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朝まで生テレビの内容を簡単に紹介

昨晩の朝まで生テレビは、久々に見応えのある内容。専門家による持論のぶつけ合いといういつもの不毛な議論とは一線を画し、原発問題を中心に、現在の疑問や今後の対応を検討していく実のある内容。

まず、メンバーがおもしろい。
大塚耕平(厚生労働副大臣、民主党・参議院議員)、片山さつき(自民党・参議院議員)、池田信夫(経済学者)
猪瀬直樹(作家、東京都副知事)、勝間和代(経済評論家)、島田保之(東京電力執行役員営業部長)、高橋洋一(嘉悦大学教授、元財務官僚)、藤城俊夫(元日本原子力研究所大洗研究所長)、堀江貴文(元ライブドア社長)等

現役東京都副知事の猪瀬さんの見解だけでも傾聴に値するが、独自の視点をネットで配信する池田さんの意見にも興味津々。結果的には、民主党議員大塚さんのバランス感覚、頭脳明晰さ、人の意見を受け止める懐の深さに感服し今回一の評価。猪瀬さんの物事の本質を端的に捉える能力は相変わらず。論点のずれた回答をする東電役員にあきれていたが、この人の下で働くには、かなりのパワーが求められることだろう。

勝間さんの意見を初めて聞いたが、至極まともかつ理路整然で分かりやすく、なんとなく受けていたイメージ先行という印象が大きく好転。今回は議論を通じ、与野党のやりとり、財務省等官僚の考え、原子力発電所の状況が分かり、これまで霞んでいた視界が大きく開いたから、簡単にまとめてみる。

○放射能の状況
・放射能は元来自然界に存在するもので、現在はその数値よりも少し大きい程度。ウラン鉱石が存在するブラジルよりも数値は低く、人体に影響を与えるレベルにない。一時的な放射能放出量増加は、既に収まった。
・欧米の80km避難に確たる根拠はなく、安全と見込まれる分かりやすい数字(50マイル=80km)を使用しているに過ぎない。
・留まる必要のない外国人の基準に合わせて、不必要に厳格な基準を適用すべきではない。仮に100kmとする立入規制を行えば、物流・生活に大きな支障をきたし、復興自体が困難となる。

○放射能による食料品等の制限
・放射能摂取量の基準(300ベクレル等)は、年間の平均摂取量を示したもので、一時的な摂取で反応すべきではない。また、300ベクレル等の数値は、確実に安全という厳格な基準であり、基準値を超えても安全性に大きく変わらない。
・摂取基準は、厳格すぎる基準を適用すべきではない。ゼロサムによる絶対的な安全基準は、大局で大きな負の作用をもたらす。(局所的な問題は解決しても、全体では足枷となり、身動きの取れない大きな負担をもたらす)
・食品等に関する放射能規制は想定しておらず、食品衛生法による県単位での取引制限しかできない。そのため、安全な地域の野菜まで、県単位で出荷が制限され、都内に野菜が入っていない状況にある。放射性物質は、その範囲が風向きによるところが大きく、一律に距離や市域で制限できない。地域を小分けし、個別に対応すべき。
・水は、通常水で薄めればその分量だけ数値は減る。野菜は、洗い流せば放射能はほとんど落ちる。
・チェルノブイリ事故でも、放射能摂取による人体への影響はほとんど見られていない。

○原子力発電所の状況
・原子炉圧力容器、格納容器が爆発する可能性はなくなった(チェルノブイリ級事故の可能性なし)。ただし、水素爆発の可能性は今後も見込まれる。
・一定の安定がもたらされる、電源確保→機器影響を確認しながら順次通電→原子炉冷却装置回復に数ヶ月は要する。
・コンクリートで埋めると、継続的に放射能が出続け、事後対処が不可能となり現実的ではない。今後十数年、放射能と付き合うことを覚悟し、対策を立てていく必要がある。

