野古道という立て札を見ることができ、道を間違っていないと安心できるのが、支えとなる。これが、世界遺産登録によるメリットで、行き届いた管理に大いに助けられる。

休憩後は、下り坂も出てきて、順調に進む。途中にある展望台に立ち寄り、山頂から見下ろす景色を堪能。麓に見える小学校の校舎の小ささに、一山登ってきたことを実感、そのきつい行程にも納得したわけで。

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左:木階段が設置されたりと、段々歩きやすい道になっていく。
右:展望台で一休憩。少し肌寒かった山中から抜け出て、晴渡る青空と対面。


上りが多い前半の行程は、5分程度の休憩を2,30分に1回入れ、適度に水分を補給しながら、順調に進む。最初の1時間を過ぎた頃から、一定のスピードで歩くリズムに体が慣れ、特に苦もなく、もくもくと歩を進めていく。急な登り坂も、木の階段が設けられていたりと、歩きやすくなったことも一つの要因。そして、歩き始めてから1時間30分後の12時20分に、出発3.7km先の高原熊野神社に到着し、参拝。その後、すぐ側にある高原霧の里休憩所で昼休憩をとる。

高原霧の里休憩所は、滝尻-近露王子間の唯一の休憩施設で、広い駐車場からは、すぐ下に広がる山村の景色を眺めることができる。ロッジ型の休憩所は、近所のおばちゃんが経営しているようで、自販機数台の他、タッパに入った草餅や味噌汁といった食べ物もある。おにぎりやカップラーメン等しっかりした食べ物があればなおよかったけど、空腹を満たし、この後の道のりを乗り切るため、迷わず草餅と味噌汁を注文し、腹ごしらえをする。そして、ここで水筒に水を補充し、30分後の12時50分に休憩所を出発する。

出発後、数百mは急な登り坂が続き、足を休めたことの反動で体が重く、思うように前に進まない。ここは根性と、諦めず、休むことなく一歩づつ足を進め、後半最初の関門を乗り切る。

熊野古道とは、どこにでもある普通の山道で、田舎に住んでいて、山に入った経験のある人なら、驚きよりも懐かしさを感じることだろう。落ちれば這い上がれないような急峻な崖が古道に連なり続いていても、周りを木々に囲まれた尾根づたいに続く細い一本道からは、私が小さい頃は隣の山に薪を取りに、この道を毎朝歩いて通っていたよと顔をしわしわにしたばあちゃんの声が聞こえてきそうな、包み込むような優しさにあふれている。

それでも、わざわざ熊野古道を歩く価値は、長い日本の歴史と共にある熊野大社参詣という文化を体験することで、潜在的に持つ日本人の精神の原点を体感できることにある。また、大きな目標を制したときの達成感も同時に味わえ、ただ山を歩くことに大きな意義があることが、この古道へと向かわせた理由と言える。山道でありながら、世界遺産としてしっかり管理されており、倒木や道を覆うシダ等の草はおろか、山中で最も警戒していた蛇や蜂に出くわさなかったのは、その賜物とも言える。

中途半端な距離だったり、どこに向かうか分からない道と違い、しっかりと距離表示がある長距離の山道はそう見ることができず、これほど歩くことに集中できる山歩きはないと、ただただ感心するばかり。

熊野古道という歴史散策を通じて、本当の意味での自然と人々のつながりを認識し、山のおもしろさ、ありがたさに気付かされることこそ、この古道歩きの本当の価値だろうと、歩きながら思うのである。

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熊野古道の景色


休憩後も、30分歩き、丸太に腰を下ろして水を一杯の3分休憩ペースで山道を歩く。後半出発50分後に大門王子を抜け、1時間30分後に十丈王子に到着する。昼休憩所以降は、同じく古道歩き組を何組か見かけ、高齢夫婦、親子連れや中高年のおばちゃん仲間、若者の一人歩きと多彩な組み合わせに挨拶しながら通り抜ける。登り坂が続く道のりも、山歩きの体力には自信があるから、一定ペースで最後まで抜かれることなく歩いていく。

後半出発2時間後、計4時間後に、この古道歩きの最高到達地点、標高700mの上多和茶屋跡に到着する。ここまでで、ちょうど9kmを数え、残りは4kmながら、下りが中心になるから一安心。

