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無駄の推奨

無駄の削減が叫ばれて久しいが、これこそが日本経済の長期停滞の原因というのが、ここ数年変わらない思い。

コストを徹底的に削り、最大の利益を目指す。その姿勢は世間の常識として市民権を得、企業に留まらず、コスト意識の薄い行政、日常生活の場である家庭にまで浸透している。

徹底的に削った無駄の先にあったものは、何だったのか。無駄と表現される一言の中で行われていた、複雑に絡み合う経済活動の消失。日本経済の上部を占める大企業による無駄の削減は、底辺に至るあまたの企業の経済活動の消失をもたらすし、新たに生まれる芽をも摘む。大企業は次世代の技術を生み出す余力をなくし、短期的な利益が得られる確実な事業のみを選択する。リスクを恐れる投資判断は時期を逸し、滞留した技術は海外の成長企業へと流出していく。現状維持という名の大企業の後退は、それを支える中小企業の衰退を意味する。


日本経済停滞の原因の一つが、少子高齢化による労働人口の減少にあることは否定できない事実。労働人口とは定期収入を得られる人々を指し、つまり内需を支える消費者の中枢に位置づけられる。いくら高齢者に貯蓄が集中しようとも、定期収入を得、毎月一定の支出を行う現役世代こそが経済の中枢を占める。労働の提供と消費を通じ経済活動を生み出す原動力が弱まれば、経済活動が停滞するのは自然の理である。

数の減少により縮小する経済活動を再び拡大するには、経済活動自体に厚みをもたせる他にない。従来1であった経済活動を、2、3へと派生的に増やしていく。その方法こそ、積極的な無駄への取り組みにある。

経済とは心理面の影響が多分に大きい。労働人口の減少は停滞の一因ではあるが、主因ではない。むしろ、将来見込まれる労働人口減少という懸念に過剰に反応した結果に過ぎない。将来の経済予測は、決して数字で計算できない。将来の基軸と見込まれた欧州経済、通貨ユーロは、不安定な小国の綻びにより一気に崩壊へと突き進みつつあり、将来の経済大国として成長を謳歌する中国は、輸出に頼る外需依存の弱さが露呈し、停滞の色を濃くし始めている。

失われた10年、20年と表現されるバブル経済以降の停滞。突然、人口減少が始まったわけではない。十分想定されたことが、段階的に進んでいるに過ぎない。それにもかかわらず、なぜ世界一の自負からバブル経済が生まれ、バブル崩壊とともに日本経済の破綻という両極端な思考に陥るのか。少なくとも現在の停滞は、将来への不安を過剰に意識した結果に過ぎない。日本全体が無駄を徹底的に削減し、事業活動自体の縮小はもとより、雇用や給与に至るまで減少させれば、あらゆる経済データに経済規模の縮小が表れるのは当然のこと。そのことを持って、日本経済の後退を嘆くことに何の意味があるのか。

自信にあふれた20代を経、体型や体調に少しずつ不安が出てきた30代半ばの人間が過剰な減量を敢行したあげく、現状の数字だけをとらえて落ちた体力に癌かもしれない、この先は短いかもと将来を悲観している姿と何ら変わらない。悲観論が20年はびこりながら未だ衰えない日本経済を捉え、日本の底力と表現する向きもあるが、自ら過剰なダイエットに取り組んでいるだけで、年齢相当の根本的な体力を喪失したわけではないから、当然のこと。今の経済問題の根本は、杞憂を原因とする国民躁鬱的な心理的な問題にあるのだから。


企業関係者は声を揃えて言う。体質を徹底して改善した。次の好景気時には、これまで以上の利益が期待できると。はたして、無駄を削ぎ落とし、痩せ細った体でこれまで以上の好景気が実現できるのか。富士山のすそ野に例えられるように、土台の大きさが規模の大きさに直結する。連動しない経済がもたらす波及効果など、たかが知れている。利益を得るための取り組みが市場自体の縮小につながり、相対的に得られる利益が減少するという皮肉な結果をもたらすだろう。


