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黄金週間突入

最近、思わず納得したこと。

電車内の広告にQRコードが付いていない、その理由。

今年度の広告宣伝に地下鉄ステッカーを使おうと、広告イメージを作成。電車内から手間をかけずにホームページにアクセスしてもらうため、QRコードはいいアイディアと提案したところ、代理店から申し訳なさそうに断られる。

もちろん食い下がって、なぜだめなんですかと聞いた答えに、思わず納得。電車内では携帯電話の使用が禁止されているから、どの交通広告にもQRコードを付けられないんですよ、と。

電車内こそ、時間潰しから広告自体に多くの視認が期待でき、QRコードからHPアクセスという広告効果を高める理想的な環境にあるのに、なんとも残念。

制度と言われれば諦めもつくんだけど、ちょっと釈然としない面も。誰からも非難されない厳格運用は簡単だけど、スマートフォン普及でさらに増えた車内利用状況から、もっと現実的な手法もあるのでは。形だけのアナウンスを流したり、女性専用車両でパフォーマンスをする前に、弱者・障害者専用車両を採算度外視で導入すれば、その姿勢は高く評価されるだろうにと。


広告宣伝を考えていると、新聞システムの限界をつくづく思う。1日限りの、ターゲットを絞れない、多い情報量から目に付きにくく、価格の高い新聞広告に、全く魅力を感じない。そして結局、掲載期間が長く、ターゲットを絞りやすいネット広告を選択する。一方、とかくネットは短時間で必要情報のみを取りにいくものだから、意識にない広告宣伝は気付かれもしないという弱みもあるけど。

限られた予算の中、最も効果的な宣伝広告を考えることは、あらためて事業自体の戦略を見直す機会になり、かなり楽しい作業。まあ結局、どの広告媒体でもそれを意識して見ているのは広告業者のみで、期待したターゲット層の反応は薄く、別の広告代理店からより効果的な広告媒体が、さらに手頃な料金でという宣伝の電話ばかりをもらうことになったりするのだが。

今年の広告戦略、広告内容には、ちょっと自信あり。都内を走るだろうどこかの地下鉄で見かけたなら、こっそりと感想でも。



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今年も黄金週間に突入。思えば並びのいい今年の連休も、特に遠出の予定なし。せっかくだから、新駅ビルが完成し、まだ訪ねていない九州国立博物館を擁する博多にでも出かけようかと考える程度。

どちらかというと、旅行は夏場に行きたい方だし、計画を練っていない中で中途半端に出かけてお金ばかりかけるのももったいない。京都界隈でも、このタイミングで宿が空いていたりと、こんなときだからこそ人気エリアでもゆっくりと過ごせるいい機会ではあるだろうけど。

残念ながら10連休というわけじゃないけど、とりあえずこの休みの目標は、本を読むこと。ここに向けて本をためこんだところがあり、あふれている未読の本をいくつか紹介。

読み始め一ヶ月が経つも未だ終わらない「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」は、プレゼン方法が勉強になるお気に入りの一冊。じっくり吸収しながら読む上、間に他の本を挟むから、なかなか前に進まない。パワーポイントの使い方、相手への伝え方等アップル創業者スティーブ・ジョブズの手法を分析しながら紹介するもので、そのまま実践で使える優れもの。

ちょっと期待して入手したのは、「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか」。一般的に危機の原因は、想定していなかったことばかりにあるのではなく、むしろ当事者が目の前の現実を認めないこと、つまり「否認」にこそ、危機の原因の多くはある、という日経新聞の紹介文に大いに興味。ハーバード・ビジネススクール教授によるアメリカ現代経営史に基づく分析で、客観的な内容に期待。失敗の否認は、あらゆる問題の根幹にあり、一方肯定によるリスクはもちろんあり、以前からどうあるべきかというその答えを探していたから、その一端がつかめるのではないかと期待しているところ。

これらなかなか読み進まない本はリラックスできないので、一息入れる用に中国を舞台にしたビジネス小説「連戦連敗」を。中国ビジネスを体験した著者による小説で、人治国家である中国のリスクを体感できることを期待。ついでに、高城剛氏の本も入手。変化を妨げる恐怖や恐れの原因はの問いに、「無意味な執着心」と一言。いいね、余分なものをそぎ落とした本質的な解は、ストレートに心に響く。今後の数十年の生き方を考えている最近の自問にいい刺激を与えてくれるだろう。