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左:大門王子。王子跡には、小さな石碑が置かれ、古道歩きの大きな目標となっている。
右:上多和屋茶屋跡。ところどころにある丸太に腰をかけ、休憩を取る。


緩やかな下り坂から、山をジグザグに移動する段々急な下りに変わっていき、ここで登りとは違う辛さに出くわす。それなりしっかりしたスニーカー着用での山歩きも、山肌に足を取られて滑らないようブレーキをかけながら下りていたところ、足の爪が靴の先に当たり続ける衝撃により、我慢できない痛みが発生。足を横に向けてブレーキをかけながら下りるも、ときに指が先端に当たり、ひーこら言いながら下っていく。

1.2km先の大坂本王子に着く頃には、ようやく急な坂もひと段落し、ほっと一息。休憩には少し早いと、川の流れる緩やかな道を、柔らかい日差しへと変わってきた木漏れ日を浴びながら、一気に牛馬童子口バス停まで歩いていく。

牛馬童子口バス停は、道の駅「童子ふれあいパーキング」の側にあり、ようやく人間界に戻ってきたと、置かれたベンチに腰掛け一休憩。道の駅に車を止め、熊野古道の体験散策とここから数百m程度古道を歩く人も多いようだけど、シャツに大汗をかき、すっかりやつれた古道歩き組みは明らかに風格が違うから、ここは堂々と行く手を遮る観光集団を押し分け山の中に入っていく。

牛馬童子という名称が付いているのは、道の駅から800m程行ったところに、古道のアイドルと言われる牛馬童子像が置かれているから。道の脇にある童子像に参拝し、いよいよ最後の500mへと向かう。

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左:坂道から平地へと変わり、周りの景色を楽しむ余裕も出てくる。
右:牛馬童子像。ここまでくれば、後少し。


山が開け、人里へと下りる石階段の道に変わった頃には、ラストランの気分で、これまでの長い道のりを振り返りながら、終着点へと向かう。最後は、アスファルト舗装の橋を渡り、近露王子に到着。時刻は16時前、標準時間6時間を大幅に上回る、4時間58分36秒で13kmに渡る古道歩きをゴールする。

最後は、5時間の大台を切りたくて小走りだったりと、完全にマラソン大会と勘違いしていたところがあるけど、記録には十分満足。ただ、標準時間は、年配者を踏まえたゆっくりタイムではなく、かなり現実的なシビアなものだというのは、途中経過でタイムを計りながら実感したもの。区間の標準時間とほぼ同じ箇所がいくつもあり、どちらかというと、昼休憩を含めた休憩時間・回数が少ないことが要因だろう。

そもそも、年配の人ほど、山の歩き方を知っているからペースが速いところもあり、滝尻-近露王子間は、やはり6時間程度かかると見ておいた方が無難。ただ、負けず嫌いな方は、とりあえず5時間切り、次は自己記録の更新を目指すのも、一つの楽しみ方かもしれないけど。

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ゴールの近露王子




「熊野本宮大社参詣」

近露(ちかつゆ)は、本宮の手前最後の宿所とされ、近露王子も、熊野九十九王子の中で、文書に最も早く登場する等、熊野古道で主要な地を担ってきた場所となる。ちなみに、その名の由来は、花山法皇が箸折峠(童子像のある峠)でカヤを折って箸にしたとき、カヤの軸が赤いのに驚いて「血か露か」と問うことによるもの。

それだけに、近露王子の場所は平野部の開けた地にあり、王子のそばには、立派な喫茶店もある。昼を草もちだけで済まし、すっかりお腹が減っていたから、夕食時間を気にしながらも、うどんとめはりずしをいただく。すっかり落ち着いたところで、次の目的地とガイド本を見ると、熊野本宮大社の参拝時間は、17時までという無情の表記。時刻は、16時20分を回り、ここから本宮まで30分かかるとして、既にぎりぎりの時間。慌てて行ってもしょうがないと、半ば翌日の参拝を視野に入れつつ、とりあえず行ってみようと、移動を開始する。

近露王子からは、約30kmの道のり、ちょうど17時過ぎに熊野本宮大社の駐車場に到着し、急いで大社へと歩いていく。参道の先にある一の鳥居から始まる石段は158段を数え、熊野古道を歩いてきた者に、最後の試練をもたらす。重い足を持ち上げて、階段を上りきった先の神門をくぐると、広い境内に出、その先に、簡素な美しい社殿が目に入る。

