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Viva! スペイン料理(実践編)

数ヶ月前に宣言した、スペイン料理への挑戦。山口にお店がないなら、自分で作ってしまえという単純な発想。少々多めのイニシャルコストは、今後も作り続けるだろうという勝手な期待から、目をつむることに。

揃えたもの一式

【料理本】
「家庭で作れるスペイン料理  …パエリャ、タパスから地方料理まで」 (著者:丸山久美)
前回日記では、同著の「週末はパエリャ名人」を紹介したところだけど、この5月に最新作が発売されたから、迷った末にこちらを選択。パエリャ種類の豊富な週末・・もいいけど、タパスまで含めていろいろな料理が載るこの本に、より魅力を感じ。
家庭で・・のパエリャ種類は、2種。もう少し経験を積めば、週末・・を購入するだろうなと思いつつ。




【調理器具】
形から入る、これが男の料理である。調理器具が揃えばもっとおいしくできたのにという言い訳はいやだし、なにより初回においしくなければ、かなりの確率で2度目はなかったりするから。
普通のフライパンで十分なんて外野の声など一切耳を貸さず、できあがりの美しさも含めて、パエリャパンを購入。御用達のアマゾンの商品も良さ気だったけど、ここは師事する丸山先生の紹介を優先する。

井上コーポレーション「スペインデリカ館」

パエジャラ(28cm) 3,675円(鉄鍋、2~3人用)
丸カスエラ(12cm) 1,160円(アヒーリョ用に)
木ヘラ(25cm)     630円(鍋を傷つけないように)

ホームページは購入サイトではないため、メールでやり取り。丸山さんの本で知りましたと伝えたところ、割引等のサービスを受ける。


【調理】
最近は、クックパッド等ネットレシピも充実しているけど、所詮は素人の域を出ず、本当のおいしさは料理本に求めたい。そもそもクックパッドは、お手軽にそれなり(というと怒られるな)の料理を作るためのレシピで、やはり手の込んだ料理とはちょっと違うなと思うところ。

ただ、丸山さんの料理は、一切手抜きを許してくれないから、家庭料理としては至って不向き。魚介スープは、魚のあらからとる必要があるし、トマトソースもしっかり手作り。時間がかかる上に、材料費もなかなかのものに。
今回は、少々冷たい視線を感じ、いくつか材料を削る。まあ、外せないところは抑えつつ。

今回作ったのは、ミックスパエリャ(3人分)。鶏肉と魚介が入るオーソドックスなパエリャで、多分これが一番おいしいだろうなと思うとこ。

○準備したもの
・米 1カップ
・鶏もも肉 半枚
・あさり 50g
・えび(有頭) 5尾
・ピーマン 半個
・赤パプリカ 半個
・にんにくの粗みじん切り 1片分
・魚介のスープ 2カップ
  魚のあら 1尾分
  えびの頭と殻 5尾分
  香味野菜(にんじん1本、玉ねぎ1個、キャベツ1/8、イタリアンパセリ2本)
  ローリエ 2枚
  白ワイン 1/2カップ
  オリーブ油 大さじ1
・トマトソース 大さじ3
  玉ねぎ 1個
  トマトの水煮缶 1缶
  砂糖 小さじ1
  塩 少々
  オリーブ油 大さじ1
・パプリカパウダー 小さじ1
・サフラン ひとつまみ
・塩 小さじ1/3
・オリーブ油 大さじ3
・レモンのくし切り 半個分

○諦めたもの
・イカ
・ムール貝
・モロッコいんげん
・グリーンピース
・香味野菜の長ネギ

○買物感想
・今回はを食材種類の多さから、ゆめタウンを選択。パプリカパウダー、サフラン等の調味料、魚のあら等魚介もしっかりと揃い、感心。この料理は、有頭えびが味のカギを握るから、なんとしても揃えたい。
・ムール貝は、どこで手に入るのやら(山口市内じゃ井筒屋?防府市だと潮さい市場にあるらしい)。いい出汁が出そうだけど、コスト面からも今回はパス。彩りとして、グリーンピースを入れればと反省。

○調理
オリジナルならレシピ紹介もできるけど、なにせ素直に従ったものだから、ここで書けるものは何もなし。もう少し経験を積み、手抜き込みのオリジナル性が出た頃に、また紹介を。