だらだらと過ごした挙句、手持ちの本が増えたという結果だけには終わらないよう、気をつけたいとこで。



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日本の政治、マスコミのレベルの低さにあきれ、最近のくだらない政争に興味を持つ気にもなれないこの頃。リーダーシップがないと叫んだかと思えば、独りよがりの独裁者だとわめく。いったい、あなた達は何をトップに求めているのかと、問いたくなる。

リーダーシップがないと非難するのはいいけど、その言い分を聞いていると、自分の思い通りにいかないことを、さもその能力を全否定する最も強力な表現で否定しているに過ぎないことに気付く。自分の思い通りにいかなかったことを決断された(=リーダーシップを発揮した)ときに言う言葉が独裁者になるのだから、都合がいいにも程がある。

皆自分が一番よくありたいと主張するのはいいが、その一つの声が前面に取り上げられることには、大いに疑問。それでは社会が成り立たないから、その調整をするのが民主的に選ばれた政治家の役割で、そこで多数の支持を得て存在する首相の決断は、少なくとも尊重すべきことだろう。それで起きた結果は批評されても、自分の考えと違うことで否定するのは、あり方として間違っている。

それでは、誰がトップになってもリーダーシップなど発揮できない。小泉前首相や石原都知事のように、信念を持ち、価値観の異なる者からの非難などものともしないという人物が望ましいことになるが、自分の思い通りにいかないことを最も嫌う彼らは、さらなる拒絶反応を示すことだろう。

これだから、国民が一番なんて言ってるようじゃ、震災復興はできないと警告したものだけど、相変わらず反応ばかりを気にしすぎ。国民とは、総体としての国民であるべき、一人一人の国民を見たのでは、決断などできるわけがない。少なくとも、今は国民が民主党政権を選んでいるのだから、自分達の価値観により、決断を下せばいいだけ。一時の評価、一部の国民の声で判断がぶれて政治が成り立つわけがない。

なんでも国がなんとかするという姿勢も変わらないものか。誰か敵を定めて攻撃することは、その他大勢の共感を得る有効手段ではあるが、そんな感情的な扇動を影響力のあるマスコミがしてどうする。膨大な国債残高を憂いながら、一方では全ての問題の対応を国に求める。国民の味方を装い、決して攻撃してこない演出した敵を攻める道化師をいつまで気取るのか。

国に何かを求めることは、増税や既存事業の削減と同義語。それを言及せずに、結果だけ要求することは、責任(影響力)ある立場にある者がすることではない。国民人口減少社会に合わせた小さな政府こそこの国の目指すべき未来であり、それを踏まえた民間の活力をベースにした復興対策を求めたい。

とりあえず言えることは、管首相を代えても、何も世の中変わらないということ。安倍、福田、麻生、鳩山と、もう十分懲りたんじゃないのと、まずは問いたい。もう一度、今の仕組みの原点に立ち返ること。トップをないがしろにして、何もできるはずがない。問題は、トップの資質ではなく、トップの資質を活かせる環境を作れていないこと。

憲法に定められた仕組みである限り、公選制であるそれを変えることはできない。それなら、そうして選ばれる仕組みの意味を尊重し、リーダーシップを発揮できる環境を作るしかない。少なくとも、党代表として選んだからには、最低でも党員は最後まで責任を持って支えるべきだと、声を大にして言いたい。
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成長の実感

昨日は、ハイパーメディアクリエイターこと高城剛氏出演のアナザースカイ(日本テレビ)を見、彼への印象が一変。まあ、これまで彼に対し、ワイドショーレベルの情報しか持ち合わせてなかったのが、原因ではあるが。

既存の仕組みにとらわれず、自分の直感に従って新しいものにチャレンジし、今を楽しんで生きている人。周りを巻き込むような、パワフルで、溌剌とした人物に、こちらも思わず引き寄せられる。なるほど、既存の枠組みにいる人たちが、彼を理解できずに排除しようとするのも分かるなと、妙に納得。

ハイパーメディアクリエイターというよく分からない仕事が成り立つ理由も見えてくる。発想がおもしろいし、なにより実行に移すパワーがある。こういう人とは、一緒に仕事をしたいと思うし、何かを任せてみようと思えてくる。そういえば、最近こういうおもしろい人が周りにいないなと、そんなことも感じながら。

ちなみに、彼がアナザースカイとして紹介したのが、今世界で最もおもしろい場所でもあり、居住地でもあるというスペイン・バルセロナ。170万人の人口に、年間観光客は700万人だとかで、世界の人々を引き付けるそんな地に興味津々。リピーターを生み出す一番の理由が「食」にあるということは、日本の観光業界にも、大きなヒントになるだろう。