熊野本宮大社とは、紀元前に崇神天皇により創建された、全国に3千社以上ある熊野神社の総本宮となる。本殿では、家都美御子大神を主祭神に、熊野牟須美大神、速玉之男神、天照大神の4柱をそれぞれの社殿で祀っている。元々熊野川の中洲に社殿があったが、明治の大洪水で流され、流失を免れた上四社を、現在の山の上に移築したという経緯を持つ。ちなみに、家都美御子大神(熊野坐大神)が、須佐之男尊(スサノオノミコト)を指していたり、神武東征の際に神武天皇を熊野国から大和国に道案内した八咫烏(やたがらす)と関わりがあったりと、熊野大社の格の高さを感じさせる伝説は多く、後白河上皇が34回参詣しているなど、天皇家とのつながりも深い。

本宮大社では、4つの社殿にそれぞれお参りし、参拝を終了。17時までという参拝時間は、連休中のためか関係なさそうで、18時を前にしても、まだまだ参拝者が訪れていたから、参拝前に確認しておきたいところ。

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左:本宮大社へと続く、158段ある長い階段。
右:4社殿からなる独特の造り。桧皮葺の屋根が趣を感じさせる。




「串本ロイヤルホテル」

熊野本宮大社横を流れる熊野川の雄大な流れをしばし眺めた後、宿に向けて出発する。大社からは、熊野川沿いを走る道路で、なかなか壮観な景色を眺めながらのドライブを満喫。出発30分で、三重県との県境になる新宮に到着し、ここから海沿いに南下していく。那智勝浦新宮道路なる自動車専用道路ができていたから、いたって快適なドライブ。そして、新宮からさらに30分かけ、すっかり辺りが暗くなった19時過ぎに、2日目の宿「串本ロイヤルホテル」に到着する。

宿が全く見つからない中、旅行2日前に出たキャンセルを急いで抑えたホテル。串本は、本州(かつ和歌山県)最南端に位置し、翌日の那智勝浦方面への観光に便利な立地が、少々高い宿泊料を受け入れた理由。さっそくチェックインを済ませ、ホテルで一休みした後、夕食を食べにレストランに向かう。

夕食バイキングの選択の余地がなかったのは、ほとほと残念。宿はビジネス、食事は地元の名店が旅行の基本形態ながら、セット料金の値段に、諦める。このホテルのバイキングは、他とは違って豪華でおいしいという口コミ評価が当てにならないことは、席を探しながら覗いた並ぶ料理を見て、早々に気付く。だから、バイキングは嫌なんだと思いながらも、仕方なし。

マグロやタイの刺身に鯉の洗い、中華料理や、天婦羅、シェフ調理による焼肉等適当に料理を盛り付け、使い果たしたパワーを補充。ほぼ、家族連れの利用から分かるように、和食ファミレスの延長と思えば間違いなく、騒々しい大ホールでの食事となるから、食事早々に退散することになり。飲み放題が付けば、まさにビアホールとなるけど、残念ながら、ここはビール一杯700円・・・。1泊一人1万7千円の値段を思うと、ここの利用はあまりおすすめできないと感じたもので。

食後は、温泉に浸かり、体を休めて最終日に備える。高野山奥之院参拝に始まり、熊野古道歩き、熊野本宮大社参詣と、充実した一日を振り返りながら、2日目を終える。

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夕暮れの熊野川を眺めながら串本へと向かう。

酒まつり in東広島市西条

10月10日(土)、11日(日)で開催される酒まつりに、本日参加。なかなか立ち寄る機会がない東広島市も、全国に知られる酒どころ西条の酒まつりがあるならと、会社仲間と共におしかける。

広島駅ホームを埋め尽くす、電車に乗り切れないほどの人だかりに、このイベントの大きさにようやく気付く。正直、日本酒をたしなまない者としては、このイベントは酒好きの集まりに過ぎず、まつりの規模も限られてくると思い込んでいたものだから。