と言いつつも、食材を見ればあらかた見当がつくとも。
まずは、魚介スープから。上記食材は4~5人分の分量(1L)で、半分は冷凍保存に。えびの頭をつぶしつつ炒め、水6カップで40分煮る。この段階で軽く1時間が経過。

トマトソースは、ベーシック。玉ねぎをしっとりするまで弱火で炒め、トマトの水煮を加えて砂糖と塩で調味。半量まで煮詰めた後、ミキサーでピュレ状にするというひと手間を加える。ちなみにこちらは4回分の分量で、残りは小分けし冷凍に。

下準備が終わったところで、いよいよパエリャ本体に。まずえびを炒めてみその旨みを抽出後、一旦取り出し。このえびみその出汁に、鶏肉、野菜類、トマトソース、米と順に加えながら炒めていき、最後に魚介のスープとあさりを加えて、煮詰めていくといったところ。
粘り気が出て鍋底が見える頃に、アルミ箔のふたを被せて14,5分も煮込めば、無事完成。

終わってみれば、2時間半が経過。まあ、アルミ箔をめくり、見事に完成したパエリャを見れば、そんなことも忘れて充実感でいっぱいになるんだけど。


【食事】
どんな結果でも受け入れようと、多くを期待をせずに一口目を食べるも、そんな不安を一瞬で吹き飛ばす、口の中に広がるおいしさ。「おー、これはおいしい」、と思わず声に出て。

初めてでこんなにうまく作れるものなのかと、ちょっと感心。さすが、10年以上のスペイン滞在歴を糧にしたスペイン料理本の雄・丸山先生のレシピ。えびの旨みがしっかり効き、単調になりがちなパエリャの味わいを引き立てる。出汁が命と、あさりを諦めなくてよかったな等々、買物からの葛藤を振り返りつつ、味わう。

ちなみに今回は、パエリャのみじゃ寂しいからと、「えびのアヒーリョ」も作る。アヒーリョとは、素焼き器での油煮のことで、オリーブオイルに浸したえび・唐辛子、ニンニクを弱火でじっくり煮て調理。スペイン定番の料理で、広島の「カサ・デ・フジモリ(閉店)」しかり、福岡の「CAFE・DEL・CANDY」しかり、タパスの一番人気はアヒーリョであることが多く、個人的にもお気に入りの一品。

あまったオリーブオイルはパンに付けてが定番で、簡単に作れるから、ついでの一品としてはおすすめの料理。


paeria4.jpg    paeria3.jpg
左:この鍋の、緑の取っ手だけでも、あえてこれを選ぶ価値ありとお気に入り。熱伝導率のいい鉄鍋は、弱火でじっくりまんべんなく煮るパエリャに必須と、一人満足。
右:魚介スープの材料とした有頭えびの頭と殻の残りを活用したえびのアヒーリョ。最後に、少し多めに塩を振りかけ、味付けしたい。



さて、何を思い立って料理をしたかというと、奥さんの誕生日祝いにかこつけて、当面の目標だったパエリャ作りにチャレンジしただけのことだったりする。何かきっかけがないとなかなか手を付けないわけで、期限があるからそれに向けて調理器具を揃え、揃えたからには作らねばといういくつかの関門を乗り越えてたどり着いた結果。

誰が訪ねてくるわけでもないけど、友人を迎えられるようなパーティー料理をいくつか持っておきたいというのは、密かな思い。調理好きの義兄が、クリスマスターキーや出汁から作る手作りフォーでハウスパーティーを開くなんて話に触発されたところもなきにしもあらず。

とまれ、得意料理はパエリャ、なんてかっこいいこと言いたいじゃない。当面、家族を練習台に、腕を上げていきたいところで。
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落合監督退任を嘆く

お気に入りだったカウンターが使えなくなり、しかたなく新たな無料カウンターを探し求め、ようやく設置が完了。

以前のものは、シンプルかつ文字サイズのバランスがよく、ページにすっかり溶け込んでいたのに、今回のは字体、サイズともにもう一つ納得がいかずも、これ以上のものを見つけることができず、仕方なく。また、どこかでいいのが見つかればと思いつつ。