○政府対応
・危機管理マニュアル通りの対応を行わなかったことが、原発問題を深刻化させた最大の原因。外部からの放水等の対応を政治に委ねたため判断が遅れ、取り返しのつかない事態に。(廃炉を避けたいという意図が判断を鈍らせたと個人的に推測)
・東京都は災害数日後には消防車を原発に派遣したが、不要だと戻された。まず国が対処すると、自衛隊、機動隊の放水を優先したのが、官僚の対応。当初から消防車で放水していれば、事態は大きく違った。官僚の縦割りをまず見直すこと。
・管さんは復興までの道筋をつけたら退陣することを表明し、それに応えて谷垣さんも入閣する挙国一致内閣とすべき。
・財源として、子供手当から児童手当に戻すのではなく(予算規模同程度)、手当自体を廃止し、震災復興にあてるべき。
・超法規的な対応ができるのが、現在の状況。行政判断で再び同じ町を作るのではなく、政治判断でスマートグリッド都市等新たに町を創造する必要がある。

○計画停電
・工場操業を電力消費の減る深夜にする等電力使用形態を変えることを検討しては。

○今後の対応
・原子力発電所で十分な電力を確保していくのか、生活スタイルを変え化石燃料の発電に変えるのか、今後国民の選択が求められる。


ざっと内容をまとめてみたが、発言者の特定は必要性が低いので省略。基本的に、前向きな視点等自分の考えと近く、この討論は最後まで楽しめた。

放射能への過剰反応等冷静に見極める必要があると反省。文系は絶対を求めると厳しく指摘されていたが、現在の状況を考えると、ゼロサムではなく、安全性のベースをどこに置くかが重要。消費期限を一日過ぎた牛乳をまだ飲めるように、絶対安全という基準に固執するのはその状況による。今後十数年付き合う放射性物質をどの程度の基準で受け入れていくか、他の誰かではなく、日本人でそれを決めていくことになる。

厳格基準で絶対安全を求めたなら、人口の集中する東京での生活は不可能になる。また、絶対安全を求め原子力発電所を否定したなら、資源のない日本での充足した生活は不可能となる。今回を教訓にした安全性の確保や緊急時の対応は見直されるべきだが、原子力発電所を否定するという安易な方法は避けるべき。

お隣の福岡県は、定期検査中の原子力発電所の稼動を再開せず、今夏に計画停電を実施するそう。まあ、なんとも情けないが、こんな決断をしてしまうのが今の日本の社会システムだな。勝間さんの主張を引用すれば、リスクを恐れるなら、自動車にも、飛行機にも乗れなくなる。どこでバランスを取るか。少なくとも、夏期のエアコン等日常生活を犠牲にしてまで、過剰な安全を求める政治家の判断に疑問を持つ。批判を避けるのは簡単だけど、そこでの影響を踏まえ大局的な判断を下すことも政治家に求められることだろう。

火力発電燃料は十分足りており、やはり関西以西で節電する必要性はない模様。過剰な自粛はそろそろ終え、他地域は日本経済を支える原動力となることが求められる。全国一律東京基準による情報発信がなせる業だろうが、この度の災害に東京が含まれていなければ、どこまでニュース性を維持できたか。放送局がなく報道されない地域があると話題になったが、地方の災害は常に発生当初のみの報道に留まり、全国的な自粛行為など行われないことが現実である。

予算の組み替えは想定通りに動き出し、一安心。民主党マニュフェスト見直しは当然、各党とも党利党略は抑えるべきだろう。税制を含め大胆に見直す機会でもある。児童手当廃止なら、高齢者補助を継続することに不公平感が残る。年金の国庫負担を減らすだけでなく、これまで据え置きしてきた物価変動を加味した減額、医療費2割負担も検討すべきでは。大型公共事業の停止もやむを得まい。主要インフラの緊急回復、早急な経済活動の再開、これが災害復興の優先事項とは前回述べたこと。

東京電力は一部上場企業であり、利益追求を否定することはできない。交換時期の原発を継続使用したとしても、それ自体は間違いではなく、ただその判断を責められるだけのこと。今後復旧や補償で多額の資金を要するだろうが、一企業の責任として東電資産及び電気料金でまかなわれることを期待したい。全国一律各電力会社に負担を求め、原子力発電量が少ないばかりにこれまで他県と比較し高い電気料金を払わされ続けている中国電力利用者に負担がこないことを祈るばかり。

