COUNT-   T-  Y-

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マスメディアの終焉

さて、暇なネットニュース読者を賑わした、俳優・高岡蒼甫氏によるマスコミが作る韓流ブームへの苦言。

まあ、第4の権力に位置づけられる強大な権力と免許制による国家的な独占事業で巨大な利益を生む構造にもかかわらず、公益性を後回しに、業界利益ばかりを追及するマスメディアへの反感にいっきに火が付いたといったところか。

ネット社会は、情報操作で作り出す過剰なブームに左右されない人たちの存在を確実にあらわにし、時間と事件を経るごとに影響力を増すその存在の大きさをあらためて実感するとともに、点が面へと変わりうる、中東の春を予感させるうねりの発端さえ見せ始めていることに気付かされるとは、まあ余談。

話は戻り、その原因でもある韓流ブームを苦々しく思っている人も多いだろう。韓国が、国家主導で世界的な既成事実と世論を作り上げ、訪韓する日本人俳優にさえ竹島問題の考えを質そうとするのに対し、その先の戦略も見据えず安易に韓国の国家的な輸出戦略を利用し、商売という目の前の利益を優先する姿勢、本来発信すべき情報まで過剰な配慮で出さないことへのもどかしさ。

マスメディアとは、その国の世論を形成するほど力を持つもの。だから、革命の際にはまず放送局を占拠するし、独裁政権は国営放送により政権礼賛放送に励む。そして、日本においても、各放送局には外国株主の保有制限がかけられ、免許制という厳しい参入障壁を設けている。

それにもかかわらず、自社の利益追求を優先し、外国製コンテンツに終始した放送であるなら、実質的な他国のプロパガンダ機能を担うことになり、規制の悪用と批判されても仕方ないだろう。国家戦略により自国の価値観を織り込み輸出するコンテンツを安易にたれ流すことのリスクは、その役割から当然考慮されるべきことだろう。

彼にとっては、仕事を通じ、日本の文化が侵食されているという危機感の方が強いだろう。それが、自然と沸き起こったブームなら否定するものでもなんでもないけど、意図的に作られ、大きな力が奇妙なバランスで利用しあっているから、もう一つすっきりしないわけである。


と、ここまではこの騒動の所感であり、大きな問題じゃない。本質は、彼が所属事務所を退社するまで追い詰められたマスメディア業界の異常な体質だろう。

言論の自由を何よりも重視すべきメディアによる、自己否定。既得権を維持するため、その顛末さえ報道せずに、意に沿わない自己の考えを表現した業界に属する一人間を葬り去った事実。本質を見失い腐敗した組織、業界が透けて見える。

彼らは、元来そんな正義感など持ち合わせていないのかもしれない。権力者が集い作り上げた村社会のルールで生きる彼らが、ネットという新たに現れた番人により、そのいびつな体質が暴かれただけとも。

芸能事務所と契約しなければテレビ番組に出られない仕組みも、もっと疑問を持って取り扱われていい。免許制というパイが限られる制度を利用し、大手事務所が独占、新たな参入や個人の活動を阻む。質を保ち、自浄能力を働かせるため、当然に求められる公平な競争環境とはほど遠い。

都合のいい公共性は、ホリエモン事件でも散々叩かれたこと。ただ、テレビ業界に変化を突き付けたこの事件で起きた変化は何もない。俳優個人に、本来持つべき権利が与えられていたなら、自己の主張で、世間ではなく、業界に抹殺されることはなかっただろう。


会社、業界という枠を超えられない彼らに、ジャーナリズムを名乗る資格はないだろう。今後、メディアの本質さえ否定する彼らにより発せられるもっともらしい主張を、いったい誰が耳を傾けるのだろうか。



・・・・・
もう一つ。

中国の高速鉄道事故の背景を見たいなら、真山仁著の「ベイジン」がおすすめ。真山氏は、ハゲタカに象徴されるビジネス小説の書き手で、ベイジンは、中国での原子力発電所建設をめぐる癒着と権力闘争の状況を力強く描く。原子力発電所でのメルトダウンも同時に描かれ、ここ数ヶ月で頭に入った原子力発電設備の知識が妙に役立つという面も。