日本の家も手放し、身軽になって移り住んだ異国の地。持つことによる安定もいいけど、やはりいつでも動ける身軽さこそ自分に必要なことではと、ふと考えさせられたり。なにより、魅力と活気に満ちたバルセロナに一度行ってみたい。久々、海外好奇心をくすぐられた時間を楽しんだところで。



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2011年も4月を迎え、勤続12年目に突入。すっかり中堅どころに足を踏み入れたところだけど、その充実振りは自分でも驚くほど。一皮むけたというか、実ってきたというか、人間成長するものなんだなと、妙に実感するこの頃。

何がどう突然変わったというわけじゃないけど、積み重ねてきた知識、経験を裏付けに、自分の価値観・考えにはっきり自信を持てたことが大きい。自信があるから、前に出られるし、新しいことにもチャレンジできる。

基本、物事を感覚的にとらえ、それを後から理論立てる思考回路なのだが、経験による幅の広がりにより、感覚で捉える精度、速度が向上。二十代前半の資格勉強を通じ、論理的にアウトプットする訓練をしたことは、自分の財産。感覚により捉えた本質を、どう組み立てて相手を導くか。本質を捉えた意見は、ブレることなく、どんな相手にでも主張ができる強い武器となる。

本質を追求するあまり、歯に衣を着せぬ厳しい主張を展開し、ストレートすぎるといさめられることもあるが、そんな相手は上司に限定しているはずだから、まあいいでしょと意に介さない。

仕事(厳密に言えば自分に影響する仕事)以外は平和主義ながら、仕事が絡めば本気モード。本気でぶつかれるのが仕事のおもしろさで、お互い、よりいいものを作ろうと思っているからこそ、受け入れられる。


これがしたいと目的を持って今の会社に入ったけど、今の方向は当初と少し違う。それは、仕事を通じ自分の視野が広がった中で、より自分の能力を活かせ、これから必要とされる、おもしろそうな分野を見つけたことから。結局会社は、実際に働いてみないと何も見えてこない。

入社2年目には、この仕事は自分を活かせないんじゃないかと悩んだりしたが、それが井の中の蛙に過ぎなかったことを実感する。自分の求める姿と現実とのギャップから一人焦っていたが、その足りない力に必要なのは経験の積み重ねだったと、今なら言える。

これまでいろいろな分野に携わったからこそ、より大きな土台をベースに、広い視野から全体を見渡すことができる。自分のやりたい分野という局所にとらわれたなら、もっと小さくまとまっていただろう。


最近、若いうちから自分のやりたいことができると、新卒で中小企業を目指す動きがあると聞くが、可能性があるなら、自分の届く精一杯を目指すべきだと、そんな経験から思う。会社風土は見極める必要があるが、どうせなら、より大きなところで、優秀な人間に刺激を受けながら、様々な経験を積んだ方がおもしろい。精一杯取り組むいろいろな経験が自分を育て、より大きな人間を作り上げる。自分が好きなことをするのは、土台ができた、その後からでも遅くない。

できる人間は、どこにいってもできる。これは、自分の仕事信条。年齢、経験は言い訳にならない。できないのは、自分の能力が足りないから。足りない分は、自分の努力で補うだけ。できませんはいいません!をモットーに、何を頼まれても二つ返事で引き受け、さてどうしてものかと後から考える。できない理由なんて、誰にでも考えられることだから。

ちなみに、これまでの経験の中でも、最も自分に影響を与えたのは、去年までの広島での2年間の経験。そういう意味では、環境を変えることの大事さと、一箇所に留まることにリスクをつくづく思う。


何を突然こんな話を書いたかというと、最近読んでる下流志向(内田樹著)や競争と公平感(大竹文雄著)に共感しつつ、働くことのおもしろさ、仕事を通じて得られるもののすごさをもっと若い人たちに伝えなきゃいけないんじゃないかと思ったことも要因(そんな若者は見てないよという現実は置いておくとして)。

自己分析は自分を見つめる手段として昔から好きなんだけど、少なくとも20代半ばには、自分はこの程度の能力だと見切っていたものが、今は大きくそのイメージを超えたものになっているということ。人間は自分が思う以上に成長するものなんだと感心すると共に、この先、どう自分が成長していくのだろうと、楽しみにもなる。だからこそ、今の自分を見切ることなく、頑張り続けることの大事さを伝えたいとも思う。