責任の追及は簡単だけど、これを教訓に前向きに次に活かしていきたい。欧米における価値基準は、事故が起きたときにどうのように対応できるか。日本の新幹線が欧米で評価が低いのは、無事故を売りにした安全システムを強調し、想定される事故時の対応に重点を置いていないから。

日本における無事故信奉が、この原発事故を大きくしたともいえる。想定外の災害ということはありえない。土木工事が100年に一度の災害を想定するように、想定を超えた事態が起きたに過ぎない。経済合理性から、過剰な対応(500年に一度の豪雨や20mの堤防等)は無駄だが、想定を超えた場合の対策は検討すべきだった。

想定に十分余裕を持たせ、想定超えを起こさせない(=想定内しか考えない)ことが日本における無事故信奉であるなら、想定を現実的なところにおき、想定を超えた場合の対策をしっかりと作ることが欧米流だろう。安全性は劣るが、経済性に優れ、リスクマネジメントも機能する。

どちらが重要かは、この度の教訓が教えてくれる。そして、それを踏まえた日本の原子力発電システムは大きな強みを持つことになる。それでこれから何ができるかは、ここで書くまでもないだろう。

戦後日本は、国民の生活を第一に復興しただろうか。もちろん否。必死に経済活動を行い、結果的に国民生活も豊かになった。そして今は、戦後日本の仕組みを変える機会でもある。政治家には、大局に立ち、長期的な視点から新たな仕組みを作るつもりで、責任ある対応を求めたい。
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震災復興次の一手

こう毎日震災ニュースが流れると、いつもと変わらない平穏な日々が流れる西日本においても否応なく自粛ムードに包まれ、あらゆるイベントが中止、縮小される状況。

これから本格化する震災復興に必要なのは、活発な経済活動による国力の下支え。まず、第一弾として、募金や義援金により、日本全体でこれまで貯めこんだ余力を供出した。次に必要なのは、限界を超えさらに搾り出すことではなく、新たに元手を作ること。

まずは、生命。福島原発の安全が確保されない状況では、なかなか次の一手は言い出しにくいが、被災者の支援と合わせて、経済活動の復興がいかに大事かは意識しておく必要がある。

国民の生活が第一とは、あくまで満ち足りた平時でのこと。関東圏域で行われている計画停電なりが、生活を最優先にし、企業活動を犠牲にしないことを願うばかり。


精神論で乗り切られるうちはいいが、この状況でのきれいごとは、取り返しのつかない国力衰退につながると危機感に駆られる。

既に、関東圏域における企業活動の停滞が、国内製造業の生産に大きな影響を与えているとは新聞報道のとおり。裾野の広いサプライチェーンを形成する日本の製造業は、その一部が停滞すると、全ての生産が止まるという一蓮托生のつながりを持ち、被災の影響を全く受けていない西日本の工場にあっても、リーマンショックを上回る工場休止に見舞われている。

企業活動の停滞がもたらす影響は何か。短期的には、仕事減少→給与減少→消費減少→税収減少という負のスパイラルに加え、物資減少→価格上昇というインフレへの突入。長期的には、海外での代替品製造→日本企業のシェア低下→工場の海外移転という、経済復興の芽を完全に失う可能性もある。


原発対策という未曾有の危機を脱したなら、水、電力、交通網等最低限のインフラ確保を最優先に、企業活動の再生に向けた本格的な議論に期待したいところである。


・・・・・・・
風評被害という言葉が適切かどうかは別にして、やはり関東圏の野菜・魚を食べる気はない。

安全な放射能数値を示す政府発表を信用できないという意見をよく聞くが、少なくとも現段階では安全とされているという事実を述べているに過ぎず、それはそれでありのまま受け止めればいい。

ただ、その事実を受け入れないだけ。一般的な科学的根拠はそうだろうが、長期的な人体への影響、個体差等明確でないなら、リスクを侵す必要は全くない。体内摂取という最も大きな影響が見込まれることであれば、慎重に慎重を期すことは当然だろう。