汚職や腐敗は、中国にとって文化のようなもの。腐敗・汚職による摘発は、至極政治的理由によるもので、正義でも綱紀粛正でもない。ただ、権力闘争に敗れ、後ろ盾を失った者のみを、見せしめとして取り締まる。
不可解な中国社会の一端を見せてくれるこの本は、今起きている問題の背景を教えてくれることだろう。

ビジネス小説紹介がてら、もう一冊。高杉良著の「烈風」。通商産業省を舞台にした省内での権力争いで、これはこれで読み応え十分。非自民連立政権であった細川内閣時代に実際に起きた事件を題材にしているから、現実味がぐっと増すところもよし。組織で働くことの難しさ、理不尽さは、なにかと参考になるのでは。

国家の中枢である省庁を舞台にした本もおもしろいものだと、先日は、経済産業省大臣官房付の古賀茂明氏が書いた「日本中枢の崩壊」を購入。東京出張の際に、話題の本として平積みされていたことも、選んだ理由の一つ。

震災後の原発対応に端を発する政権、経産省の対応を批判する内容のようだけど、政策の在り方、組織の在り方としてみるとなかなかおもしろそう。素人集団の政治家に、シンクタンクが社会に根付いていない日本において、政治主導に固執する過ちはすでに明らか。同じ目標に向かい、組織として政治と行政が一体となり、どう対応していくか。そんな解を見つけられたらと。
スポンサーサイト

近況報告

ついつい忘れがちだけど、意外と多いHP&日記の隠れ読者。まあ、ここ数年だいぶハードルが下がり、この人にはいいかなって思うと気軽に教えてしまうところがあるから。
ご存じ、少々過激なことや普段出さない面に触れたり、なによりめんどくさいのが嫌いだから、あくまで匿名性を大事にしていきたいんだけど。

こんなことをあらためて書くのは、先日お酒の席でとある方に、「いや~、先日AKB見に行ってね」なんてネタ的な入り方をしたところ、反応いまいち。うーん、この話題は人を選ぶかなんて思ってたら、既に当日記で顛末がばれていたことが分かる。
これは話のネタを選ばねばと反省しつつも、妙に文才を褒められたので、それはそれでご満悦。いや、あのAKB考察は、適度に客観情報を混ぜ込んだバランスが取れた秀逸作だと個人的にもお気に入り。まあ、あの秋元氏の視点は個人的にもおおいに共感し、いつか出せないかと温めてた素材だったりするから。


さて、近況はといえば、なんと先週は水曜から1泊2日で東京に行ってたりする。前日18時前に突然決まった出張に、その準備も大わらわ。いろいろな意味で成果のある2日間で、やはり最新の情報は東京にいなきゃ取れないとつくづく実感。ニュースではない、生の声(本音)の大事さを思う。


そんな生の声と、ここ最近のこの国の動きから結論を言えば、脱原発とか、復興駆け引きとか、無駄な政争をしている場合じゃないよということ。もっと目の前に、現実的な問題が山積みになっている。そして、その山積みされた問題の対処は政治家の責任で、それを避けるなら、誰もこの場所に残ってくれない。

まず対処すべき問題と、将来的に描くべき展望があって、今が何をすべきタイミングかという優先順位がわかっていない。同時に進めるべき事項であっても、その比率は必ず違う。従来方針を根本的に変えることは、民主的な段階を踏む必要があり、拙速に進められることじゃない。世の中、安易に善悪を色付けられないように、利害関係者とは表裏一体の関係なのだから。

物事を大きく、長期的な視点でとらえるのが国政の役割。確かに大地震で、とてつもない被害をもたらしたけど、千年に一度という出来事を、どこまで現実社会に織り込んで対応するか。