惰性の無駄を振り分ける必要はあろうが、体力があるところが無駄なことをしなければ、富の再分配という社会システムが成り立たない。事業活動による再分配は、さらなる再分配をもたらし、次なる成長の原動力となる。決断できない政府に、過剰に得た利益を税金として納めるより、よほど経済効果が大きいことと言える。

企業の価値は、ゴーイングコンサーン、事業の継続にある。過剰な無駄で、倒産したのでは全く意味がない。将来への投資、余剰人材を活用した新たな事業への挑戦、必要な人材と費用の確保、縦や横との企業間連携等々長期的な視点に立つ取り組み。それを支える仕組みが求められる。



・・・・・
一方、現在に至る自信の喪失、過剰な不安をもたらしているのは、まぎれもなく決断できない政治の結果。増え続ける借金、不渡りが現実的な年金にメスを入れることなく、泥沼へと突き進む毎年の予算編成。日本経済を覆う漠然とした不安を政府自らが作り上げているとすれば、これほどの皮肉はない。今や、政治による富の再分配がもたらすものは、経済不合理の方が大きい。そろそろ、何でも政治が面倒を見るというあり方を見直す時期にある。

自民党政権のばらまきを批判し続けた民主党政権が行っていることは、それを上回るばらまきにある。企業や家庭の体力に応じた無駄遣いは推奨するが、自ら借金を作れる際限のない政府の無駄遣いは全くことを異にし、むしろ経済に悪影響を与える弊害の方が大きい。

政府が歳出を減らすとは無駄を減らすことではなく、事業をやめることにある。国民に説明し、当然受益者からは大いに非難され、それでも適正な規模での運営のためにはその決断が迫られる。だから国民は、限られた収入でどの事業を重視すべきかを判断し、それを実現する政党に投票し政権運営をゆだねる。国民全てにいい顔をし、将来に負担を残す選択をするものに、政権を担う資格はない。

消費税増税をはじめ必要な税収を確保せずに、歳出を固めること自体が疑問。積極的な給与アップ(歳出)を求め、そのための会社の借金(国債発行)を推奨し、労働(歳入≒増税)を求められると会社を辞める(離党)と言い出す、政治家(労働組合?)とはどういう感覚の持ち主なのだろうか。


税収の在り方も議論すべき時期だろう。税金を国に集めて再分配するという仕組みは限界にきている。少なくとも、社会保障や税番号による再分配すべき対象を把握しない現制度では、負担させられる方はたまったものではない。農家・漁業や個人事業主とサラリーマンの課税方法が異なることも、不公平感しか残さない。お金を使うものが多くを負担する公平感に勝る消費税には、相変わらず捕捉不可能という欠陥を持つ所得による軽減策を導入しようとするなど、制度を複雑化し抜け道を作り出す検討が始まっている。低所得者を救済する制度があるにもかかわらず、さらに税制で二重支援してどうするのか。所得では捉えられない、支出を基準にする公平な負担という消費税の本来の意義がますます薄れてくる。


これから必要なのは、消費することで税負担が軽くなる制度にある。消費税は一律税制なので置いておいて、日本人が貯蓄に走るのは、何も貯金が好きだからだけではない。確定申告制度の形骸化、何もしなくても基礎控除、扶養控除と一定の経費が収入から控除される仕組みにある。源泉徴収によるサラリーマンへの課税は、徴税の負担を軽減するが、支出の抑制にもつながる。実際の支出を伴わなければ経費として認められないならば、余計な税負担を回避すべく、積極的な支出に努めるだろう。

自動車購入費の210万円が、7年の減価償却で毎年30万円経費として認められるなら、償却期間を超えた自動車は買い換えようと思うだろうし、飲食や旅行、ゴルフ代が経費として認められるなら、同僚や異業種の人たちと積極的に出かけ、何もせずにお金を取られる税負担を軽減しようと様々な努力をするだろう。