・・・
さて、中日ドラゴンズはついに落合監督が退任という、なんとも残念なニュースを耳にする。

落合氏は、采配に信念に基づく戦略・戦術を感じさせる数少ない監督で、だからこそ中日の野球はおもしろいし、見たいと思わせる。選手の能力頼みではなく、試合そのものを組み立て、勝利へと導く手法には、日本のプロ野球を新たな次元へと導いたとさえ評価できる。

決して恵まれた環境で、トップクラスの成績を残し続けたわけではない。選手の補強は限られ、大物外国人とも縁遠い。まさに、監督自らが選手を鍛え上げ、そして実力を持って起用してきた結果である。多くのチームに見られるように、若返りと称し、実力のあるベテランを放出するわけでもなく、手元にある戦力でベストのチームを作るという信念。若手が育ちながらも、しっかりとベテランの活躍の場が与えられることは、勝利こそ全てという本来あるべき勝負のあり方を教えてくれる。

その監督が優勝争いを繰り広げながらの退任劇。結果にかかわらず長期政権を好まず、人身刷新という名の下、多くの人に機会を与える予定調和的な日本社会のいやな部分が垣間見える。

そして新たな監督は、現政権へのアンチテーゼとして、中日OBのコーチ積極登用を宣言し、補強としてイチロー、福留、川上の名をあげる。采配ではなく、選手個の能力に頼る大味野球への回帰。打って点が入る試合はおもしろく、観客が増えるという幻想。

勝負事は、勝つからおもしろい。名の知れたOBがその場にいようと、勝てない試合を見ようとは思わない。気持ちだけの勝負なら、高校野球を見てればいい。そこに戦略、戦術があるから、監督の一挙手一投足に注目がいき、一緒になって思考しつつ緊迫ある時間を楽しむのである。そして、その愚をおかしたブラウン切り→野村政権の広島カープは、その就任前の予想通りの道を見事に歩んでいる。

仕事師の集団として、セリーグをかき回してきた中日ドラゴンズも、今年で見納め。早々とペナントレースから脱落する広島をよそに、密かに応援してきたチームがなくなることは、何とも残念なことである。

余計なこと

8月後半の涼しさに、すっかりこの夏も乗り切ったと安心していたのもつかの間、9月に入ってからの厳しい残暑にすっかり参り気味なこの頃。涼しくなれ、涼しくなれと唱えながら、蒸し暑さの続く三連休を過ごす。

秋と言えば、食欲、芸術、スポーツとその過ごしやすい気候から人間活動を活発にする時期だけど、せめて長袖のシャツを羽織るまではそんな気分にもならないなと、しばらくおとなしく過ごす予定。

10月に入れば、いろいろとイベントがあるから、それはそれで楽しみにしていたり。
例えば・・・
山口県立萩美術館の浮世絵名品300選(10/1~11/27)は、写楽、歌麿、北斎、広重と名絵師の作品が揃い、浮世絵収集に力を入れる萩美術館の開催だから、興味深い。

山口県立美術館も、負けじと防府天満宮展(9/22~11/6)を開催。日本最初の天満宮である防府天満宮、そして、歴史教科書でも紹介される収蔵の重要文化財・松崎天神縁起絵巻は、防府市民の誇りである。それが一挙に公開されるとあれば、一度この目で見ておかねばと。


・・・・・・・
余計なことをいうのが、この日記の趣旨でもあるが、今年の秋刀魚は食べても問題なかろうかと一人考える。福島原発事故により飛散する放射能は、その半分は海へと落ちる。一方、陸上と違い、海における影響は全く聞こえてこない。

食物連鎖は、繰り返すほど、濃度が高まりその影響は強くなる。もし影響が出るなら、直接口にする茶や米より余程影響が大きいのかもしれない。

海流により放射能が留まらない海は、そんな影響を考慮する必要はないのかもしれない。ただ、その海域に生息する生物は少なからず影響を受け、その連鎖が静かに続いていることは否定できないだろう。

以前にも書いたように、ここ最近多用される風評被害という言葉は、どうにも発言者の不作為を感じさせるから、素直に受け入れられない。その払拭にはデータで真実を明らかにする他ないが、それを避ける。その裏にあるのは、思わぬ事実が出てくることへの恐れ、リスクだろう。