高台移転で莫大なコストをかけるとして、今後千年間、沿岸部の平地は使わない生活を選択し得るのか。より便利に、より楽になるため、様々な工夫で進歩してきたのが、人間という生き物。平地の国有化、用途制限をかけないなら、数百年、いや数十年後には、より便利な土地を求めて再び沿岸部に移転している人々の姿がはっきりと見えてしまうのだが。

そして原発。人間がコントロールできない限界を記したが、コントロールできないことへの無策が根本的な問題だろう。資源のない日本が生き残る道は何か。資源、食糧といつの間にかお金で買えることが当たり前になり、忘れている大事なことがある。あまりに臆病に、誰もが責任を逃れた結果が、この原発事故を引き起こしている。この同じ過ちを、再び国力の源泉である経済活動にもたらすのか。

感情論で物事を決めて得るものは何もない。むしろ、その膨大なコストが、将来負担として国民を苦しめることになる。世論という一時の感情に支配される政治。政治家の責任とは何か、ますます軽くなるその肩書は、そんな本質さえ忘れさせる。この停滞の原因は何か、政治家が様々な有権者の利益代表ではなく、皆が国民総体の代表を自認するなら、これほどの数は無用の長物であり、これこそが停滞の一因ではないかと思えてくる。


政権与党を見ていると、つくづく組織で働いた経験のない方々だとあきれる場面が多数ある。政治とは、個人事業主ではなく、組織で物事を作り上げるプロセスの繰り返しである。トップをないがしろにする部下、スタンドプレーでアピールばかりが熱心な同僚、調整や妥協を知らず己の主張ばかりを繰り返す新人、これではいいものが作れるはずがない。自民党時代は派閥がその育成を担ったらしいが、この惨状を思うと、もっと社会のエリート層を政治に組み込む仕組みを作らないと、職業政治家で乗り切れる時代ではなくなったと実感するところで。

AKB48考察

4泊5日の東京出張(営業活動)は、当初の目標を上回る充実した内容で終える。まあ、成果として形に表れるのは、半年以上先になるだろうけど。

さて、いつものようにただ仕事だけで東京出張を終えるわけもなく、今回の目的をサブカルチャーの研究と銘打ち
、ハードではなくソフト面から日本の最先端を垣間見るため彼の地に出かける。

そう、足を踏み入れたのは秋葉原、そして飛ぶ鳥落とす勢いで成長を続け、はやサブではなくカルチャーとして根付きつつあるAKB48を肌で感じるために。


秋元康へのどんな否定的な言葉も、その実績の前には霞んでしまう。枠にとらわれる学術的なマーケティングの限界を顕にし、本物の企画のあり方をその軌跡から教えてくれる。

日経ビジネス2010年12月20日号に掲載された、ヒットの極意と題した彼へのインタビューには、思わず唸った。
①自分が面白いと思うかどうか
・ヒット商品を生み出すポイントは、この一点に尽きる。自分が面白くないものを、大衆が面白いと思うわけがない。ヒット商品の共通点は大衆の共感を集めたかどうかで、「こういうモノが面白いはず」ではなく、「自分が心底面白いと感じる」ものがヒットを生み出す。ちょっとした上から目線が大衆の感覚との誤差になり、共感をそいでしまう。

②プレゼンなどいらない
・モノを作るときにマーケティングは一切やらない。今流行のものはもう過去のものだから、もっと自分の本当の気持ちや本当の声を聞いたほうがいい。自分が「これは面白い!」と思ったら、次はいかにしてモノにしていくか、企画力の勝負。
・企画の面白さを周りに説得するのは無駄以外の何物でもない。面白いと思っていない相手に、「この企画、面白いでしょう」といくら言ってもしょうがない。企画の解説は一切せず、相手が乗ってこなかったらスッと引っ込める。
・プレゼン力がない方が、つまらない企画が淘汰され、企画自体に力がある面白い企画だけが残る。下手にプレゼン力があると、面白くない企画が残るリスクがある。
・面白い企画、ヒットする企画は多数決から生まれない。たとえ1対9でも、誰か1人が辞表を出してもやりたいというモノが当たる。6対4でとりあえずやってみようかというのは、絶対に当たらない。
・ヒットが生まれたのは運がよかっただけ。運が巡ってくるまで諦めずに、「これはいける!」と思い込み続けられるかどうか。