国が特定かつ少数の人たちにお金を配分するより、経済活動に回る方がその何十倍も効果が大きい。そこには積極的な無駄遣いが生まれ、無駄が生み出す新たな経済活動が次々に始まる。無駄を削ることではなく、無駄を生む仕組みにより得られる効果こそが、求められる。1の経済活動を、2にも、3にも拡大していくような取り組み、これこそが日本経済に必要なことだと確信する。



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さて、最後に余談。年金問題は、先送りを標榜する民主党ではとても解決しそうにない。やはり年金制度は、現在の現役世代が負担する賦課方式から、自ら積み立てた年金を受け取る積立方式に変えるしかないだろう。今後、減少することが明らかな現役世代が、増加することが明白な受給世代を支えるが不可能なことは、自明の理。なぜ、この方式に固執するのか、疑問さえ持つ。それを埋めのが消費税という論理は、さらに現役世代の負担を増やす方法にしか過ぎず、論理が破たんしている。

積立方式とし、従来通り企業折半の制度を導入すれば、これまでと同程度の年金額を受給可能。また、自己負担に応じた支給という公平性が保てる(非負担者には最低限の社会保障制度(生活保護)適用で対応)。現時点で将来の受給額が計算でき、将来もらえないリスクを確実に解消するとともに、現在の受給者と同額とすることで不公平感もなくなる。また、現在の受給者の過剰の受給も必要に応じ是正できる。

賦課方式から積立方式に変更する最大の問題が、これまで積立してきていない世代への支給方法。当然、これまで年金を払ってきた人たちには必要額を支給する必要がある。これは、現在既に十分積み立てられた年金機構の運用基金をあてるとともに、不足額を計算し、必要額に対し年金国債を発行。その返済財源に消費税の増税分をあてる。積立方式であり、これまで賦課に回してきた現在の現役世代の分も合わせて、一度の国債発行により必要額を全額確保することが肝要。一切の不安を解消するとともに、消費税の際限ない社会福祉目的利用に歯止めをかける。今後十年、増税分はすべて年金国債償還財源にあて、年金制度を全国民が負担分を公平に受給できる制度とすると宣言したなら、反対する理由は何もない。



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不満よりも諦め、いちいち憤るのをやめ関心を示さないという、なれの果てに近づきつつある日本の政治。国民のためという名の、声が大きい国民の一部の人たちのための政治は、もう十分。場当たり的な政治から、将来の日本を築く政治へ。はや期待できる政党も人物もほとんど存在していないが、あるべき方向性を、これからもここを通じて訴えていきたい。
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本で振り返る一年

この一年を振り返るにはと思いつつ、読んだ本でも紹介してみることにする。
種類から言えば、仮想体験可能な経済小説が最も多い。その中で印象的なものを。

■新・燃ゆるとき 高杉良
経済小説の雄・高杉良作品は、ほぼ主要作品を制覇。会社や産業の実態に深く入り込む内容、そこでもがきチャレンジしている若手、中堅社員、経営者の姿から、多くのことを学び、自身のモチベーションを上げてくれる。
新・燃ゆるときは、マルちゃんブランドで知られる東洋水産が、アメリカに子会社・現地工場を設立し、セクハラ事件や労働組合問題、業務改善を団結して乗り越えながら、成功へと導いていく過程を描く。ブラジルでは、カップラーメンのことをマルちゃんと呼ぶという話を聞いたことがあるが、その一例であるアメリカでの取り組みを知れば、その理由にも納得がいく。組織で働くことのやりがい、日本の企業がグローバルに展開する秘訣を教えてくれる。


■烈風 高杉良
経済産業省を舞台に官僚、マスメディア、財界、政界を巻き込む権力闘争が見応え。1993年に実際に起った産業政策局長の更迭事件が題材で、組織の中でのリーダー論、組織が抱える理不尽さ、マスメディアや政界等が強い影響を持つ官僚組織の複雑さを体験することができる。