ちなみに、広島市からJRで30分程の地にある西条は、広島市のベッドタウンとして人気の町で、広島市内から移転した広島大学の拠点ともなっている地。合併による東広島市誕生前は、西条町として7万人程度の規模を誇ったようで、現在も人口20万人弱の東広島市の中心地として市役所が置かれている。

酒との関係は、江戸時代には、山陽道の宿場町として栄えた町だったが、明治に入り鉄道を引き込み駅を作ったことにより、商家が酒造を始めたことが、起こりとなる。盆地のため寒暖の差が激しい気候や、質の高い水が酒造りに適し、灘、伏見と共に酒どころとして、全国に知られるまでになったという。ちなみに、酒まつりは、今年で20回目を数え、2日間で25万人を集める大イベントとなっている。


JR西条駅を出たところで、皆と合流。東広島市在住の案内役を先頭に、本日参加の5名でうろうろと町の中を歩き始める。

普段は、週末に2箇所程しか開いていないという酒蔵が、今日は8つ全てが開き、それぞれが趣向を凝らしたイベントを行っているのが、この祭りの特徴。駅周辺に蔵が集まるこじんまりした街並みから、歩いて回れるのは、嬉しいところ。

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左:宿場町・四日市時代の名残。広島藩最大の御茶屋本陣跡に建つ、御門。
右:酒蔵の集まる白壁の街並みもこの町の特徴。


まず最初に向かったのは、賀茂鶴。西条で最も有名な蔵だというが、日本酒を飲まないから、知る由もない。入口にできた長い行列は、小カップによる無料試飲を求める人々の列。まずここで、賀茂鶴の上等酒を飲み、香りのいいまろやかな口当たりに一驚き。

酒蔵内の広いスペースには、多くの蔵が並び、それぞれでイベントしているから、いろいろと見て回る。まずは、きき酒コーナーがあり、こちらは500円を払いチケットを購入。小カップに、ゴールド(大吟醸、純金箔、50歩)、双鶴(大吟醸、38歩)、にごり酒等4種を注いでもらい、飲み比べ。日本酒の違いなど分からないとの思いを覆し、辛みが強かったり、まろやかな中に最後にピリッと辛みを感じさせたりと、それぞれ異なる味わいに、感心。中でも、双鶴(そうかく)は、別格のおいしさで、品のある味わいに日本酒を大きく見直す。

水で割らない原酒やにごり酒等、この機会にしか出さないお酒が多いのも、この祭りの特徴で、ファンを引き付ける理由によう。これまでの経験から、おいしく日本酒を飲んだ後に、いい思い出は残っていないから、きわめて慎重。一人一杯までとお替りを禁止する貼紙を前に、進んでカップ半分でとお願いする姿に、軟弱振りを発揮する。

酒蔵を使って、酒の造り方の紹介や、かつて使っていた道具などが飾ってあり、それを見るだけでもおもしろい。新酒ができたことを知らせるために付け替える軒先の杉玉を見たり、酒樽を覆う菰巻き(こもまき)の実演を見たりと、酒蔵ならではの催しを楽しむ。

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左:蔵の中が試飲会場
右:杉玉。一年経つ頃には、枯れて茶色の玉へと変わる。


酒蔵だけじゃなく、あらゆる通りが、人であふれているのは、驚き。酒アイス等酒アイテムが中心だけど、地元の人達が出している屋台も多く、世羅牛丸焼きやマツタケご飯等お酒を飲めない人や子供も楽しめるイベントになっているのが、その理由。

ここで感心したのは、このまつりが、地元主体に行われていること。それは徹底したもので、いわゆるプロの屋台が一切ない。地元意識の希薄化が叫ばれる昨今に限らず、管理面や人手確保の難しさから、人任せにしがちで、多くの祭りで地元の商店の前にプロ屋台が軒を連ねる、違和感ある場面をよく目にする。ところが、この酒まつりは、○○地区とか、○○スポーツ会、○○商店といった地元の企業や地域の人たちが、それぞれテントを張って食べ物等を出していて、その地元にお金が落ちる仕組みに大いに感心。メニュー自体も、地元水産業者が、タコ天ぷらをだしたりするから、よほどおいしかったりし。

これなら、こっちも気持ちよくお金を落とそうと思うし、この期間中頑張った人達が、今度は打ち上げで、西条の町でお金を使う。2日間で25万人が訪れる大イベントをさらに活性化させているのは、この仕組みによるところがあるんじゃないかなと思ったもので。