③運が巡るまで諦めない
・夢の方からそっぽ向くことはない。いつだって、先にギブアップするのは自分。他人に相談しているようで、諦める理由を探している人も多い。そんな姿勢では、夢はかなわない。
・夢に向かって全力で手を伸ばしていて、1㎜でも250mでも、届いていないのは同じ。残りの距離は、手を伸ばしている人には見えない。僕は、実際には250mの距離にいても、あと1㎜だと思える。いつも猛烈にポジティブ。
・諦めるか諦めないかが勝負の分かれ目。自分の中にヒットの法則やエンターテイメント理論があるわけじゃない。ポジティブ思考は根拠のない自信だから、揺らぎようがない。
・この幸運がいつまでも続くわけない。そう思っているから、何が何でもヒットを維持しようという気持ちにはならない。だから、結果に一喜一憂することはない。今はAKB48がヒットしているけど、僕にとってはそれはどうでもいいこと。そのときの天候を気にしないのと同じ。だって、天候を思い通りにはできるわけないんだから。


自分が面白いと思うかどうか。企画としての立場ではなく、消費者の立場で、共感できるものを作れるかどうか。市場調査やマーケティング、ベンチマークなどという過去の分析ではなく、自分の感覚で本当にいいと思うものを提案できるかどうか。そう思うから、彼の考えに共感する。
新たに立ち上げたプロジェクトを成し遂げた方からよく聞くのは、1人でも決して諦めていなければ、一度立ち消えたとしても、いつか必ず実現するというもの。自分がこれしかないというものを、上司の一言や、社内の多数決だけで諦めるわけにはいかない。プレゼンは、やはり周りを巻き込む方便として欠かせないから、一社員としては仕方がないことだが。

自信を持って生み出した企画には、なぜ、この素晴らしさが分からない、理解できないなら全てこちらに任せてくれと、自分のイメージどおりスピードをもって動けないことへの葛藤が尽きないのが、会社組織で働くということ。担当でいられる限られた時間との戦いでもあるが、世間の時勢や社内の構成等運のめぐり合わせの面もあるから、思いを発信し続けることの大事さを学ぶ。


さて今回は、こんな重い話じゃない。
ただ言いたいのは、AKB48がここまで時流に乗った本物のアイドルになったのは、それが大人が商売として作為的に作り上げるマーケティングの産物ではなく、秋元氏の思いをスタートにした、彼女達が作り上げたものだから。本物か偽物か。流行という名の空気に安易にだまされないため、世間は真贋を敏感に嗅ぎ分ける。

彼女達に、5年間の潜伏期間がなかったなら、ここまで世間は支持しただろうか。エイベックス等大手事務所やテレビ局プロデュースのように、容姿端麗な虚像を作り上げ、資金力に物を言わせた大量の広告戦略、マーケティング戦略を仕掛け、一瞬にしてスターダムにのし上げるような手法であるなら、一瞬のファンは付こうとも、その人物の本質にたどり着く前に飽きられてしまうことだろう。

ヒットするかどうかに一喜一憂するのではなく、いいと思うものを作り続けること。それが世間と合致したときに、爆発的なヒットを生む。

ちなみに、ヒットを爆発的なものにつなげた仕掛けも、純粋にビジネス面から参考になる。CD販売不況の時代、ミリオンを超える売上は、ネット配信や違法ダウンロードを言い訳に、何の有効な手も打てなかったレコード会社の怠慢をあらわにした。
同じ曲を特典やパターンを変えることで複数枚購入する仕組み、初回限定版に圧倒的に魅力的な付加価値を付け価格も相応に引き上げる仕組み、CD購入にイベント参加券を付与する仕組み。ただ、音楽を聞くだけではなく、DVDやミニ写真集を見たりという、CD購入に対する新たな価値の提供が、本来の目的以上の動機を生む。
CDを、音楽を記憶するメディアという従来の発想から転換させたこの手法は、既存の発想にとらわれ衰退をたどるあらゆる分野で通じることだろう。