かつて、米国の牛肉にBSE問題が発生したとき、全頭検査を強硬に求め、科学的根拠をかざす米国の主張を一切受け入れなかった。海外で過剰と批判されたその対応を国民が支持したのは、唯一信頼できるのが、科学的根拠≒風評被害という発言者のもっともらしい言い訳ではなく、客観的なデータだったから。

風評被害を避けるなら、それが現実の被害になろうとも、真実のデータを市場に提供するしかない。それを避け、中途半端な地域産業保護を図るのなら、被害者的な立場に立つことをやめ、その消費をその責任の範囲に留めてもらいたいものである。


・・・・・・・
「沖縄はゆすりの名人」との報道で解任された国務省元日本部長・ケビン・メア氏の著書「決断できない日本」を立ち読み。

対日政策に30年携わった氏の経験、見解はなかなかおもしろく、事実を内側から見るという面でも参考になる。

決断できないその理由を、「過剰なコンセンサス」と本質を突く。なぜ、成田空港の滑走路予定地に建つ民家を、合法的なプロセスがあるにもかかわらず強制撤去できないのか、という例を出しながら。

過剰なコンセンサスがもたらす経済損失を受け入れられる余力はすでにない。ところが世間は、さらなる過剰なコンセンサスを求め、それに応えようとする時代へと移り変わりつつある。価値観が多様化し、皆のコンセンサスなど得られるはずがないのにである。

国民主権を掲げる民主党政権がもたらした大盤振る舞いの施策に、まだ一部既得権益に留まっていた自民党時代の方がましだったと、かつて嘆いた。一部であったはずの利権受益者が、国民全体に広がった。とめどなく広がった利害関係者は、貪欲に自己の利益を求め、それに応えようと政治はさらなる財政支出に走る。

政治3流、国民1流とは、震災後に流行った表現だが、もちろん政治とは国民を体現するものであり、国民3流以外のなにものでもない。そして、残念ながら民主党政権は、それを象徴するかのように、自立から依存へと国民の意識を180度転換してしまった。その状況でさらに求められ過剰なコンセンサスに、正面から取り組む必要があるのだろうか。

ここ数日書いた産業政策も、つまるところコンセンサスではなく、リーダーが方向性を持ち、決断力で推し進めていくことこそ求められる。鈍感力で周囲の批判を受け流し、信念を持ち取り組むリーダーが望まれる。

これからの山口県の産業政策

細かな戦術はさておき、やはり戦略、大きな方向性を持っておくことは、何においても重要なこと。まず、大きく物事をとらえておけば、小さなところでの判断を誤らなくなるし、判断のスピードも上がる。時間に追われる毎日だけど、根幹をなすそこについては、じっくりと考え、ときに見直しをしていきたいと思うところ。


さて、2回連続の産業政策。日本全体を見れば、イノベーションが起こりうる仕組みづくりこそが、現状を打破する唯一の手段だと自信を持って言える。失業、倒産と一時の痛みを伴おうとも、現状に変化を起こし、次の20年の成長の機会を得られるなら、挑戦すべきことである。

一方、個別の産業政策に目を落とすと、また違った見方をする必要がある。日本全体の産業政策は世界市場での成長こそ主要テーマだが、各地域の産業政策になると、地域実情を踏まえた地域社会の発展を目指す必要があり、とるべき手段、とり得る手段は大きく制約されてくる。

地域経済の構造的な問題点は、日本政策投資銀行参事で、著書「デフレの正体」で有名な藻谷浩介氏が指摘するように、相対的な雇用を生まない製造業に偏重した産業政策にあることは否定できない。それでも地方で唯一雇用創出、地域活性化を生み出せるのは工場誘致であり、企業の海外進出、国内集約と国内投資環境がますます悪化する中、熾烈な自治体間競争を繰り広げる理由でもある。


全国トップクラスの工業出荷額を誇り、工業県として名高い山口県においても、当然、雇用創出、地域経済発展のため、引き続き工場誘致に力を入れていく必要がある。そんな一般論を一蹴する講演を、とあるセミナーに参加して拝聴したから、簡単にまとめてみる。

