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4ヶ月振りの広島訪問

気付かない内に、日記の人気投票で山口食事所のポイントが増えていたこともあり、久々山口食事所を更新。先日、気分転換に萩を訪ねた際に見つけたお店2店を加え、全体的に改装。晦事(ことこと)は、この春にオープンしたばかりながら本当にいいお店で、ぜひ一度訪ねてみてほしいところ。

つくづく思うが、山口にはゆっくりと過ごせるカフェがない。オシャレや奇抜さより、やはりカフェに求めるは、居心地の良さ。本を片手に、2時間でも3時間でも過ごせるような、ゆったりとした雰囲気の店がほしい。客の回転率など求めず、手頃な値段でコーヒーとケーキを食べられるような。

そう、求めるは「STICK SWEETS FACTORY」。もし兼業を認めてもらえるなら、いやたった今リストラされたなら、この店のフランチャイズを山口県内で展開したい。全席ソファの座り心地のよさは格別、100円台からのスティックケーキ(いつも食べたくなる純生ロール)に、コーヒーとセットで400円程の手頃な値段が、気軽な利用を促す。程よい客の回転で、長居を気にせず過ごせるのもよし。

どうも全般的に、客が少なくても利益が上げられる、無難な(つまらない)店ばかりが目に付いてしまう、山口県のグルメ事情。週末の充実した時間を過ごせる、心にゆとりのある店を見つけたいところで。


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さて土曜は、家族サービスがてら4ヶ月振りに広島市内に足を踏み入れる。まずは、広島ICすぐそばに位置する広島時代のアパートを訪ね、いつものようにアストラムラインでの通勤や、走り慣れたランニングコースに向かうような、今もここで生活している感覚に一瞬で引き戻され、強烈な懐かしさに心が揺さぶられる。

これまで過ごしたどの場所にもいい思い出しか残っていないが、ここ広島での2年間は格別。仕事でも、私生活でも、自分の価値観を大きく変えたような強い思い出ばかりが残る。違う環境に身を置くことの大切さは、体験したものじゃなきゃ分からない。誰も味方がいない強者どもの中で、どのように戦い、生き残り、そして自分の色を出していくか。同族の中での馴れ合いでは決して分からない、異文化同士の戦い方と仲直りの仕方、戦う上での自分の武器を身に付け、気付かされた場所。おかげですっかり好戦的となり、少々浮き気味なところがあるこの頃ではあるが。

中国地方の雄がこのレベルで満足していては誰も付いてこないと、広島県人に対し常に発破をかけていたが、適度な街の規模もなんとも過ごしやすくてお気に入り。山口県に帰り、この町は死んでいるんじゃないかとその覇気のなさを嘆いたものだけど、それに慣れつつある自分に今回気付き、大きく反省。

歩く人の多さ、店の数こそ町の活気の源で、そうした力が、さらに多くの人を引き寄せる。ただ歩くだけで、ここはこうしたらいいんじゃないか、こういう方向も考えられると、次々ひらめくアイディア。そうした刺激の有無が、都会と田舎の違いの全て。脳が活性化を促すこの刺激により、より魅力的な町へと変わっていく。

つくづく、山口県にも人であふれるような活気のある町を作らないといけないと実感。そして、そんな刺激は、何かをしたいと考える若い人は、必ず身を持って触れてほしいと思う。ついに150万人を切った山口県の人口減の大きな要因は、大学進学と共に都会へ出た若者の県内就職が進まないことにあるが、そんなリスクは恐れず、いつか故郷で錦の御旗をという気持ちを心の片隅に持ってもらいながら、外の刺激を受けるため積極的に都会へと送り出したい。

日本に必要なのは、地方の活性化であることは言うまでもない。ただそこで必要なのは、第1次産業の所得保障や公共事業による雇用創出、都会並みの最低賃金引き上げ等安定した何かを与えられることではなく、地方が自ら活性化できる仕組みを与えられることである。

そこには、地方消費税増加による自主財源の確保といった行政サービスの基盤を成すための必要最低限の仕組みと共に、成長を可能にする仕組みの変更が求められる。

利潤を追求しない地方自治体が自ら収入を増やすには、企業又は住民から納税の増加しかない。税源移管という公平性を担保する小手先の変更ではなく、企業が地方に本社を置ける仕組みこそ、今求めたいこと。大阪でさえその流れに逆らえず、東京一極に本社が集中する形態にこそ、地方閉塞の原因を見る。