CD複数枚購入の仕組みを非難する声もあるが、これは成功者への嫉妬の類でしかない(なお、ヒットという面で捉えたなら、十万枚を超えた時点で、複数枚購入は全体に有意な影響を与えない誤差の範囲に過ぎないものだろうが)。より支出にシビアになっている消費者への、それを上回る価値の提供。これこそ、現代のあらゆるビジネスの課題であり、情報洪水社会によるニーズの多様化で、マスマーケティングによる爆発的なヒットは望めないといわれる中で出した結果は、何にも変え難い事例となるだろう。

そしてだからこそ、前述した秋元氏の語るヒットの極意は、この現象の始まりの本質をついており、大きな価値を見出しているわけである。


そしてここから、ようやく本題。
掛け声なんて出せるわけなく、若者に混じり長蛇の列に並ぶ気もないながら、友人の意外と普通の人が多いらしいよとの声に押されて、劇場公演遠方枠に申し込み。限定15枠ながら当選してしまうから、喜び勇んで秋葉原のドンキホーテに出かける。

当日はチームK公演、中塚智美生誕祭ということで、あまりに知識がないため少々勉強もして劇場へ。さすがに知名度が上がってきただけあり、結構普通の人も多く、会社帰りのサラリーマン風情の方も多数。いつもは口に出すのもはばかられる隠れファンも、ここでは自分を開放、いや周りに圧倒されるからなかなかに居心地がいい。

遠方枠は指定席があり、カップル・ファミリー枠、女性枠に続いて入場。これがみそで、周りに濃いファンがいないという安心感は、何にも変え難い。そう、遠くからこっそり見守るファンという、普通でいられる安心感。

どんないい音楽も、ライブにはかなわない。圧倒される迫力、そして伝わる全力感。いい曲も多いけど、やはりパフォーマンスが一体になってこそ。250人という小さな規模だからこそ、目の前で繰り広げられるパフォーマンスが真っ直ぐに伝わってくる。

生誕際だからと事前にスタッフから手渡されたサイリウム(発光スティック)は、光らせ方が分からず、一人手拍子に代える。激しく振ってればいつか光るかもと終盤の二度目の使用場面に向けあらゆる手法を試すも、結局光を放つことなくただの棒切れに終わる。どうやら、真ん中を折るイメージで力を加える必要があるらしい。せっかく皆で一体感を出し祝福ムードであふれる中、完全に空気が読めない、非協力的な人間に移ってしまい、ただただ申し訳なく。


結局、一生懸命何かに頑張っている人というのは、応援したくなり、そしてその存在は周りにポジティブな影響を与える。それが若い女性で、それを堂々と公式に応援できるというのが、アイドルを応援する魅力で、その応援したくなる動機付けとなる頑張り(裏側)を見せるのが、AKBという手法が成功した理由でもある。そして、その応援に対し、彼女達が一生懸命応えようとするから、信じてそれに賭けることができ、その企画-アイドル-ファンという三者が、各々強い信頼関係で結ばれていることが、安心して応援できる基盤となっている。

もちろん最も大事なのは、アイドルとしての本人達の資質であり、その構成を含めて選び抜き、研究生としてのワンステップを置いた企画者は、最も評価されるべきことだろう。容姿端麗なだけの美人が活躍できるほど、世間は甘くない。結局のところ、どの世界でも同じように、人間性を兼ね備えた魅力的な人物を皆は支える。
もちろんそれはアイドルに限らず、スポーツマンなり、演者なり、身近にいる人なり、困難を乗り越え一生懸命頑張る人は、応援したくなるものである。それはどこか、今を生きる自分を投影して、その頑張りからパワーをもらうかのように。