賀茂鶴を見た後は、事前に予約をしていた美酒鍋会場に行き、お鍋の昼食。東広島市役所駐車場に設けられた、大座敷にあがり、割り当てられたテーブルに着座。テーブルには、ガスコンロと鍋、3本の日本酒(各300ml)が用意され、後から具材が運ばれてくる。

美酒鍋とは、西条が生んだ郷土料理で、作り方は簡単。まず、スライスニンニクを鍋で炒め、豚肉を入れる。塩・胡椒で下味を付けて焼き、続いて好みの日本酒を150ml鍋に注ぐ。そこに、白菜、たまねぎ、もやし、ピーマン、しめじといった野菜類を入れ、しばらく火にかける。しなびてきたら、塩と胡椒でしっかりと味を付けて、完成。と、家庭でもできる簡単な料理だということが、今回分かる。

アルコール分が抜けて、酒のうまみだけが残ることから、酒の飲みない人や子供でも食べられることも特徴の一つ。開放感ある畳の上で、わいわい皆と食べたからか、これがなかなかおいしくて。ダシは酒だけだから、しっかり塩・胡椒が味の決め手となるけど、しっかり酒のしみこんだ野菜が思った以上においしい。野菜セットは、1グループに2つ付き、違う種類の酒でもう一度鍋を楽しめるというのもおもしろいなと、料理で余った日本酒をちびちび飲みながら、鍋を堪能したわけで。

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左:美酒鍋会場。特設テントに下に畳敷きの広間が作られ、くつろいで過ごす。
右:美酒鍋。日本酒を多めに入れるのがコツかな。


酒まつり最大の特徴は、酒ひろばという、日本酒飲み放題会場が用意されていること。事前に整理券を購入する必要があり、入場料は1600円(前売1300円)。お猪口を片手に、全国から厳選された900銘柄の酒を飲み比べるため歩き回るという、噂に聞く恐ろしいスペース。周りがシートで囲まれ、一切中が見れないようになっているのは、きっと繰り広げられているだろう粗相を、公にしないために違いない。そしてもちろん、そんな危険地帯には近寄らず、健全に街中へと戻ったわけで。

その後は、白牡丹、亀齢(きれい)、福美人と酒蔵を回り、試飲をしたり、酒ソフトクリームや酒饅頭を食べたり、酔書という自由参加の書道を見学したりと、時間を過ごす。

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左:福美人の酒蔵。各酒蔵にある赤煉瓦の煙突が、白壁の町によく映える。
右:道々で多く見られる試飲所。酒まつり限定酒等1杯100円が基本。大吟醸300円や枡酒500円なんかもあったりする。


それにしても、この祭りがすごいのは、道を歩いている人たちが、皆酔っ払いだということ。真昼間から、顔を赤らめ、なぜか皆にこにこと笑顔で町を歩き回っている。常識では考えられない、この非日常的な光景が、なんともおかしく、そこに自分も仲間として加わり楽しく歩いていることが、またまたおもしろくて。

祭りというと、神輿を担いだり、出し物をしたりする主役の人たちと、それを見学する観客という形ではっきり分かれるものだけど、ここは、お酒を飲み酔っ払う、ここを訪ねる全ての人が主役という、自己参加型の新しい形態。食べ物と違って、お腹いっぱいになることもなく、移動しながら飲むから意外と量もいけ、さらに酔いながら歩くから速度も遅く、思った以上の長時間、この祭りを楽しむことになる。

批判の的にされがちなお酒を、ここまで公に、町の大イベントに育て、町中を酔っ払いが歩き回る光景を許容する懐の深さに、酒の町としての歴史と文化を感じさせ、そんな光景がなんとも心地よく、またこの雰囲気を楽しみたいと思わせる。


噂ばかりで耳にしていた、道に寝ている人をあちこちで見かけるという、このまつりのもう一つの面を見る前の17時に、再び広島市に向け移動を開始。こうして、日本酒のおいしさと、また来たくさせるこの祭りのおもしろさを発見し、東広島市初訪問を終える。

日本酒と言えば、山口県の獺祭(だっさい)、五橋や、名の知れた新潟の久保田といったところで満足し、深入りせずにいたけど、もう少し幅を広げてみようかなと思ったもので。まずは、地元のお酒・賀茂鶴からと一歩づつ進みながら。