ただ、自信を持ちすぎるとろくなことが起きないということも、何度と経験済み。少し自信があるくらいが、積極的に動けて自分にはベストな状態だけど、軋轢を生む程になると返ってマイナス。振り返れば、4月前後の送別会で、できる上司から高い評価をもらったことも遠因にあり、謙虚になるべく読書に励む。

やはり人間、この人はすごいという師があってこそ謙虚になれる。自分のレベルとの差を痛感しながら、まだまだ仕事に、読書にと励んでいこうかなと思っているところで。

畏縮ムード

想像してたとはいえ、やはり全国を覆う自粛ムードは酷すぎる。何、山口県で歓送迎会を自粛しているのかと、はや意味が分からないレベル。

この状況を引き起こしている原因は何か。一つには、東京発、全国一律放送の弊害、そして本質的には、あらためて露見した日本人の性質にいきつく。

危機的な状況の中、心に余裕を失った人々からは、隙あらば、他人を引き摺り下ろそうとする日本人の厭らしい性質がにじみ出る。横並びの安心感、公平の名を借りた足の引っ張り合い。

ネットにより格段に進歩した監視社会が、それを助長する。横並び違反者の摘発と、摘発情報の拡散による、さらなる追い討ち。皆が疑心暗鬼になり、何もしないことが唯一つの選択肢となる。

この状況を、自粛ではなく、畏縮と捉えたのは、まさに本質。何かすることで非難されるリスクを避け、何もしない安全を選ぶ。その背景にはあるのが、同じ不自由を押し付ける、異常なまでの嫉妬心。

日本人のこの陰湿な性質は、人々の生活に監視制度を取り入れた江戸期以降に作られたものだという。自由をもたらすはずのネット社会が、人々の行動を抑圧する。個が確立できない社会でのネット社会の弊害を思わずにはいられない。

公平原理主義、減点主義、ミスを必要以上に責める、出る杭を打つ、他人への嫉妬、これまで日本人の欠点としてあげられてきたことが、当然のように市民権を得る。誰もそこにある問題点を指摘せず、正論もどきな声の大きな批判ばかりが、世間に流布される。

東京発、全国一律放送の弊害は、言うまでもない。東京ベースの震災報道をこう毎日繰り返されたら、沈んだ気分になるのも致し方ない。ここ数年山口県で続く夏期の豪雨災害で、東京都民が暑気払いを自粛しただろうか。もちろん、そんなことはない。東京が直接影響を受けているからこそ、必要以上に情報にさらされる。有名無実化している地方テレビ局のあり方も、これを機に問われてもいい課題だろう。


過剰な自粛は、経済を停滞させるのみで、何も生み出さない。その地域ごとに判断すべきことが、過剰な情報や、全国的な監視体制で、何もしないというリスク回避を選択せざるを得ない状況に追い込まれている。

相手を思いやっての積極的な自粛ではなく、周りの反応を懸念しての名ばかりの自粛、つまりこの畏縮の状況は、異常である。何でも美談にするこの風潮を改め、まず、そのことを世間の共通認識として共有することが求められる。


・・・・・
震災復興策等これまでここで書いたような形で動き出しそれなり満足も、中途半端の域を脱せないのは気がかりなとこ。

はっきり言えば、国民生活より、経済復興が優先というのが、個人的な考え。経済繁栄があってこそ、その利益を国民が享受できるというもの。何もせずに、国家が繁栄したわけじゃない。今の繁栄は、戦後、国民生活を犠牲にしてまでの経済活動にまい進した結果に過ぎない。

一時の苦労をしのいでも、将来の繁栄を買うという発想は、タブーなのだろうか。関東近辺の大企業が、夏期に自主的な計画停電を実施するという情報に触れ、経済活動にこそ、優先的に電力を供給するという意見は出ないものかと密かに見守る。

企業とは合理的な判断の上成り立つ存在で、規模が大きくなるほど単なる感情に流されることはない。例え対外的には既存基盤での経済活動存続を掲げても、中では、先を見据えた合理的な検討を進めている。既に、国内企業の主力市場が海外へと移った昨今、国内の意向にとらわれるメリットは限られる。

国家として、経済復興が第一。インフラ供給、整備で企業を積極的にバックアップ、国内企業を守るという姿勢を強力に打ち出さないなら、将来的な市場規模の縮小が見込まれ、継続した災害リスクのある日本で再度工場を整備するという選択肢とるわけがない。

国民の生活が第一とは、安定した経済活動→雇用→税収が背景にあり、初めて言える言葉である。国民受けと、生活最優先を価値観とする民主党政権に多くの期待をしてはいけないと思いつつ、ただただ将来を憂うところである。
プロフィール

Author:hiro

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