そして、会いに行けるというキーワード。テレビや写真等メディアではなく、劇場や握手会という、直接触れ合える存在が、アイドルを虚像から肌の温もりを感じさせる一人の人間という位置づけに変えた。当たり前のことだが、映像より本人自身の方が断然にかわいく魅力的で、そして人間同士のインスピレーションは対面しなければ伝わらない。

浮世絵なら歌川広重の風景画の絶妙なバランス感と繊細な美しさは飽きさせることがないし、ゴッホひまわりの飛び出しそうな迫力には圧倒される、モネ睡蓮の自然に溶け込む感覚も好きだし、フェルメールの透き通るような人物画も美しく、灰を被った備前焼の力強くそれでいて凛とした美しさには惚れ惚れする。人間が絡むとなかなか難しいものがあるが、美しいもの、いいと思うものを素直に受け入れられない人間にはなりたくないし、それに気付くだけの感性は持ち続けたいとも思う。

モーニング娘がそうであったように(これは、つんくの能力の限界が先に来たが)、ブームというのはいつか沈静化する。ただ、アイドルの定義が曖昧になり、スマップが40代に近づいてもその存在感を十分に見せているように、諦めなければポジションを代え、またその活躍は見せることができるだろう。秋元氏が当初の発想を忘れ、目の前の人気を追わない限り、このグループは息が長いだろうと見ているところで。

日本に足りないもの

規制とは何なのか、誰を保護するための仕組みなのか、決して既得権者を守るためではない、消費者を守るための仕組み。つまり、規制は「消費者の利益のために存在」し、「競争者の保護ではなく、競争の保護」にある。

市場競争こそ、最も効率的に商品やサービスを人々の間に配分する方法。人々の間に所得格差はもたらすが、社会全体の所得が上昇することで、豊かな人から貧しい人に所得を再配分する余力も生まれ、貧しい人の生活水準を上げることもできる。つまり、市場経済のメリットは、市場で厳しく競争して、国全体が豊かになって、その豊かさを再分配政策で全員に分け与えることができること。一方、デメリットは、厳しい競争にさらされることの辛さと格差の発生。だから、自立できない非常に貧しい人たちの面倒は、所得再分配政策により国が責任をもってみる。


変わらない日本経済の体たらくの原因は何なのか。変わらないことの、競争を避けることの、過剰なまでの権利意識。ある程度豊かな今の生活を維持するために、あらゆる変化を全力で拒む。競争を避けた社会は、少しずつ衰退が進み、その少しずつの衰退を維持しようとすることで、さらに大きな衰退へと歩を進める。

国民全体が、一度得た豊かさに執着し、競争の辛さから逃げ、その意思を政治に強く求めた結果。それが、失われた10年の後、初めて規制緩和を通じ競争による成長戦略を描いた小泉元首相を真っ向から否定し、あらゆる規制を強め、さらなる停滞へと導いた今の流れ。


「競争と公平感 市場経済の本当のメリット(大竹文雄著)」は、市場経済の必要性にあらためて気付かされる良著。なぜ、日本人だけが、公平という呪縛にとらわれるのか。本当の市場競争のメリットを教わっていない、無知な姿があらわになる。そこで失っているものの大きさ、現状を変えられないジレンマ、世界間競争の中で決して通用しない日本的ガラパゴス価値観。人口減少でもない、高齢化社会でもない、日本経済衰退の本質が垣間見える。


日本経済が世界間競争の不要な、内需で完結する社会であれば、経済成長を諦め、国内再分配だけを考え、規制社会を維持するのもいいだろう。ただ、日本企業は世界経済を相手に日々競争を勝ち抜いている。競争を避け、成長を諦めた環境に、果たしてビジネスの本拠を置こうとするだろうか。

韓国とEUとのFTA(自由貿易協定)が、7月1日付けで発効。10%の関税撤廃は、輸出産業中心の韓国経済に多大なメリットをもたらす。それを受け、日本企業も韓国への工場進出を続々と表明。当面続くと見られる円高と合わせ、韓国で製造し欧州へ輸出しなければ競争に勝てない環境から、当然の選択。