■運命の人 山崎豊子
人の内面をも描く山崎豊子の小説は、いつのまにか主人公へと入り込み、その感情の起伏までシンクロさせられる。中国残留孤児を描く「大地の子」、大本営参謀からシベリア抑留を経、伊藤忠商事会長までのしあげる瀬島龍三をモデルとした「不毛地帯」、日航機墜落事故を題材とする「沈まぬ太陽」、大学病院の権力闘争を描く「白い巨塔」等々、心に残る作品が多い中、この作品も、一新聞記者による違法行為と歴史教科書で学んだ外務省秘密漏洩事件の真相に迫る、迫真の一冊。


■ベイジン 真山仁
映画化もされたハゲタカの著者・真山仁の作品。舞台は中国、北京五輪に合わせて巨大原子力発電所を稼働させる使命を持つ当局幹部と、安全を絶対の優先とする技術提携先の日本メーカー技術者との激しいやり取りが、中国共産党というベールに包まれた政治体制を背景に描かれる。中国の根本的な仕組みを知ることができるおすすめの一冊。
2008年刊行の著書ながら、ここで描かれる原発事故が、まさか現実に起きるとはと彼の着眼に驚いたもの。この本を読んだなら、「マグマ」により地熱発電の現状を知り、原発事故後の在り方を政治家の視点から問う今夏刊行の「コプラティオ」まで押さえておくことをおすすめする。いずれも真山仁著で、原発事故を一度掘り下げたからこそ描ける内容に、読み応えがある。


■なぜリーダーは「失敗」を認められないのか リチャード・S・テドロー
小説から離れてビジネス書を。ハーバード・ビジネススクール教授が、これまで実際に企業で起きた事例を基に、失敗への教訓を示す。その失敗の原因は、否認にある。不都合な事実の否認、経験則の否認が、避けられた失敗、当然避けるべきであった失敗をもたらす。フォード、タイヤ業界、A&P、シアーズ、IBM、コカ・コーラ、デュポン、インテル、J&Jと、アメリカトップ企業を舞台にした失敗に至る判断の誤りを検証していく。否認による失敗が繰り返される事実。自分ならどう判断できるか。ビジネススクールに通っているつもりで、勉強していきたい。


■コンサルティングとは何か 堀紘一
コンサルティングとは、答えを教えることではなく、考えることが仕事。自前主義にこだわり、傭兵を雇い時間を買う欧米との発想の違いが、日本のコンサルタントの活用の幅を狭めている。ボストンコンサルティング社長として、日本にコンサルティングを根付かした人物の話は、コンサルタントを目指したい人、コンサルタントの役割を担いたい人に、大いに参考になる。


■下流志向 内田樹
内田樹という人物を認識してからのここ3年、彼のものの見方、分析がおもしろく、なんだかんだで毎年3,4冊程度の著書を読んでいたりする。フランス現代思想を専門とする神戸女学院大学文学部教授という堅苦しい肩書は、彼の自由な思考を押しとどめない。メディアの社会的存在意義を問う「街角のメディア論」、教育の在り方を問う「街場の教育論」に続き、かつて耳にした下流志向が、彼の著書と知り文庫本を見つけたのを機に購入。
2005年の講義を主体とするが、学ばない子供たち、働かない若者たちという現状は、いささかも改善することはない。現在の、いやこれからもっと悪化するであろう若者たちの思考の一端を理解するのに、必読の書と言える。


■采配 落合博満
彼の理にかなう思考法が好きだし、そこに至る過程をさらに知りたく、大いに興味を持って購入。戦況が悪化しようとも動じず、戦況を分析しながら必要な手を打つ姿勢は、まさに現場のリーダー。経営者の思考より、まさに今役に立つリーダー論は、ビジネスでそのまま応用が可能。
人の育て方、活かし方、結果論ではない、成功するための手段がそこに並ぶ。彼のチームで野球ができればおもしろいだろうなと思う。それは、自分のチームでどうリーダーシップを発揮すれば、仲間がおもしろく仕事ができるかにつながる。仲良しチームではない、信頼で結ばれ、能力を引き出し、より高みを目指す取り組み。自分にない色(能力)を使う勇気が、絵の完成度を高めてくれるという姿勢。
最後に語る、「大切なのは、何の仕事に就き、今どういう境遇にあろうとも、その物語を織り成しているのは自分だけだという自負を持って、ご自身の人生を前向きに采配していくことではないだろうか」「どうすれば成功するのか、どう生きたら幸せになれるのか、その答えがわかれば人生は簡単だ。しかし、常に自分の進むべき道を探し求めること、すなわち自分の人生を「采配」することこそ、人生の醍醐味があるのだと思う」「「今の自分には何が必要なのか」を基本にして、勇気をもって行動に移すべきだろう」。勇気をもらう言葉である。