基本的な捉え方は、藻谷さんと同じ。個人的にも大いに共感し、さてどうしたものかと個別の手法をいろいろ考えたりする、久しぶりの当たりの講演。

2時間弱の内容を分かりやすくまとめるために要点を抜出し大きく編集、少々個人的な意見も織り交ぜているものの、大きな方向性はこういうこと。あらためて見返すと、今後のあるべき方向性が見えてくる。そして、たまには文章だけじゃなく、(無駄に時間はかかるが)こういう見せ方もいいものだと、出来栄えに満足するわけである。





これからの山口県の産業政策2

これからの日本の産業政策

行政主導による護送船団方式が日本経済を先導する時代は、すでに終わった。圧倒的な政治・経済力を持つ欧米企業が立ちはだかる中、脆弱な国内産業が巨大なグローバル市場に立ち向かうには、国家という旗印の下、一致団結した取り組みが必要不可欠だったが、世界のトップへと躍り出た今、それは足枷でしかなくなっている。

韓国経済の強さを、国家による経済主導の成果と評価し、日本にもかつてのような国家主導による産業政策を求める声があるが、それは大きく間違っている。限られた国力の中での急速な発展は、成長分野に焦点を当てた極端な取捨選択の結果であり、そこで失ったものは必ずこの先大きなリスクとなり自らに返ってくる。

短期的な視点に立った選択は、将来の成長の種をつぶし、極端な集中は水物である経済において大きなリスク以外のなにものでもない。世界市場での競争力を突き詰めた結果、国内の中小企業は廃れ、担うべき技術開発力は日本を中心とした海外の技術に依存する。集中による合理化生産は、今や中国に圧倒されつつあり、グローバルトップを目指した液晶パネルは、市場の変化から企業の足枷へと変わりつつあり、国家経済を揺るがす事態にさえ発展する気配がある。


かつての国家主導の世界戦略の再現を望むように、懐古主義は人間の特徴だけど、あらためて冷静に現実を分析する必要がある。ガラパゴスと評された日本独自の技術発展は、高い品質・サービスレベルを求める日本国民と、それに応える企業の技術開発・商品化力の賞賛であるとともに、日本市場のみを見据えた独自技術にこだわる国内企業への皮肉でもあった。

日本で独自に積み上げた技術を、世界の標準にさえできれば、国内企業は世界で圧倒的なマーケットシェアを獲得できる。独自技術(特許)を礎にした付加価値のある製品戦略、これこそがこれからの日本の目指すべき道であり、進化の可能性を持つガラパゴスの世界を持つことそのものが日本の強みであるはずだったが、そこには大きな落とし穴があった。

そのガラパゴスの世界は、市場(国民)のニーズにより生み出されたものではなく、国家の意志(国家主導の政策)により作り上げられたものだった。

国民のニーズを発端としていたなら、それは必ず世界で通用する可能性を秘める。例えば、ウォシュレット機能を持つトイレは、日本独自の文化として発展をとげながら、世界に紹介されるや否や、多くの人たちに驚きをもって受け入れられた。それは、人間の持つ潜在的なニーズに、大きな違いがないからに他ならない。

一方、国家の意志により作り上げられたものはどうか。それは、その国のみで通用し、世界で共感を得ることはない。本当の利便性を追求したものではなく、自国の事情というその他の国では関係のない理由により生まれた製品は、例え独自の進化で非常に高い利便性を生み出したとしても、あえて他の国が、手枷足枷となるような独自の事情までまねる必要性はどこにもない。


人口減少という国力の根幹を失いつつある国が成長を続ける唯一の手段は、国内市場のみではなく、世界市場もターゲットにして商売を行うこと。そこで求められる経済政策は、国内産業を保護するため、独自の国内基準を維持し続けることではなく、世界で通用する仕組みを国内に導入すること。

国家主導が、世界市場を見据えた規制撤廃なら、大いに賛成する。ただ、この国では間違いなくそれは起こらない。政治三流、それを求める国民三流と評される国で、一流である経済が弱まり、政治と国民ニーズの機微を捉える官僚が表舞台に立ったなら、国内経済保護の下、世界で全く通用しない悪い意味でのガラパゴス化を招く、これまで通りの規制行政が敷かれることだろう。