米国の世界的な企業の多くが、高い税率の大都市を避け、地方に本社を置き十分に成り立っている事実。インターネットという世界の国境さえなくそうという時代に、なぜ東京一極集中に誰も疑問を持たないのか。東京の富を地方に分ける制度(地方交付税や公共事業)に疑問を呈すなら、まずその根本的な仕組みを変えるべき。

霞ヶ関に権限が集中する中央集権機能、日本的な規制行政がその理由にあげられることが多いが、今後個人的にこの論を展開し、積極的な地方への本社移管の流れを作りたいと思っているので、少し深めて勉強するつもり。

さて、久々の広島町歩きは、懐かしさと共に、うらやましさを感じる。仕事帰りにひょこっと飲みに行ける、本屋で新刊を見つける、そごう地下1階の福砂屋でカステラを買う等々、あの生活に戻りたい、いやこの生活を山口で作らねばと思う一日を過ごしたところで。


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そんな広島時間のうち、スティック・スィーツ・ファクトリーに30分程休憩がてら訪ね、本を一冊読み終える。広島本通りの本屋で見つけたもので、当日購入した弘兼憲史著「気にするな」。

弘兼さんといえば、言わずと知れた「課長 島耕作」の作者で、政治漫画「加治隆介の議」には少々相容れないところがあるが、課長については高校時代から愛読し、サラリーマンになろうとよく分からない感化された思い出作品でもあるので、彼の考えでも見てみようと。

課長 島耕作の一場面を引用した最初に出てくる言葉がよくて、「いやな仕事でえらくなるより好きな仕事で犬のように働きたいさ」とは、今の自分の心境でもある。ワークライフバランスが主張され、仕事ばかりしているとバランスの悪い人間のように言われるとは筆者の言うとおりで、ただ上にこの意識がないと非常に辛いもがあるとしても、適度に気にかけてもらいながら、好きに仕事をしていることには、できるだけ干渉せず、自由にさせてほしいと思うところ。

毎日23時過ぎに帰宅し、土曜日出勤も常態化しつつあるこの頃だけど、忙しいと聞かれるとすんなりそうだと答えられない。なぜなら、こうやりたいというアイディアをどう実現させるか、どういう戦略・作戦で今後展開していくか、何かやるべきことはないかと、目の前のこなすべき仕事に加え、かなり時間のかかる余計な仕事を作っているところがあるから。

その一つ一つが、結果を出すための布石であり、結局何もしないことと同じ結果しかもたらさないかもしれないけど、できる限りの手は打ちたい、そしてそれが必ず結果につながるという確信があるから、全力で立ち向かう。

与えられた業務を、決められた時間の中でするのが本来求められる役割であり、そこでこなすのが認められる能力なのだろうと分かっちゃいるが、そんなためにこんなおもしろい仕事を中途半端にこなすなんてもったいないことは自分にはできない。だから、忙しい?と聞く人には、とにかく楽しいですねといつも返していたりする。

近年よく使われる「閉塞感」に関する否定的な意見にも賛成。人生自己責任論は最もなことで、少子高齢化、日本経済の衰退と明るい未来が描けない状況を政府や社会、大企業と他人のせいにし、閉塞感という言葉で括ることには、大いに違和感。なぜ、今の日本に対しそこまで否定的な見方をするのか理解できないところがあり、そのための打開策どころか目の前にあるチャンスを、識者もどきの方々(マスコミ)のもっともらしい論調で消極的な思考を植えつけられ、自ら失っていることを歯がゆく思っていたところだから、その考えに同調。

下を見たらきりがないように、上を見てもきりがない。結局のところ、自分がどの程度で納得できるのか。その程度を知ることが、自分の生きる道を知ること。その選択には自分にしかできないから、人生は自己責任だという。その人の程度(キャパ)を見据えた上で、自分の実現可能なキャパでのトップを目指すしかないとは、少々現実論過ぎて厳しいところがあるが、そのキャパを経験や学習でいかに広げるかも人生の楽しみであり、一方、最初の枠自体を大きなものとし、成長に合わせてさらにサイズを大きくしていくことが、人生の鍵ではないかと思うとこ。