30年後に癌になった時の因果関係を誰が証明してくれるのか。安全を宣言した政府を訴え、長い法廷闘争を繰り広げるのか。そんなことなら、初めから政府に期待せず、自分の責任で判断した方が、賢明だろう。

それしか選択肢がないのであれば、また状況は違う。年間摂取量の基準値から、適正な量を判断するだけのこと。

確かに、政府の発表は事実かもしれない。でも、この度の放射能汚染問題に限れば、かなり緩やかな基準での取り扱いということを忘れてはならない。風評という都合のいい言葉で、知るべき事実まで曖昧に隠されていることに疑問を呈しつつ、自己判断が求められている状況の認識を促したい。


余談だが、科学的根拠といえば、狂牛病に係る牛肉輸出問題で頻繁に米国が主張したこと。放射能汚染数値の人体に影響がないとされる現状の科学的根拠からいえば、米国は日本の食物を輸入するのだろうか。自国民の健康リスクを侵して、自由貿易を主張するのだろうか。

もちろん、逆の立場になれば無理だろう。自国の基準なら受け入れるが、選べる状況で国民の生命という最も重いリスクは侵せるはずがない。常に進歩し続ける(未知を前提に成り立つ)科学に基づく根拠の危うさに気付いてほしいものである。

少し客観的に

この震災の状況を少し離れた立場から見ていると、日本人のというより、日本の仕組みの本質がよく見えてくる。


広告料の有無に関わらず、必要な情報の提供ではなく、視聴率を求めるような、自らに害の及ばない誰かをターゲットに、扇動的で攻撃的な内容を作り上げるのは、やはり日本のマスコミの本質なのだろう。(弱みをさらした)強者を倒すことこそ使命という勘違いした正義感が、周りの反感を買う。

画一的で、内容のない報道の繰り返し。これなら、おとなしく震災報道はNHKに一任し、各局は節電に協力してはどうかと思えてくるが、これはこれで危険なことなので諦める。

映像とはこれほど無力なのかと実感するのは、言葉を発しない写真の力強さを見せつけられたとき。そこに広がる背景が一気に頭の中を駆け巡る。その場で本当に何が起きたのか。テレビの画面の端に単なる数字として表示される死者数からは想像できない、現場の状況がありありと伝わってくる。

テレビから得る情報だけで、全てを分かった気になる怖さ。情報公開を政府に叫ぶ彼らこそが、情報統制している現実。あらためて、自ら情報を集めることの重要さに気付かされる。


ブログ記事「被災地に入る海外メディア、独自ニュースの発信を始める」より。
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_hopes_fade_for_finding_m.html
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_-_new_fears_as_the_trage.html



また、海外からの被災者の態度に対する賞賛も聞こえてくるが、その根底にあるものが何かを考えると、日本の仕組みへの信頼にあることに気付く。

この被災者の態度を、政府、行政は三流、国民は一流とマスコミはもてはやしたりするのだが、少なくとも、他国と比べ、我慢強さ、協調性はあろうとも、そこに行政や国家への信頼がなければ、やはり無法な状態になるだろう。

人間が秩序を保つのは、それが信頼に値するかどうか、そしてその先に未来が見えるかどうか。裏返せば、被災地の秩序だった状態は、日常の行政システムへのまぎれもない信頼といえる。一方、諸外国に見られる不公平感のある社会では、行政システムに隙ができたなら、一気に不満をぶつける暴徒と化し、社会は混乱へと陥る。

命が助かり避難したなら、後は、衣・食・住を初め、市町が、県が、国がしっかりと自分達を守ってくれる。避難後も、犯罪や理不尽な争いを行政機関が解決する、これまでの日常と同じ社会システムが維持される。つまり、国民の行政への信頼、信頼に応える行政という関係こそ、日本社会の根幹といえる。