さて、本質をもう一度掘り下げる。
日本におけるガラパゴス化とは何だったのか。一般的には世界に通用しない日本様式と負に評価されていたが、個人的には、日本独自の技術進化であり、世界市場に打って出る可能性のある日本の強みととらえていた。ところが、その典型である携帯電話市場で起こっていた現実は、日本の携帯電話が、その主体である通信会社によるインフラ投資と速度を合わせるため、コントロールされて技術開発されていたということ。

なんのことはない。日本における携帯電話のガラパゴス化とは、通信会社という業界の元締めが、規制により自社の都合のいいように成長を阻んできた結果に過ぎなかったのだ。かつては世界に賞賛された独自の通信システムは、あっという間にネット接続に取って代わられ、阻まれた製品開発は、アップルのアイフォンや、サムソンのギャラクシーに、消費者ニーズという絶対的な価値観の下、スピード感を持って追い抜かれる。技術開発競争ではなく、規制下での同一製品開発に明け暮れた電気メーカーに、それを挽回する力はなく、しばらく続きそうな規制をあてに国内市場での生き残りにかける。

国内市場のみでの経済成長が困難と分かりながら、護送船団による国内市場の保護を求める矛盾。そこから生まれるものは、将来への負担のみ。国家による経済主導を求める人たちは、そこまでの覚悟があるのか。ただ、かつてのような、国家によるバックアップのみを求めているのか。目の前の批判を避けることばかりが求められる世の中だが、この閉塞感の打破を目指すなら、どこかで誰かが決断をしなければ何も変わらない。


蛇足と思いつつ、もう少し付け足せば、日本にはそんな大きな矛盾があちこちに点在する。軽自動車など、その典型だろう。行政(政治)がその規格を決め、そこにあらゆる優遇措置を設ける。その規格は、世界のどこにもない日本だけの独自基準。消費者は、優遇措置により低価格で購入・維持が可能な軽自動車を購入し、その比率は新車販売の4割を超えるという。そして、自動車メーカーは、利幅が最も低いながら、軽自動車の開発と生産に力を注ぐ。

普及段階にある途上国であるならまだしも、今の日本で軽自動車が幅を利かせるメリットは何もない。利益の出ない自動車の生産は、そこで働く従業員、すそ野の広い自動車業界そのものに打撃を与え、結局日本経済全体を下降させる。それが、国内のトップシェアを占めるなら、それは明らかに経済政策の誤り。本来誘導すべきは、小型車でもなく、中・大型車の購入を促す施策。それを、消費者ニーズの変化などと、自らの無作為を棚に上げるから、何の解決にもならない。

そして、独自の進化を遂げた軽自動車はどうなったか。もちろん、世界基準でもなく、他国に優遇措置などないから、世界の自動車市場に輸出できない、縮小する国内市場のみで生き残りを図る。こんなに成長性のない分野に、税金をつぎ込む意味が、どれほどあるのか。自動車業界を支援するなら、エコカー減税などではなく、中型車以上の購入を支援する制度とし、世界に通用する車種開発に注力する環境を整えることの他ない。

インドで成功しているスズキでさえ、インドでの販売車種は日本の軽規格とは異なる。それは、軽規格が、消費者のニーズから生まれたものではなく、かつての自動車業界内のすみわけという名の下、政治的に作られたものに過ぎないから。

自動車業界のガラパゴス・軽自動車が、プリウスのように世界を席巻する日は、決して来ない。そして、この問題児は、日本の自動車市場の主力を占めるまでになり、国内自動車産業を窮地に追い込みつつある。弱者を救うのが経済政策ではない。成長を促すのが、経済政策である。その違いに気付かないこの社会主義国家に、目に見える衰退が顕著になる前に、軽自動車を切り捨て、世界基準に合わせられる日が来るのだろうか。


長々と書いたが、これが産業における行政主導の恐ろしさだ。一度始めたことは、決してやめられない。そして、その一部の人たちを守るために、多くの革新的な取り組みが機会を失う。その成長の停滞は、新興国を中心とした世界各国の経済力・技術力の高まりにより、今や一瞬で世界地図が塗り替えられ、国内の他産業で代替する余力を失ったこの国に、看過できない打撃をもたらす。

行政にできることは、世界で通用する一定のルールに基づく仕組みを作り、国内企業が世界で優位性を持って自由に競争できる環境を整えること。そこに主眼を置かない規制行政であるなら、後世への足枷以外の何物でもないだろう。
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