一方、少子高齢化、人口減により国内市場規模の縮小が見込まれ、世界市場を相手にした輸出産業に生き残りをかけるべき日本は、既に構造的問題から手の打ちようがない、いや強力な権力により既得権益を手放そうとしない団体の圧力に屈し農業保護を名目にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加盟さえままならない。


我々が目指すべきはどこなのか。国力の衰退により、さらなる厳しさに耐える社会なのか。豊かな生活を目指し、今の困難を頑張って乗り越えようとする社会なのか。

今の困難への不満を募る国民に対し、将来の豊かな生活を描かせるのが政治の役目。国民の生活が第一など、どうでもいい。小泉さんがそうであったように、今の橋下大阪府知事に期待を寄せるように、将来を描き、現状を変えうる人物は確かにいる。それに値する人物が見当たらず、既得権益に縛られない人たちが投票権を行使しない結果、そういう人たちにとって最も望ましくない政治が行われるという、なんとも皮肉なことである。

世界情勢と資産配分について

現場を知る人からは、中国バブルは昨年で終わったとの声も聞こえてくるこの頃。米国の量的緩和終了、EU加盟国の財政危機と、再び世界経済は不透明な状況に陥りつつある。

と、いつ以来か分からないけど、今回は久しぶりに株の話しでもしてみる。
※中国株=香港株を指す(外国人は、中国企業の個別株の取引は香港上場銘柄に限られるため)

皆が危機感を持っているときこそ、絶好の買い場とはいうが、下落基調の中で新規に投資できるほど、余裕も度胸もなく、あのときがと後から嘆くのが世の常である。そんな小心者には、インデックス投信の毎月積み立てが性に合い、下落時でも一定額を強制的に購入する仕組みが、上昇時に大きなリターンとなって懐を潤してくれる。

手数料等考えると個別株が有利というが、売り時、買い時を逸するなら、手数料などどれほどの影響も与えない。ということで、小額ながらこつこつと1年超は続けているお気に入り投信を紹介。

○住信 STAM グローバル株式インデックス・オープン
 日本を除く主要国株式に投資し、安定した先進国の成長を低コスト(手数料0円、信託報酬0.63%)で享受。
○eMAXIS 新興国株式インデックス
 急激に伸びる新興国の成長を低コスト(手数料0円、信託報酬0.63%)で享受。
○ING・インドネシア株式ファンド
 人口構成、豊富な資源から大きな成長が期待できるインドネシアを組み入れ(手数料3.675%、信託報酬1.785)。
○ワールド・リート・オープン(毎月決算型)
 小資産の分散にどれほど意味があるのか分からないが、魅力的な分配金からとりあえず構成に加える(手数料0円、信託報酬1.6275%)

まあ、こちらは30年スパンぐらいの長期戦。(今のところ)利率のいい定期預金という感じで。


さて、問題は個別銘柄。だいたい、仕事のある平日に売買できないから、一向に売れないし、買えないしで、売り時、買い時などあったものではない。少しずつ比率を落として、インデックス投信に振り分けたいと思いつつ、一発逆転があるのではという欲から、ずるずると機会を逸しているところ。

ずばり言えば、個人的には米国リーマンショックに端を発した経済危機→量的緩和による世界資産膨張は、米国QE2の終了、欧州の財政危機、欧米経済停滞による中国輸出鈍化に伴う経済成長率低下で終止符が打たれ、しばらくの調整期間の後、資産バブルは一気に崩壊→適正水準を模索しだすと見ている。

特に中国株については、インフレ対策や株価対策として政府が溜め込んだ外貨資産を注ぎ込むことで、世界の資金の逃げ場として、調整期間中に再び高値を探る動きがあるかもしれないが、中国経済が外需で成り立っている以上それも一時的な動きで、麻酔が切れると共に、世界経済と同じ動きをとることだろう。

中国が、内需中心の経済構造への転換を目指すことで、世界経済が停滞する中での一人勝ちを演じた日本バブルの再来をもたらすかもしれないが、日本と規模の異なる中国での内需依存は現実的ではなく、都市部と内陸部や都市部内での格差拡大による人民の不満を共産党政府はコントロールできないだろうから、積極的に中国政府は内需転換を避けるだろう。