■その他
大人の流儀(伊集院静)は既に紹介済み。オーガニック革命をはじめとする高城剛も、前向きな姿勢に影響を受ける。ウォーレン・バフェット関係は、バフェットの株主総会や賢者の教えで、長期投資の考え方の参考に。北方謙三の史記は、4ヵ月ごとの単行本を継続購読し、ようやく6巻目に入ったところ。ドラッカーのマネジメントは未だ読み終えていないので、冬休みの課題と、今年も、いろいろな本に手を出してきたところ。


本は、日経新聞日曜版での新刊紹介を除き、基本、本屋でインスピレーションを受けての出会いがあるかどうか。そういう面では、メガ本屋の乏しい山口県では、出会いの機会がかなり制限されてくる。広島時代の仕事帰りにゆっくり時間をかけて、平積みの表紙に目を通していくあの時間がないことは、なんとも残念なことである。

お気に入りの作家の本は次々読み終えていくし、また新たな発掘をしていかねばとも思うところ。毎年減っている読書タイムをしっかりと確保する。出張の際の信号待ちが、メイン読書タイムなんてことにならないようにしていきたいところで。


さて、余談として、コミック編は、紀元前200年頃、秦王朝の中華統一までの道のりを描く「キングダム」が、中華群雄割拠の春秋戦国時代を将軍を目指す戦争孤児からの視点で描く、その詳細な描写、充実した内容ともに秀逸なおすすめの作品。冬休みの暇つぶしにでも。

デジカメ更新

斬新な発想やデザインは評価するけど、性能の低さからすっかり敬遠しているソニー製品。何度と期待を裏切られた経験が、自然とソニーを遠ざける。

そんな傾向も、ここ最近を振り返ると少し変化が。磨きのかかる先鋭的なデザインに魅力のある機能が加わり、むしろ積極的に選んでいたりする。


昨年購入の液晶テレビ・ブラビアHX900は、4倍速機能、LEDバックライトによる黒が映える画面のきれいさはもとより、一枚ガラスを使用したデザインが素晴らしく、一年経た今でも、あらためて見るたびにその美しさに惚れ惚れする。ちなみに、漆黒の表現力こそLED液晶の魅力であり、その性能を最大限引き出すには、明りを消した室内でのBD映画鑑賞に限ると思うとこ。※リンク先は後継のHX920

液晶テレビの音の弱さは仕方がないため、今夏引越しついでにソニー製テレビ台RHT-G11を購入。シアタースタンドシステムとして、テレビ台にAVアンプとスピーカーを内蔵。十分な音量どころか、BD・DVD映画における音の表現力は言うまでもない。テレビ台としてもソニーらしいデザインが部屋に映え、満足。音楽鑑賞用としてのミニコンポに代わる音響機器にはとても至らないが、最小限の配線を含め、十分な価値がある。

KDL-46LX900①  RHT-G11
液晶テレビ:KDL-46LX900、テレビ台:RHT-G11



そして、先日悩みぬいた末に購入したのが、デジタルカメラ・サイバーショットDSC-WX30。
現在使用のLUMIX(パナソニック)も5年が経過。エジプト砂嵐のおかげで、レンズ蓋の開閉が手動になったことはさして支障をきたしていないが、ここ最近続いた結婚式で、写真画像レベルの低さをあらためて突きつけられ、更新を決意。

