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怒涛のホームページ更新

何を思ったのか、ホームページ更新頻度が急上昇中のこの頃。まあ、単純に、お盆休みに入り時間ができたこと、創作活動に取り組む集中力のあるタイミングだったこと、そして、山口グルメにニーズがあることを知りやる気になったこと、というホームページ作成に必須の3要素がかみ合ったことによる。

山口グルメは、その更新の必要性を感じながら、なぜ手を出さなかったのか、まずはその辺から。

ここ2年間力を入れて取り組んだ広島グルメは、数えきれない名店を見つけ出していく楽しみがあり、そのレベルも一様に高かったりするから、未知への好奇心をかき立てられるおもしろさがあった。そして、2年間という期限から、そこでどれほどのものが作れるかという挑戦者の気持ちも。個人グルメページも、全国的に名の知られるサイトがあり、ベンチマークとしながらも、自分の手法がどこまで通用するかという楽しみ方も。

繁華街に位置する職場から、昼に夜にといろいろ食べに行く機会が多かったこともプラスに作用。広島県内でも、かなりいい店を押さえている自信があり、短期間ながら、広島グルメは、当初の想像を超えるハイレベルなものに仕上がったという充実感がある。

一方、山口グルメ。まず第一に、2年間の空白を埋める更新作業へのやる気のなさ。いろいろ話を聞くうち、ここで紹介しているお店がなくなっていることを知りながら、その事実を伝える気持ちを上回るのは、ページを削ることへの拒否感。食事をし、時間をかけてページを作成した事実が消えてなくなることに耐えられない。それが、ランキングに載るような主力の店ともなると、サイト全体の充実度に関わることで、身を削るような辛さを覚える。

例えば、グルメ過疎と評したくなる山陽小野田市で光り輝くフレンチを提供していた「ビストロ・グルマンド」や、山口市で個性のあるこだわりイタリアンを出していた「コジコジ」、ワインのおいしかった「AMONA」等々、なぜお前たちがと我が身のことのように悲しくなる現実。それでなくても山口県では限られる本物の店がなくなることは、ランク充実度以上に、食べる楽しみを失うことで、残念な気持ちになる。

また、それに代わる新規開拓についても。これまでで、かなり主要なところは押さえた感があり、それこそ広島グルメを上回るレベルの店がどれほどあるのかという思いが、新規開拓の気持ちを削ぐ。費用をかけてでも訪ねてみたいと思わせる好奇心に駆られる店が見当たらない。

どこまでも答えにたどり着かなかった広島グルメのおもしろさと、やり遂げたという充実感から、燃え尽き症候群的なところはあるんだけど、もう一つやる気が出なかったのは、そんな理由。


そんな状況も、3つの要素が揃ったことで、方針転換。全てはお客様のために、ニーズがあるなら頑張ります。これでも基本、営業マンの気質ですから。

陳腐化した情報に価値はないと割り切り、まずは知る限りの最新情報を掲載。ページから削除するのは精神的に耐えられないから、そこは勘弁。上に「閉店」と記載し、誤解を避ける。これまであった店の評価を掲載することは、このサイトの情報を判断したり、他店と比較する上での材料になるだろうから、載せておいた方がいいという判断でもある。時期を見て、閉店した店は、カテゴリの最下部に移動する等見やすくするつもり。

長門市や周南市等、初期に作成したページも、現在の掲載方法に修正。文章が簡便なところがあったから、必要な情報を載せたり、文章を修正したりと、見やすくしたところ。特に周南市は、2ページに掲載が渡っていたから、1ページに集約したりと。

ブログのように、利用サイトが提供する形式に、写真をアップし文章を書くという簡易なものじゃないから、その作業もなかなか大変。それでも、追加更新等の作業負担を最小限に、見やすく表示する今の方法を作り上げたから、今回の更新のように一度形を作ってしまえば、後はかなり楽になるけど。

新規の店として、焼肉屋・鞍山を載せたのも、そんな前向きな一歩目。結局課題は、今後作成時間がどれほどとれるかにかかっているけど、期待していただいているところもあるようだから、投資を惜しまず、少しずつ充実させていきたいと思っているところで。
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5万アクセスを前に