熊野詣記②

1日目【9月19日(土)】

「出発」

朝5時に起き、出発の準備へ。前回の讃岐うどん巡りに続き、渋滞想定の早朝出発は常套手段となりつつあり、結局他人より先に動いてしまえという単純な発想が、意外と効果的であることに味をしめる。

家を出たのは、6時15分。渋滞したSAで朝食や給油をするのを避けるため、コンビに立ち寄りで朝食を購入し、ガソリン満タンで高速に乗る。高速道路は、通常の休日と比べれば車の密度が高いといったレベルで順調に走行、2時間後の8時過ぎに岡山県の吉備SAで小休憩を取る。

渋滞のメッカとして知られる兵庫県宝塚IC近辺では、対向車線に大渋滞を見ることができ、これが噂の銀週間の渋滞かと他人事として鑑賞しながら、通過する。行きで混んだのは、大阪府内に入った中国吹田IC付近ぐらい。そこで一瞬止まったものの、すぐに渋滞は解消し、阪和道へと乗り換える。ちなみに、高速道路そばには万博公園があり、突然目の前に太陽の塔が現れたときは、初めて見る圧倒的な迫力に、ちょっとした感動を覚えたもの。

順調に進み、和歌山市内に着いたのは、11時前。400km超の道のりを、想定通り、4時間30分で到着する。高速料金は、大阪環状線が別料金等よく分からない料金体系により、2900円の負担。それでも、公共交通機関だと、所要時間4時間弱、片道一人1万2千円の負担となるから、十分納得の移動だったわけで。




「昼食・和歌山ラーメン」

初日の目的地が高野山の中、和歌山市内に立ち寄った理由は、ただ一つ。お昼に和歌山ラーメンを食べたかったから。目指すは、和歌山ラーメンの有名店「井出商店」。今から10年前、ご当地ラーメンブームの象徴であった新横浜ラーメン博物館に出店したことで一躍有名となった和歌山ラーメン、そのお店が井出商店だったことは、今も強い印象として残っている。

結局、学生時代訪ねることなく終わったラーメン博物館も、ついに10年の年月を経て、井出商店に到着。開店30分前の11時に到着し、一番客として店の前に並ぶ。今後の観光を思うと、無駄に昼食時間を取るつもりはなく、時間が計算できる開店前の行列の先頭に並べた幸運を喜ぶ。

当初あまりのひとけのなさに、もう人気がなくなったのかもと思うも、段々と人が集まりだし、少し早めの11時20分に開店した時には、30人からの行列に大発展。気持ちよく誰もいない店内に案内され、特製中華そば(700円)を注文する。

特製中華そばとは、中華そばと比べ100円増しの分、チャーシューが多めに入るお得なメニュー。壁に貼られたラーメン博物館出店時の懐かしのポスターを見ていると、さっそくラーメンが到着。まずはスープからと一口飲む。

そこであらためて、和歌山ラーメンが、しっかりとしたトンコツをベースに醤油を合わせた、トンコツ醤油ラーメンということを認識する。定義の幅広いトンコツ醤油の中、ここは、豚骨を乳化させるまで煮込んだとろみのある濃厚トンコツとそれに負けない醤油ダレがそれぞれしっかりと主張しながら、不思議とこの二つが絶妙に絡み合い、初めて出会うおいしさを感じさせる。濃い目のスープも、くどさを感じさせない柔らかな味わいに、最後までおいしくいただける。チャーシューは柔らかく旨みがつまった上物で、濃厚スープとの相性もよく、細麺は、しっかりとスープが絡み、それぞれバランスがとれた、一品。和歌山ラーメンというジャンルを確立した個性に納得しながら、ラーメンを楽しむ。

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11時40分に店を後にし、さっそく高野山に向けて出発。一般道から山道へと入る経路で、2時間後の13時30分に、高野山に到着する。