目的は、ブレない手持ち夜景撮りに、フラッシュなしでのきれいな室内撮り&レストランでの料理撮り。最も利用機会が多いのは、料理写真。薄暗い室内で、フラッシュなしできれいに写真が撮れるなら、それこそ求めたい機能。料理写真はフラッシュをたかないが基本らしいが、料理のおいしさではなく、料理の情報を伝えることを目的なので、常時フラッシュ付き。フラッシュがなければ、どれほど気兼ねなく店内で写真が撮れるかと思ったことは数限りなく。その機能がお金で買えるなら、例え期待を裏切られる可能性が高くても追いかけたい。

結局、コンパクトデジカメの写真のきれいさはキャノンのIXYがベストとの思いがあり、かつ従来のやぼったいデザインと一線を画すIXY600F(2万円程度)に大いに引かれるも、動画撮影時間の短さから脱落。室内撮りのきれいさを左右するのは、レンズの明るさ。コンデジでは群を抜くF値2.0を誇るIXY32S(1万3千円程度)は、らしいやぼったいデザインがどうしても受け入れられず。デジカメは、デザインではなく、写真の機能が全てと説得にかかる店員とは、価値観が違うと。

機能だけを求めれば、ニコンのCOOLPIX S8200(2万6千円程度)が圧倒的で、撮影を含めカメラそのものの感覚が好き。やはり、一眼レフの雄だけあるとほれ込むところだけど、既にニコンの一眼レフ(D70)を持っている現実が選択を阻む。本当に必要なときには、一眼で撮ればいい。コンデジに求めるのは、持ち歩き易さと、その中で可能の最大限の写真のきれいさ。となれば、写真のきれいさを優先し、大きめサイズのニコンは、選べないと。

IXY600F     coolpixs8200
左:IXY600F、右:COOLPIX S8200



そして行き着いたサイバーショットDSC-WX30は、決して消去法というわけではない。むしろ、最後まで後ろ髪引かれたIXY600FとニコンS8200を上記理由で納得させ、なんとか振り切った結果。

WX30の魅力は、そのコンパクトなサイズとデザインの良さ。特にブラックは、洗練されたデザインの中にかわいげがあってなかなかよし。機能を簡単にまとめたら、有効画素数:1620万画素、F値:2.6、ズーム:光学5倍、液晶モニター:3型、高感度裏面照射CMOSセンサー、バッテリー:約230枚と十分な高機能。

なにより、決め手になったのは、動画撮影機能。静止画のキャノン、動画のソニーと言われるように、動画機能に関しては他社の追随を許さないレベルの高さはやはり魅力。そのビデオカメラ同レベルのフルハイビジョン撮影機能を持ち、時間にして55分の撮影が可能。普段持ち歩くには不便な、一眼レフと(まだ持ってないけど)ビデオカメラの代替を担える機能にすっかり引かれる。AVCHD方式による録画で、通常のテレビやビデオでそのまま見られるのもいい。これは、なかなか重宝しそうだと楽しみにしているところで。

DSC-WX30①   DSC-WX30②
サイバーショットDSC-WX30
サイズ:幅92.2㎜ x 高さ51.9㎜ x 奥行19.1mm、重さ:117g、記録メディア:SDカード&メモリースティックに両対応、裏面はタッチパネル形式



高機能コンデジと言えば、以前は4万円前後が相場と思っていたら、まさにデフレの象徴・家電の一角を占めるだけあり、機能に対する価格に驚くばかり。家電量販店激戦区の宇部地域に出向く機会があり、山陽小野田のヤマダ電機で購入。価格は18,300円で、ポイント17%(3100円相当)と5年間保証付き。

動画撮影目的から予備バッテリーと、専用ケースをネットで購入。アマゾンで、純正バッテリー5880円→1800円、ケース2205円→1575円と定価から大きく値下がりするから、付属品は量販店でも買えないなと思ってしまうところで。