遥かかなたに思えた5万アクセスまで、後100ちょい。一日20アクセスとしても、盆明けにはその達成が見込まれる。

作成当初からお付き合いいただいている方は、いったいどれほどいるのだろう。長門市在住2年目、2004年(平成16年)11月に一歩目を踏み出し、5年9ヶ月の月日が経過。

そのきっかけは、就職以来目標を立てて取り組んでいたことに一区切り付いたことから。その延長線上で解禁した4年振りとなる年末の海外旅行では、スマトラ沖地震に発したインド洋大津波に追いかけられ、その状況をいち早く伝えるべく正月返上で作成、年明けに公開した津波被災記が思わぬ人気を得、いつの間にかここの冠ページに。思えば、掲載後の1ヶ月は、一日60件超のアクセスが毎日続き、突然の人気振りに驚いたもの。

このページの大枠は、ほぼ開始3ヶ月以内に作成したもので、その形は当初描いたイメージ通り。逐次細かい修正を加え、いろいろページは加えているけど、短期間で一気に仕上げたのは、集中力と十分な時間があった当時だからこそできたこと。

5万アクセスに対する世間的な価値は別にして、結局アクセス数とはこのページへの評価だから、自分の思いを込めたこのページに、それだけの閲覧があったというだけで十分に満足。

千カウントの方に何かプレゼントするという企画は、結局連絡なく終了。次の区切りの10万は、それこそここの存続が危ぶまれるからあてにせず、今回の5万カウントで、イベントを行いたい。

さて、プレゼントはというと、ここのページを一冊にまとめた「hiro本」でいかがでしょう。自費作成100冊中、残りも40弱。日記や旅行記等をバランスよくまとめ、再編集した見応えのある内容だと思うけど。

連絡をくれそうな方はほぼ持ってそうだし、今回も不発の予感が。個人的に5万アクセスで盛り上がりたいところもあり、まあそんなイベントに、もう数日間お付き合いください。そして、5万カウントを見事取られた方は、お気軽にメールくださいませ。

ホームページの感想を聞いて

ホームページからメールが送れなかったようで、さっそく修正。原因はよく分からないけど、今後同じ症状が出た場合及びメールソフトを使っていない方のことを考え、アドレスも合わせて載せることに。特に支障がないような気がしないでもないが、メールを送ってみようと思う方は、ご利用を。


最近、ホームページを見ているという人の感想を間接的に聞き、なかなかおもしろいなと思ったから紹介。題の自由人は、このページを作成するに当たり目的とした、束縛されずに自由な自分を表現するという思いから付けたもの。だから、作成後数年間は、自分を知っている人には、この存在をほとんど教えていなかったりする。

今でも、自分の周りの人については、信頼できる人にしか教えていなかったりするけど、作成開始5年も経過するとその数も段々と増えてき、まあそんなこと気にしてたら何も書けないと、その存在を忘れて好きなことを書いていたりするこの頃だけど。

さて、少々話がずれたが、おもしろいなと思ったことは、そんな自由人という題名からか、自分を直接知らない人からは、(仕事をせずに?)自分のしたいことをして、自由に生きている人という印象をもたれているということ。そして、このページの利用方法が、人によりかなり偏っているんだなということを再確認できたこと。

自分を知っている人にとっては、こういう一面があるんだと、新しい発見をするような感覚だろうが、知らない人にとっては、ここで出している自分が全てであって、そういう見方で見てみると、世間ずれした変わり者と捉えられてもおかしくないと納得。

そして、見ているページになると、グルメ情報に偏り、一押しの津波被災記にたどり着いていないと知ると少々寂しいものを感じ。確かに、いろいろなコンテンツがある中、最も利用価値が高いのがグルメ情報だと思うし、そのニーズに応えるべく力を入れてきたところはあるんだけど、やはり思い入れが強いのは各種旅日記で、その辺で人間性を見てもらいながらページ全体を見ると、意外と日記もおもしろいところがあったりするし、地域情報も楽しめたりするはずと、思ったりしているんだけど。

とはいえ、そんな閲覧者の存在を知ることは嬉しくもあり、また、ことさらに落ち気味なモチベーションの刺激となり、グルメ情報の新規開拓をまじめに進めねばと思い始めたところで。