最後は、不満を持っている若い人へのメッセージとなるが、これは誰にでも共通すること。基本的に人と比較しない。人は人、自分は自分。自分が一番楽しいと思うところに自分を置いておけば、余計な不満を抱えることもない。時には「気にしない」というスタンスも選択肢として存在するのでは、と提起する。

他人から見たら順風満帆な人生を歩いてきたと思われないところがあり、苦労して頑張ったと勝手に誤解されることもあるけど、気ままに自分のやりたい方向を目指した結果が今というのが実情。特に大学以降においては、その時々で、できることは精一杯という意識で取り組んでいるが、それは頑張っているというより、楽しんでいるに近く、頑張る人と思われるのは誤解でしかない。

どの仕事をしていても楽しいと思えるのは、頑張るわけではなく、自分がやりたいことを取り入れ楽しんでいるから。そこに他人との比較は不要で、自分の満足感が全て。時に周りの評価が気になりつつも、自分の目指す方向が正しいなら、「気にしない」というスタンスはなにより大事。その結果が、上の求めているものと違うなら、それを理解してもらえないことは「仕方がない」以外の何物でもなく、人事異動で好きにしてくれというシンプルな考え。

こんな考えは、合う人は合うし、合わない人は合わないのだろう。弘兼さん同様、他人の考えを否定するつもりはなく、違うという意見には、そうですかと言うだけのこと。そんなものかと思ってしまうが、周りには思った以上に仕事を楽しいと思ったことがないという人が多い。どうせなら、楽しまなきゃ損と思うと共に、なんだかんだで仕事を楽しめる自分は、ありがたいことだなと思うところで。
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豪雨災害復興参加

今年の方針として掲げたプライベートでボランティアを取り入れることを、少々変則的ではあるが本日実行。豪雨による堤防決壊で、山陽小野田市・旧山陽町中心部が冠水したとは、先日お伝えしたところ。

災害直後に必要なことは、お金ではなく、人力。人海戦術による復興作業こそ、地域住民が通常の生活に戻る第一歩目。ということで、本日災害復興ボランティアに参加。

炎天下の中、水分補給と適度な休憩を意識し、泥と水分を含み廃棄物化した家財道具と格闘。燃えるゴミも、燃えないゴミもなく、炊飯器も、アルミサッシも、窓ガラスも、洋服ダンスも、タイヤも、ゴミ収集車(タッカー車)の中へ。冷蔵庫、洗濯機、テレビと大型ゴミ、水を含んだ畳は、トラックへと積み込んでいく。

とにかく、最初から最後まで力仕事。いつ終わるとも分からない積み上げられた膨大な量のゴミが、そこに集う人々の手により、いつしか地面を見せ始めるまでに減り、ついには何もなかったかのようにきれいに元通りの広場へと変わる。

道々にあふれるゴミの山に、いつ終わるとも思えない家の清掃に、すっかり疲れ果てていた地域の人々は、その瓦礫の山がなくなりきれいになった姿を見ると皆顔が明るくなり、その取り組みに素直に感謝される。

方針を掲げた際に書いた理由は、心の投資を取り入れること。30度に迫る炎天下の中、6時間超、土埃にまみれ、泥水を吸ったゴミを体全体で抱え、体の力を振り絞って、一つ一つ目の前のゴミを片付けていく。そこには何があるのか。それは、その苦労を分かち合うことで得られる自身の経験、精一杯頑張ることで得られる自身の心の満足感。

足るものが、足りないものを助けるとは、以前の被災ボランティア参加の際にも書いたことだけど、体力があるものが、それを必要としている人々に提供する。それだけのことだろう。

周りで助け合うという意識は、こういう被災がきっかけで生まれたりする。自分ひとりではどうしようもないことがある。なんでも便利になり、お金で買える現代では忘れがちな、共生という言葉に気付かされる。地域全体が被害にあっているから、自分達も大変だけど、自分達よりもっと大変な人達がいる。安易に行政や他人を頼らず、自分達で、地域で何ができるか。