これで、ホームページの写真は変わるのか。結局、料理写真は慣れたLUMIXを使い続けるのか。そんな様子も見てみてもらえたら。

年末

さて、いよいよ年末もさし迫る。

例年、冬のマラソン練習調整の場、萩城下町マラソンは今回不参加。悩んでいるうちにエントリーが遅れた&練習時間も取れなかったりと。

夏場の練習は体調に支障をきたすため、早くても9月末にスタートしたい。となれば、12月頭の萩マラソンは、もう一つやる気の出ない練習過程の目標にちょうどいい時期。すっかり人気大会になった、下関海峡マラソン大会でフルを一度は走ろうという思いはあるけど、11月頭の大会に照準を合わすなら、8月、それも盆明けの最も暑い時期にスタートしなければいけないから、もう一つ尻込みするところで。

とまれ、冬場の大会に向けたマラソン練習は、11月半ばから本格スタート。時間とやる気をなんとか見つけて、週4日程度は5~10km走を行い、まったくスピードが上がらない力のなさに日々失望しているといったとこ。まあ、年明けから気合を入れなおせば、きっとそれなりになるだろうなと思いつつ。


・・・
先週末は、思い出したかのように年賀状作成に取り組み。例年、その年に行った旅先の風景写真を背景に使うけど、今年はこれぞというものがなく、一苦労。そんな結果は、年明けにまたここで披露することとして。


・・・
クリスマスというイベントにかこつけ、どこかおいしいお店の開拓をと、宇部市のイタリア料理「ラロマット」の予約を試みるも、22~25日全て+26、28日と年末まで満席とのこと。まあ、1週間前に連絡した時点で既に遅しだけど、今回も機を逸する。

イベントは行動を起こす動機づけになるけど、それが皆と同じものでは、計画で動かない人間は必ず後れを取る。それが、海外旅行程度なら、数日前でもどこかの便が空いていたりするけど、席の限られた人気食事所となれば、とてもキャンセル待ちなど期待できない。

この時期、通常コースが、クリスマスメニューなどと特別メニューに変わるのも、少々不都合。普通にお店の実力を知りたいときに、食材、値段ともに大幅グレードアップするのでは、はかりかねると。

年末休み前の、心も弾むこの時期においしいものを食べたい気持ちはいっぱいだけど、クリスマス時期は外した方がいいかなと、そんな思いを持ったところで。


・・・
さてさて、時間にゆとりのある年末に、少しはホームページ更新に注力していくこととして。

イベント続きの近況を報告

先月から続く、週末毎のイベントに、日記を更新する時間なく今に至る。次の更新機会にまとめて書こうとずるずる先延ばしになっているため、もう少し、気軽に更新したいと思うとこ。


ここ最近呼ばれることもなくなった結婚式に、先月、今年2回目の出席。いつの間にか、職場の若手から抜け出しつつあることが、同僚や後輩の式に招待された始めた理由でもある。

場所は、下関市・春帆楼。かの日清講和条約の締結会場ながら、そんなことを知っているのは山口県人のみであろう。明治期に全国で禁止されていたふぐ料理が解禁されたのも、この店で伊藤博文がふぐ料理を食べたからこそ。そんなことから下関の中でも、ふぐ料理に関しては、ここは特別な存在だったりする。

春帆楼は、山口県人たるもの一度はと、会社旅行でふぐフルコースを食べに来て以来、2度目の訪問。なにやら最近、内部をリニューアルしたようで、格式の中にもどこか新しさを感じさせるモダンな造りに、この店のイメージが大きく変わる。なにより感心したのは料理のおいしさ。身の厚いふぐの刺身に、久々ふぐのおいしさを思い出させ、タイ・アジ・中トロ・車エビ・ウニの5種盛り刺身は、素直にうまいと感じさせる濃厚な魚の旨みを堪能させる。茶わん蒸し、天婦羅と続き、メインはロブスターに牛ヒレステーキがそれぞれ出る十分な内容。料理がおいしい披露宴会場ではなく、まさにおいしい料理が食べられる店での披露宴と、なんとも嬉しくあってもので。

こう書いては、まるで料理だけを楽しみに出かけたみたいだけど、その盛大なる宴や出席者が150人に上り、連なる列に並ぶもお話どころか、お酒さえ注ぎに至らず。そんなわけで、早々に諦め、料理をメインに堪能したというわけで。