出会い

今ではすっかり忘れかけている感覚。高校、いや大学あたりまでは、確信に近いレベルで持っていた、目には見えない人と人とのつながり。

会いたいと心で強く思い、それが求められるものならば、それまでどんなに距離が遠のいていても、まるで必然であったかのように巡り会う不思議。一方、どれほど会いたいと思い、できる限りの手を尽くしても、それが求められていないものならば、すぐ近くにいるにも関わらず決して会うことがない。

それは運命や奇跡と言う偶然性より、自分の心に端を発したもっと自動的な、そして自分にとってそれがどんな作用をもたらすかを見極めた上での、もっと大きな存在によりもたらされる導きに近いものだと捉えている。

会える人とは、どんなことがあっても会えるという感覚が、その後自分の消極的な人との接触につながっていったことは否めないが、数々の出会い、そしてそこからさらに深まるような関係には、自分のコントロールを超えた何かを感じずにはいられず、そんな関係を大切にしたいと思うばかり。

すっかり社会にとけこみ、約束は事前に連絡を取ってという常識ある行動を取るこの頃だけど、できるだけアポを取らずに人に会いに行きたいと思うのも、そんな名残。遠くから訪ねて、そこで会えないのも一つの結果で、それはただ受け入れるのみ。その人とのつながりを秤にかけるかのように、こちらもドキドキしながら、相手も驚き喜んでくれるんじゃないかと思いながら。



さて、何を突然こんなことを言い出したかというと、ここ最近続く懐かしい友人たちとの出会いに、そんな感覚を思い出したから。

6月の東京出張で、購入したばかりのマンション宅を訪ねた友人はそんな典型で、「今東京いるから、飯食おうぜ」とその日の夕方に突然メールするのが自分流の付き合い方。結婚式に呼べず、ほぼ4年間連絡をとってなく、今何をしてるかも分からないけど、まあ、会えないならそれだけのこと。その会った瞬間から、これまでの空白期間が一瞬で消え去り、つい昨日もばかを言い合っていたかのような付き合いが、嬉しくなる。

先週の広島出張では、この3月まで2年間働いた職場に顔を出し、突然ながらどなたにも変わらず温かく迎えてもらったことは、広島での出会いの貴重さを喜ばずにはいられない。転勤前に、一緒に働いた方から贈られた「別れてからが、本当の付き合いの始まり」という言葉は、広島2年間の象徴として大事にしていること。

そんな広島での突然の出会いは、職場訪問後しばらく広島の街中を散策し、そろそろ帰ろうかと新幹線ホームに向かった20時過ぎのこと。見覚えのある後姿に、これは違いないと声をかけたのが、広島の職場で一緒だった友人。ちょうど今日は出張だったとのことで会えずにいたけど、まさか帰りのこのタイミングで会うとは、と感心。「ちょっとビールを一杯飲んでいきますか」と新幹線ホームのレストランに入る都会的な付き合いに新鮮さを感じながら、偶然の再会による20分間の宴が妙に嬉しくて。

会える人には会えると一人納得したのは、そんな広島職場訪問の際、時間がなくて会いに行けず、気になっていた方から翌日メールがあり、「来週月曜日に山口県に行くけど、お昼でもどう?」と誘われたから。実は、昨日広島に行ってと思わずそんな経緯を伝え、う~ん、すごいと自分自身驚くばかり。

そんなことがここ最近続き、この週末も、ここ6年毎年かかさず参加している山口県北部・長門市での無人島キャンプで旧交を深めたりしたから、そんな思いが強くなり。


長門市を出て6年。まだまだ未熟ながらとがっていた20代半ばに経験した多くの思い出により、いつも新鮮な気持ちにさせてくれる町、長門。変わったようで、変わらない。6年間経っても、一瞬であの頃に戻れる感覚が嬉しい。昼には透き通る海に囲まれた無人島でのバーベキュー、夕方には湯免温泉で汗を流し、夜には居酒屋・吉松で、仙崎産魚介、鯨(さえずり、ベーコン)料理にウニ釜飯を堪能。全てが、長門でしか味わえない一級もの。また、このフルコースを味わいに長門を訪ねたい。