ただ短期的に見れば、別の見方も。一度上がった生活水準は簡単に落とせない、というのが世界共通の人間の性質。今後見込まれる元高やインフレ対策(金融引締はそろそろ限界だから、所得引上しかないだろう)から内需関連株は魅力だが、中国製品を中国人自らが信用していない、大転換は取らないという予想から、中国に進出する世界的ブランドの日本企業株が、当面の狙い目だろう。

基本路線は、株、不動産、コモディティ(貴金属、非鉄金属、穀物、石油等)等資産投資比率を下げ、国債や外貨ベースの投信へ移行。リスクを取れる一定割合を、成長市場に積極的に進出している日本株へ振り分け。ついでに、リスク分散を考えるなら、過剰な国債を発行し続け、国際競争力が低下の一途をたどり、円安リスクが付きまとう日本円に偏った資産所有は避けておきたい。


少々矛盾するところもあるが、外国資産を持とうとするなら、一つ忠告。日本株のよさは、成長は限られるだろうが、結局日本円で生活するわけだから為替リスクがなく、よほど不祥事でもない限り、塩漬けだとしても信頼して長期間保有できること。外国株は、将来の為替変動は読めないし、外国企業自体詳しく知っているわけじゃないから、急な株価下落が本当に怖い。何かあって情報が入らないだけなのか、一時的な調整に過ぎないのか想像がつかず、機を逸する可能性が高い。

とても日本でインフレは起きそうにないし、おとなしく現金預金が一番いいじゃないかという意見には答えを窮するが、まあ、良くも悪くも世界経済を日々肌で感じ続けるには、リスクを背負ってその中に飛び込むことが手っ取り早いから、一度足を入れてみてはいかがですかといった感じで逃げてみる。


長々と書いたが、今回株に触れた理由は次のことから。
自然エネルギーはこれからの成長エンジンと、世界中で注目されている感があるが、既に現実経済を先取る株価では、違う動きを見せ始めている。中国株をそれなり見ている人は気付いているだろうが、中国における自然エネルギー企業株(大唐新能源(風力発電)、コムテックソーラー(単結晶ソーラーインゴット)、保利協シン能源(太陽電池セル、ウエハー)、シンイエソーラー(太陽光発電設置)等)は、直近3割近く下落するなど動きが芳しくない。

中国での電力不足解消のための自然エネルギー推進、日本の太陽光発電電力等の全量買取制度創設、メガソーラー推進、世界での脱原発の流れ等、低コスト大量生産に強みのある中国がこれからの自然エネルギー発電設備製造の拠点になると見ていただけに、意外な動きと注視していたところ。

そんな動きの一端を、本日付日経新聞で見かけたから、載せてみる。
「欧米の再生可能エネルギー関連産業からの投資マネー離れが鮮明になってきた。欧州での政府の支援縮小、米国での天然ガス価格低迷で市場が伸び悩んでいるためだ。製品価格でアジア勢との競争も激化。欧米の関連株は大幅に下落し、中国企業へのマネーシフトも進む。だが一方で、脱原発論議による中長期的な追い風を期して事業拡大へ動く設備メーカーもあり、業界に再編・淘汰の圧力がかかり始めている。」

ということで、中長期的には中国企業へのマネーシフトの動きがあるのだろうけど、短期的には欧米における再生可能エネルギー関連企業の株価下落が、中国株にも影響を与えたのだろうと、妙に納得したところ。

中国株の中でも香港株は、外国人による中国企業投資窓口だから、欧米経済の影響を大きく受ける。中国企業本体の状況に関わらず、変動が起きるし、逃げ足も速い。それを実感するから、この不透明になりつつある世界経済情勢を思うと、香港株での過大なリスクは負いたくないなと思うところで。
プロフィール

Author:hiro

カレンダー
06 | 2011/07 | 08
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。