ただし、そこに未来が見えなければ、かなり危険な状態といわざるを得ない。まだまだ孤立する避難所があると聞くと、食料や水のつきかけたそこで何が起こるか、想像に難くない。生命の危機を前に、それを凌ぐ倫理観持つ人間が、それを制し未来を見せられる人物がどれほどいるか。

盲目的な日本人による感情的な賞賛に、危険さを感じる。物事は、本質を見誤れば、取り返しの付かない被害をもたらし、次の対策にも活かせない。

日本人は高い倫理観があるから大丈夫、ではない。危機感を持ち、一刻も早い避難民の把握と、早急な支援。安全で確実な方法ではなく、空中目視やネット情報による空中からの物資投下等非常時の決断が求められる。

そして、表面上のきれいな部分しか見せないマスコミも、ここで起きている問題の本質を包み隠す。残念ながら、世の中テレビに流れるような周りをいたわる素晴らしい方々だけで構成されているわけではない。非難をするためではない、それを皆で共有し対策を立てるため、伝えるべき事実といえる。


海岸沿いで、いつ津波が来るか分からない中命をさらして、被害にあった人をどこまで助けられるだろうか。親・兄弟?、親戚?、友人?、近所の人?、赤の他人?、外国人?。所詮、社会システムへの信頼の中で維持される倫理観に過ぎないなら、崩壊した社会システムの中では、それを留めるタガがない。
(少々極論だが、神をより所にしない日本人の限界だともいえる)

目の前に流れる情報だけが真実ではない。その本質は何なのか。今の日本を覆う空気が、かすかに聞こえる叫び声を掻き消しているかのような気がしてならない。

東北大地震の被災を憂う

はー、ため息しか出てこない。

まさか、あの光景を日本で見ることになるとは。

津波にのみ込まれ、一瞬で壊滅していく町の姿が、目の前に映し出される。

人間の力が及ばない、圧倒的な自然の力。

自然の摂理のように、ただゆったりと流れる水は、その進路をふさぐものを次々と自らの体に取り込み、次第に厚みと速さを増して巨大なうねりへと姿を変える。必死に抵抗を試みる木造家屋の発する引き裂かれるきしみ音が、ただ無残に鳴り響き、かなわぬ力を突きつける。


ただ無力感ばかりが漂う状況だが、もちろん諦めることはなにもない。こうして、人類は自然を克服して今に至るのだから。
今求められること。それは、一人一人が、それぞれの役割として求められるベストを尽くすこと。


例え目の前に悲観にくれる現実があったとしても、時間は、確実にそれを解決してくれる。過去を嘆かず、未来を追う。少しでも前進しようとする思い、それが人間をここまで成長させてきた。諦めない、小さなことからの積み重ねこそが、復興を目指す人々に、今求められること。

そして、変わらない平穏な日常が流れる僕達は、それを支える役割を担いたい。資金であったり、労力であったり。これから数ヶ月必要になるのは、資金よりも、マンパワー。東北という地理環境であっても、地域にその余力がないなら、国を一体と考える仕組みが求められるだろう。

国としても、逆転国会といういびつな構造のおかげで23年度予算は未だ不成立。被災の全体像が明らかになってからの話だが、場合によっては、予算の組み替えもとりうる措置ではなかろうか。国民の生活等ミクロレベルの話ではなく、マクロレベルの国家経済として、東北地域の停滞がより大きな影響を与えると判断したなら、補正ではなく、通常予算で対応する(現時点では歳出を減らし、復旧事業目的の予備費を上乗せることも)。

子供手当を初め福祉関係予算を削減し、公共事業費も配分を見直し。各種補助制度等を23年度分について一定割合減じ、東北地域のインフラ復旧に集中的にあてる。予算の範囲内で複数年かけるものと、短期間で一気に復旧するものを判断し、復興へ向けた道筋を示す。

同じ国民の負担の上に成り立つものとして、善意の寄付だけではなく、税金の使い方も復興に向けた有力な手段。国民が一体となって、この国を支えなければいけない今だからこそ、痛みを分かち合い、支えるという判断を下すことは、被災された方々への力強いメッセージとなって響くことだろう。
プロフィール

Author:hiro

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