これをかつての地域社会、人々の価値観として共有していたことが、自己犠牲をいとわない日本国民の強みであり、自分のことばかりを優先する現代の人々に求められる価値観と言えるだろう。少なくともここでは確実にそういう取り組みが行われており、これが今後も形として残ることを期待する。


ばあちゃんが興奮しながら語ったところによると、田んぼが水に浸かったと思ったら、あっという間に水が家の高さまで上がってきたという。何の準備もできないまま、突然1m近く冠水したことになり、ほとんどの家で畳を外す間もなく、1階部分が水に浸かった様子が分かる。

本日昼に水道が復旧したことで、風呂、トイレ、食事と大きく通常の生活に近づいたことになり、一安心ともいえる。

復興作業に携わり感じたことは、この被災は、かなり早く復興できるのではないかということ。土石流を含んだ河川の氾濫と異なり汚泥の被害が限られること、津波や地震のように家屋自体が壊れることがなかったことにより、元に戻る日もそう遠くないだろう。

それでも、通常生活を送れない人々のストレスは想像に難くない。自分にできることは何か。こうした意義あることで、自分の成長も兼ねて、また何かに取り組みたいと思う。

雑談

前回日記では、今後の不安定な政治を憂い、少々感情的になってしまったことを反省。ねじれ国会の不毛さは、安倍・福田政権で十分知っているはずなのに、なぜその選択に行き着く。こんなことなら、参議院などなくせばいいじゃないかと極論にたどり着きつつあるこの頃。

なお、いろいろ書いた前回趣旨は、負うべき結果の責任を避け、選択という形で国民に委ねる無責任さを批判したもの。まあ、民主党政策が否定された参院選の結果を踏まえ、バラマキ政策を転換したなら、ねじれ国会も乗り切れるだろうし、この状況となった意義もあるかと、勝手なことを思っていたり。


・・・・・・・・
さて、梅雨明け前の豪雨で、中国地方は大変なことに。すっかり自然災害に弱いというイメージが定着しつつある山口県では、山陽小野田市、旧山陽町の中心部が冠水という大被害が発生。川の氾濫で町一つが飲み込まれるというから、根本的に治水の対策を考える必要があるのではと思ってしまう。

昨年の被災以来、各自治体では避難勧告を乱発。勧告の遅れによる被害拡大が当自然災害のスケープゴートとなり、散々に叩かれた自治体が、一にも二にも勧告を行っているところがあるが、決して避難先が安全なわけではなく、その過程にも危険が潜んでいるとなると、最後の判断は個人に求められる。

ちなみに、自然災害の防止については、これまで莫大な税金がつぎ込まれている。八ッ場ダムを始めとした治水事業、河川幅を拡幅する河川改修事業、住宅裏の崖にコンクリートで防護壁を造る急傾斜事業等々。人命保護という観点で行政の責任は否定しないが、全国民の命を未然に防げるはずがなく、最後は、そこに住んでいる人自身の責任。危険なら別の場所に住めばいいわけで、どこまで税金をつぎ込むかは、もう少し議論があっていいことだろう。

今後の公共事業は、維持修繕や自然災害対策に限られてくるだろう。政治が入りすぎた過大な公共事業(自然災害対策)をもう一度整理し、町の中枢機能維持を主眼とした政策転換を図る必要がある。

参院選結果

今回の選挙は、民主党の真価を問うためにも、民主党に勝たさなきゃいけなかったのに、残念。衆院、参院で過半数を取って初めて、民主党政策に基づく政権運営の判断ができるというものだが。

管政権に期待するところは大きいが、消費税発言一つでこの結果になるようでは、日本の民主主義の危うさを感じざるを得ない。はたしてこの国は、民主的な選挙による政治運営が望ましいのか。政治が、国民と表現されるあいまいな世論と距離をとり、イデオロギーに重きが置かれた時代はそれなりに成り立っていたが、あいまいな世論=国民に迎合せざるを得なくなった今、未だ明確な意思が持ち合わせない日本の政治家には、政治そのものをコントロールできなくなっているようにしか見えない。