「高野山観光」

・・・
高野山について、まずは解説。

高野山とは、和歌山県北部、周囲を1000m級の山々に囲まれた標高800mの山上の平坦地に位置する、117の寺院が立ち並ぶ真言宗の聖地をいう。

弘法大師・空海は、唐の長安に渡り、真言密教の奥義を究めて帰国。帰国後、嵯峨天皇から高野山を下賜され、約1200年前の816年に、ここに修禅道場を開いたのを始まりとしている。この密教を基盤に空海が開宗した真言宗とは、宇宙の本体であり絶対真理の大日如来を本尊として、大日如来の知恵に目覚めることを教えとしている。

・・・

高野山まで、ある程度の渋滞を覚悟したが、スムーズな到着。どうやら、大型バスでのツアー客が多いようで、山中にある環境からも、そこまで多くの観光客が集中していない様子。まずは車を置いて、歩いて観光しようと、寺院に併設されている駐車場を探し、高野山霊宝館に空きを見つける。

まず向かったのは、高野山の入口となる大門。高さ25mの巨大な門で、徳川綱吉が5年の歳月をかけて1705年に再建したものとなる。山々が連なる景色の中にそびえる朱門は壮観で、聖域への入口を飾る迫力に圧倒される。門入口の脇を固めるのは、金剛力士像。上からにらみつけられながら、高野山へと足を踏み入れる。

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門を過ぎたところで、バス停前にある茶屋「南峰堂本舗」で一服。ガラスケースにおいしそうな作りたての饅頭が並び、その中から焼もちを選ぶ。店奥で、お茶を飲みながらいただいた焼もちは、塩味のあるもちが、こしあんの甘さを引き立てなんともいえないおいしさ。できたてならではの柔らかさも、嬉しいところで。

一休憩したところで、壇上伽藍へ。壇上伽藍とは、空海が密教の根本道場として建立した根本大塔、真言寺院の規範となる金堂などの堂塔19棟が境内に並ぶ、高野山開創当初に建立した聖地となっている。

高野山の総本堂で、年中行事の大半が行われる金堂と、50mの高さを持ち朱色の壁面で一際目立つ根本大塔には、内部に入り見学。根本大塔内は、胎蔵界大日如来を中央に、四方に金剛界の四仏(阿閦・宝生・弥陀・釈迦)を配置し、その周囲の16本の柱には十六大菩薩を描いて曼荼羅を立体にあらわした造りとなっており、黄金に輝く仏像が居並ぶ壮観な内装と厳かな雰囲気をしばし堪能する。

ちなみに、本来別々の密教仏典に書かれている「胎蔵界」の仏像と「金剛界」の仏像を一緒に安置するのは異例のことらしいが、これは両者は根本的には一つだという空海の思想を表したもので、「根本大塔」の名前の由来になっているという。別の宗派で本尊とされる釈迦や弥陀が、大日如来に従っている姿に、宗教の解釈のおもしろさを思ったもので。

壇上伽藍の敷地は広く、14世紀初頭に再建され、高野山で最古の建物であり国宝に指定されている不動堂があったり見るものも多く、思わぬ時間をかけて、見学を終える。続いて向かったのは、車を置いている高野山霊宝館。高野山の主要な寺院は、500m程度の範囲の平地に集まっており、各施設に駐車場があるわけじゃないから、歩いてまわるのが最も効率がいい方法となる。

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高野山霊宝館とは、高野山に現存する仏像や仏画等の宝物を収蔵した宝庫。国宝21件、重要文化財142件、計2万8千点弱の文化財を収蔵。彫刻では、力強い迫力を感じさせる平安後期・重文・不動明王坐像、木像でありながら衣の柔らかさまで感じさせる鎌倉時代・運慶作・国宝・八大童子像、絵画では平安時代・五大力菩薩像の勇ましさを楽しみ、書跡では、平安時代・国宝・源義経自筆書状で、かの義経の直筆文に思わず見入る。

とにかく、数多くの仏像、仏画が並び、どれもが国宝、重文クラスのため一つ一つをじっくりと見学。ここまでの文化財は、ちょっとした博物館でも揃うことはない。さすがは、過ぎた時代そのものがここの歴史である高野山。ただただ、感心しながら時間を過ごす。


そんなわけで、霊宝館を後にしたのは、15時30分。宿には、16時にチェックインと伝えていたから、もう残された時間はわずか。明日は、熊野古道散策を予定していて、朝8時出発を見込んでいたことから、高野山の観光時間はほとんど取れない。できる限りまわらねばと、急いで金剛峰寺に向かう。