・・・・・
11月も終わりには、来年3月までを期限に、広島からわが社に来ている友人の卒業旅行にと、萩・長門を案内。
広島を思うと、ど真ん中に中心(山口市)がある山口県は動きやすい。西部に位置する広島市から、北部の三次・庄原、東部の福山・尾道に行くのは一苦労。それどころか、山中の府中市や神石高原町ともなると、たどり着くだけで目的を達成した気分にさせられたもの。

動きやすい山口のことだから、行ったことがない場所も少ないかなと、お気に入りの萩・長門に落ち着いたもので、この地域であれば、何度訪ねても十分楽しめるとの自負もあり。

萩市は、見事紅葉の盛りと重なったこともあり、まずは大照院へ。毛利家の墓所でもある当院は、萩城下町の外れにある環境も合わせ、厳格さの中にもどこか生活感を感じさせる町中とは一線を画す独特の雰囲気があり、お気に入り。ちなみに、HPトップの山口見所「紅葉」は、ここ大照院の写真。変わらない見事の銀杏を眺める。

と、一つ一つ追っていく時間はとてもないため、早足で。大照院→野山獄→ふじたや(昼食・そば)→鍵曲→田床山眺望。ちなみに、これは、萩2回目以降の方への案内ルートであって、これを参考に萩を散策すると、最も大事なところが欠落することになる。やはり、萩の魅力は、伊藤博文屋敷、高杉晋作生家、菊屋家とその雰囲気をそのままに残す武家屋敷。そこから萩城跡まで歩いた後に、まだ時間があるようなら、選択肢の一つに入れてはと思うところ。

食事と泊りを考えたら、どうしても長門市を選択してしまう。ここの刺身と、鯨料理と、ウニ釜飯の味わいは、広島どころか、全国そう味わえるものではないと案内したのは、いつもの行きつけ和食の店「吉松」。さざえの天婦羅なんて珍しい料理も楽しみつつ、魚介料理を十分に堪能。きっと、ここのウニ釜飯が忘れられず、またこっそりと訪ねたくなるに違いないと、なんだかんだとそれに惹かれて毎年夏場のキャンプに参加している自分を振り返ったもので。


・・・・・
はや年の瀬、毎年のように教壇からその意味とともに聞いていた師走という呼称を耳にしなくなって、どのくらい経つのか。

12月最初の週末は、広島に行き旧交を深め、1泊のち、広島の街を散策する。本通りを埋め尽くすその人の多さこそが、力の源。そして、そこに集まる多くのチャンス。地域を単位に経済が回るとは、こういうことを言うのだろう。

チェーン店が林立し、東京資本に回らされている地方経済は、決して健全とは言えない。目の前の生活は成り立つが、現状を抜け出す新たなチャンスが訪れることはない。安易な何かを得、大事な何かを失い、それに誰も気付かない現実。

あらためて気付かされる広島という町の魅力。適度な住みやすさと、適度な都会をあわせもつ、その絶妙なバランスが居心地の良さを作り上げる。

住み良さ日本一という標語は、そこで生活せざるをえない環境下での評価。知らないから住みよいのであって、他を知ればその評価は大きく変わる。それは、高卒者のほとんどが県内に留まり、県外流出の大卒者はそのほとんどが戻らないという以前示した指標からも明らかなこと。他を知らないブータン国民の幸福度並みに、実は残念な指標ではないかとさえ思えてくる。いや、現状の盲目的な肯定は、努力の放棄につながり、しいては成長の停滞をもたらす、負の指標とさえ思えてくる。

成長を諦めた経済は、大規模な市場に飲み込まれ、今や画一的なチェーン店で埋め尽くされ、それに疑問を覚えずより安価な商品を享受し、さらに地域経済は廃れていくといったところか。


その活気にあふれる街を十分堪能しつつ、いろいろ考えさせられつつ、広島での2日間を過ごしたわけで。


・・・・・
広島で仕入れたこの年末を楽しむための本の紹介等は、また後日ということで。
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Author:hiro

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