消費税導入なり、マニフェスト遂行なり、政策を実施する前に国民の審判が必要という感覚とそれに違和感を覚えないことに、日本の政治家、マスコミ、そして国民の愚かさを思う。政治とは結果に対する責任を問われるべきもので、その判断の機会が選挙であるはずなのに、その選挙で過程の判断を仰ぐとは、責任の放棄でしかない。

つまり、財政再建なり、景気回復なり、その取り組みを踏まえた結果が政治の全てであるはずなのに、その過程の些細な一つ一つを手段を検証することに、何の意味があるのか。政治が信頼できないから、導入部分から一つ一つ国民投票で判断を仰ぎなさいというなら、それは既に組織の体をなしておらず、それが分からない程度なら、政治家などにならなければいい。

過剰なサービスを求め、必要な費用を払わないフリーライダーな国民の意識の低さにあきれながら、この国の将来を危ぶむばかり。皆が自分を被害者と思い、与えるではなく、益を受けることばかり考える、浅ましい人々が増えていくなら、政治の仕組み自体を見直す必要があるのではないかと思うところで。

W杯観戦

日本代表は、期待以上の活躍。本番での集中力の高さと己を消したチームプレーに日本人らしさを感じつつ、強い相手との戦いで追い込まれないと出せない力に、相変わらずの弱さを感じたり。

こういう戦い方を見ていると、日本人がどういう戦(いくさ)をしてきたか、武器が限られ個の組織力が求められた戦国時代の戦い方をイメージさせ、勝手に楽しんでいたりもする。

さて、この勢いならパラグアイにも勝てると意気込んだ決勝トーナメントは、W杯を中継するダイニングバー「ロッカ」を訪問。デンマーク戦前から予約を入れたというつわものに便乗し、会社仲間8人で観戦する。

やはり、皆で応援すると、集中して試合を見ているから、経つ時間もあっという間。後半20分から、相手の足が止まるから、そこで点が取れるはずという予想は、結局決定機を決められず、延長戦に。なぜ交代で玉田を選ぶと不信に思っていたら、相変わらずゴール前のチャンスでシュートを選ばず。それこそ、W杯前の非難され続けた日本代表の典型的なプレーで、パスサッカーではゴールにたどり着けないことは実証済み。ようやく、W杯でその戦い方から離脱したはずが、まだしっかりDNAに刻み込まれた選手がいたよと、嘆いたところで。

PK戦で、駒野が出てきた瞬間、思わず「嫌な予感がする」と口走ってしまったら、そのままの結果に。彼は、平然とフリーのシュートを外すタイプで、プレッシャーを力に変えるどころか、悪い意味でプレッシャーを感じないタイプだから、その結果にさもありなんと解釈。その前に、いくらでも他の選手がいるだろと悔やむばかりで。(PKを蹴りたかったと言った玉田君だけは、冗談が過ぎるとあえて突っ込んでおく)

それでも、日韓W杯での、あの浮ついた決勝トーナメントの戦い振りを思うと、じっくりと腰を据えた、勝つための戦い方に徹していた今回は、この先に期待を持たせる確実な成長を感じさせた。なにより、無策ジーコ率いる4年前のあのふがいなさを思うと、このW杯は、後世に語り継がれるに値する素晴らしいものだったと、満足感に浸っているところで。

延長、PKという想定外の状況となり、1時帰宅の予定は、2時過ぎに。まあ、それだけ楽しめたのだから、翌日の寝不足など何するものぞなのだが。ちなみに湯田温泉でも、2箇所しかない(らしい)W杯中継店「ロッカ」は、当然に予約で満席。ユニホーム組も多く、山口における盛り上がり具合に感心。

11時からという時間帯で、客はほとんど食事を頼まず、飲み物は、試合前とハーフタイムしか頼まずで、商売的にはほとんどメリットがないようにも思える。深夜までの人件費等コストもいろいろかかってそうだが、よくぞ場所を提供したものだと、感心したもので。

ちなみに、この店が、普段からスポーツ中継をしているかどうかは、不明(かつてはしていなかった)。スクリーンにテレビ映像を映すもので、スポーツバーとは少し雰囲気が違うのが残念とは、多くを求めすぎか。個人的には、料理等でそこまで高い評価をしていないところもあり、山口のそんな場所として定着すればおもしろいだろうなと思ったところで。

W杯
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Author:hiro

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