金剛峰寺は、高野山真言宗の総本山。元々は、豊臣秀吉が亡母菩提のために建立した青厳寺と興山寺を合併し改称したもので、青厳寺は豊臣秀次が自刃した場所としても知られている。建物は、江戸末期に再建された書院造建築となる。本来、空海が名付けた金剛峰寺とは、高野山全体を指す称号だったが、明治期以降は、この総本山寺院のことを称するようになったのだとか。

檜皮葺きの大屋根を擁する主殿では、回廊を歩きながら見学する内装に、狩野派による黄金色の襖絵を各部屋で見ることができ、その重厚な美しさに魅せられる。奥殿手前にある、日本最大の石庭蟠龍庭(ばんりゅうてい)では、ほんの少し色付いたもみじと共に雄大な庭を楽しむ。

主殿を見学したところで、広間に案内され、一杯のお茶と茶菓子をいただくサービスがあり、一休憩。時刻は既に16時を回り、これはまずいと宿に連絡を入れる。チェックインを遅らし、最後の観光地・奥の院に行くか、明日の朝にまわすべきかと悩みながら電話をすると、17時までにはチェックインをしてくれと厳しいお言葉。となれば、悩むまでもなく、急いで金剛峰寺内を見て回る。

奥殿では、天皇、上皇が登山された際の応接間である書院上段の間を見学。総金箔の壁と折上式格天井の華やかな書院造と、寺内でも別格の部屋に感心する。最後に、かまど炊きの台所を見学し、終了。

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「宿坊・普門院」

金剛峰寺から、歩いて駐車場に車を取りにいき、宿泊所である普門院に着いたのは、16時30分。まずは、普門院について、簡単に説明。

高野山の宿坊に泊まることができると知り、大急ぎで宿を押さえたのが、この旅行の始まり。高野山には、50超の宿坊寺院があり、1寺院30組程度が宿泊できる造りになっているものの、唯一空きがあったのが、ここ普門院。
普門院の名の由来は、普門の大日如来を本尊とすることから。弘法大師空海の剃髪の師・勤操大徳が、弟子空海の高野山開創を喜びこの山に一寺を建立したのが、この寺の始めとなっている。

寺の拝観口から上がり、横の小部屋でチェックイン。希望があれば、朝のお勤めでご先祖様の供養をしますよと聞かれるも、曹洞宗門の先祖が高野の山奥で迷ってはいけないからと、やんわり断る。通常は部屋食だけど、今日は客が多いから広間での食事になると説明を受け、準備ができたら電話をするからと、17時30分頃部屋にいるよう指示を受ける。若いお坊さんに荷物を運んでもらい、夕食会場等の説明を受け、部屋で一休み。既に17時を回っていたけど、汗を流したいからとお風呂へ。ちなみに、トイレ・風呂は共同となる。

高野山での宿泊は、修行の心構えで来ているため、部屋に豪華な設備は求めず。ただ、寺院内の部屋ではなく、併設された宿舎の快適な10畳和室だったため、少しイメージは違ったけど、寺院の中で過ごす雰囲気は、やはり他では味わえないもの。

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案内された広間での食事は、他一組が同じ部屋だったけど、ついたてで仕切られていたため、さして気にならず。出てきた精進料理は、華やかさはないけど、練物に見立てた山芋の揚物、高野豆腐や南瓜、椎茸の煮物、胡麻豆腐、野菜の天婦羅と、それぞれにしっかりとした味わいがあり、おいしくいただく。飲物は、一夜の修行中の身のため、遠慮。ここで、冷たいビールを飲むとおいしいだろうなと、葛藤しながら。

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食後は、夜の散策に。金剛峰寺のすぐ近くにある普門院周辺は、高野山の中心部に位置していること、周りに宿坊が多いことから、道沿いにお店が並ぶ賑わい地帯。ただ、19時過ぎに出かけた頃には、周りは既に暗闇に包まれ、観光客はほとんどおらず、店もお土産物屋数件が開いている程度。高価な数珠や三鈷杵といった法具を土産物屋で見学し、しばらく散策した後、あまりの冷え込みに、さっさと宿に戻ることに。


こうして、1日目の観光を終了。高野山宿泊という貴重な体験を満喫しながら。
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Author:hiro

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