こまめに連絡を取ることが、人とのつながりの深さなのだろうか。そうは思わない、連絡を取らなきゃつながらない関係こそ、薄さの表れではなかろうか。人が心と心で繋がっているなら、時間や回数ではなく、その一瞬で通じ合うものじゃないだろうか。

それは単に、メールや電話のタイミングを逸しがちで、返事が遅い(しない?)言い訳ではと突っ込まれそうだが、まあ、そんなわけで、自分がお付き合いしている方々は、そんなことぐらいで関係が変わる間柄じゃないという解釈で、許してもらうこととしたい。

結局、人との関係は、自然と距離ができたり、突然深まったり、しっかりと距離が決まっていたりと人それぞれ。それは偶然が始まりかもしれないけど、そこには必然を感じたりするから、自然に身を任せながらも、物理的な距離は別にして、精神的な距離を大切にして、付き合っていきたいと思う。そして先日、33回目の誕生日を迎え、自然と増えている周りを囲むその積み重ねた人たちを感じ、その出会いへの感謝と今を生きる充実感を覚えるわけである。

下村脩氏、私の履歴書から

本日のネタは、7月31日付け、日経新聞「私の履歴書」から。

1ヶ月を単位とした著名人の回顧録であるこのシリーズは、人物によってはその生き方がなかなかおもしろく、毎日の楽しみになっていたりするけど、7月31日で最終回を迎えた生物化学者・下村脩氏の履歴書は、生物化学という興味を抱かせる未知の分野の成功体験記に刺激を受けると共に、この最終回は伝えたくなるようないい話だったから、取り上げてみる。

下村脩氏とは、有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者で、生物発光研究の第一人者とされ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見で、2008年のノーベル化学賞受賞に輝いた人物。ここ最近の日本人ノーベル賞受賞者増で、ほとんど印象にないながら、この連載を通じその研究過程を知り、基礎研究の世界を垣間見れたこともよかったこと。

いろいろ補足してもしょうがないから、全文を載せてみようと思う。どんな分野でも、シンプルながら、結局はそうなんだと思う。そんな内容を。


「若い人たちへ」
 ノーベル賞を受けた翌年の2009年3月、日本に一時帰国して、日本化学会などが主催する講演会に招かれたときのことだ。講演後のパネル討論の場で、会場の若い参加者から私への質問が出た。おそらく研究者かその卵であろう。「研究で成果が出ず、行き詰ったときはどうすればいいか」という問いだった。

 ちょっと考えた後、こう言った。「がんばれ、がんばれ」。つべこべ言わずに努力をしなさいという、突き放したような言い方に、ひょっとしたら聞こえたかもしれない。もう少し丁寧な答え方をしようとも思ったのだが、私が言いたかったのは、結局はこの「がんばれ」という単純な言葉に尽きるのである。

 「やりたかったことをやっていて行き詰ったらどうするか」と、聞かれたこともある。この質問の真意が私にはよく分からない。すぐにあきらめたり、ほかのことに移ってしまったりするのは、それはそのことが本当にやりたかったことにはならないのではないだろうか。

 もちろん、人が置かれる状況はそれぞれ異なるだろう。私の場合は、生物発光というテーマを与えられ、その不思議さに魅せられつつ、格闘してきた。
 ノーベル化学賞の成果となった、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これらが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した。
 しかし、そのような思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、あきらめずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもいい。

 研究者としては、私が実験がうまいとも言われる。「神の手を持つ」などと神格化するようなことを言われたこともある。実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。うまくいかなかったら考え直して、別なやり方を試みてみる。だめだったらもう一度。それを何度も繰り返す。それだけだ。
 今の研究者には難しいテーマには取り組もうとしない傾向があるようにみえる。こうやれば、結果が出ることが見えているものは手がけるが、すぐに結果が出そうにないものは、始める前から尻込みしてしまう。最近は女性より男性にこの傾向が強い。女性の方がまだ元気があるような気がする。

 科学研究に関していえば、私がやってきたのはずっと基礎研究である。生物発光の研究を、何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あらかじめ、予定されている成功などはないのだ。

 日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を簡単にあきらめてはだめだ。
プロフィール

Author:hiro

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