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方針を一部変更

最近続く本の紹介は、以前にあったここで紹介する本を参考にしているとのコメントの影響も。まあ、他にネタがなく、本紹介ばかりが目立っているところもあるが。

もう少し順調に読み進めれば、紹介する本も増えてくるのだが、今読んでいる「イノベーションのジレンマ」がちっとも前に進まない。気分転換にと、他の本に手を出しているのも原因だけど、なんとか最後までたどり着きたいところ。

イノベーション(技術革新)を、持続的イノベーションと破壊的イノベーションに分け、リーダー企業が新規参入企業にシェアを奪われていく原因を明快に示す。リーダー企業は、カイゼン、カイゼンで顧客ニーズをくみ取り、持続的に小さなイノベーションを積み重ねていくが、まったく違う視点から、破壊的なイノベーションが起きた時には、なすすべくもなくそのシェアを奪われる。新たな価値観を創造する破壊的イノベーションにおいて、顧客の声はむしろマイナスに作用し、リーダー企業がその状況に気付いた時には、既にシェアを奪われ取り返しがつかない。

本書は、短期に破壊的イノベーションが繰り返された事例としてディスクドライブを取り上げるが、MDウォークマンがiPodに、ガラケーがスマートフォンに市場を奪われたことを考えれば、分かりやすい。ウォークマンに薄さや音の良さ等少しずつ進める改良は、何千曲と入り圧倒的な薄さを持つiPodという同じ機能を持つ全く異なる製品の前には、市場シェアを奪われるだけ。いくら持続的改良を進めても、MDウォークマンはそれ以上のものにはならず、顧客からもMDウォークマンを視点とする声以外は聞かれず、むしろ既存の顧客は、それまで集めたMDのため、新規製品の開発を止めようとさえするというもの。

その新陳代謝が強い経済を作るわけで、一概に長寿企業の数を誇る日本はいかがなものかと読み進めると思えてくる。自動車業界や電機業界と、かつて日本が圧倒的な強さを誇った業界が、新興国にシェアを奪われる理由、それへの対策も見えてくる。持っておきたい視点の一つと、まだまだ前半に留まりながら、おすすめしたい。


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今回は本紹介などするつもりはなかったのに、成り行きで。ついでに、もう一つ余談。

最近、家電を検討する機会が多いが、後継機が前機種の機能を下回るものが多く、驚いたりする。価格を上げずに利益を追求するデフレ環境に加え、稼ぎ頭の海外経済の不透明さが、この選択肢に至ったのかと想像する。価格維持のため、ポッキーの本数を減らしただの、容器サイズを小振りにしただの量で調整していた内はまだよかったが、技術水準そのものを落とした先にあるものは、研究開発の衰退、競争からの敗退という悪循環。

研究開発投資を削り、価格を先に決め、市場が求める水準の技術力を盛り込む。そこには、価格を超える価値や新たな買い替えを促す魅力はない。短期的な利益は出るかもしれないが、長期的な成長機会を手放し、最も恐れる海外との価格競争に巻き込まれることになるだろう。結局、製造業において、経営トップは技術者であるべきという理論はよく分かる。ソニーの出井体制、ストリンガー体制が何を残したのか。研究開発に特化し、製造を委託する先にあるのは、現場を知らない頭だけの人間達がために起きる、研究開発力の低下というから皮肉なもの。

ビジネススクールのように、テキスト通りにものごとは進まない。すっかり鳴りを潜めているが、ルネサスエレクトロニクスと富士通、パナソニックの統合協議、つまり生産部門を切り離し、研究開発に特化する取り組みは、かならず数年後に行き詰ると自信を持って予知。

見えないところで進行するデフレ。価格維持の企業努力が限界に達し、もしくは諦めに近づき、新技術の追求から相応の水準による利益の確保を優先しだしたなら、いよいよものづくり日本の終焉が見え始めたと憂うばかり。こういう環境になぜ追い込まれるのか。物事は単純ではないとはいえ、やはり、前向きな未来を示せない日本の舵取り役をにらみたくなるところ。


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さて、本題。
食事所はなかなか新たに紹介するところもないなということで、「再訪」した状況を追加更新することに。これまで、上書更新は何度かしてきたけど、それまでの記録は残しつつ。また、訪問日を入れることで、より情報としての正確さを持たせる。

以前も、訪問日掲載を検討したが、所詮は一人で開拓しているにすぎず、何度も訪ねられないから、情報はどうしても古くなる。本質的なところが大きく変わることはないと思っているが、情報取得日のみをとらえられ、ここで記した価値が低下するのはおもしろくない。そんな思いから踏み切れずにいたものの、正確な情報を望み、その判断材料の一つが利用日であるなら、それを示さないことは自分の都合のみでフェアではないと見直し。

それはそれで、再訪の動機付けにもなるし、更新の機会にもつながるメリットも。当面は、再訪はそんな方針で、新規はそのときの内容と見栄えで検討することとする。

湯田にいろいろと新しい店ができたと話は聞くが、いかんせん夜飲む機会が皆無に近い。まあ、この辺は多分に自分の付き合い方という話もあるが、もう少し更新頻度を上げていきたいと思うところで。
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君はまだ残業をしているのか

めずらしく、本のタイトルを題名に。著者は、吉越浩一郎、残業をなくした経営者として有名な元トリンプの社長さん。

厳しく結果が求められる外資系企業のトップにありながら、会社全体で残業をなくした仕事への取り組みは、キャッチフレーズばかりが先行しがちなワークライフバランスの本質を教えてくれる。

・仕事には必ずデッドラインを設け、スピードと密度を上げる。
・仕事のキャパシティは「能力×時間×効率」。効率(スピード)だけは覚悟があればいくらでもあげることが可能。
・デッドラインの基準は、「これくらいならできる」という配慮は不要、「会社にとって正しいことを優先する」。
・ファイルもスケジュールも、案件ごとに分けるのではなく、デッドラインで整理する。
・情報共有化が可能な会議こそ、残業をなくすための大きなしくみ。多くの問題点を発見できるから、会議は長ければ長いほど、多ければ多いほどいい。ただし、担当による十分な事前準備により、一議題は2分で結論。

・GNN(義理・人情・浪花節)を排し、問題を小分けにした上、ロジックにより正解を導き出す。
・将来のリーダーを目指すのであれば、部下でいる間はひたすらフォロワーシップを磨くこと。
・仕事に集中しスピードアップを図るため、話し声が聞こえない活気がないのがいいオフィス


ふむふむ、ついつい不測の事態を想定し、仕事を前倒しに詰め込みがちだけど、デッドラインの考え方を取り入れれば、今処理すべきことが明確になる。デッドラインから処理能力に基づく必要時間を引いたぎりぎりのタイミングに取り掛かれば、まさにタイムリミットとの勝負。否応なくスピードは上がり、効率的にこなせるようになる。能力ではなく、訓練で効率はあがるから、意識して取り組むことが大事なのだろう。

優先順位を考えているようでは、まだまだ余裕があるとは著者の弁。この取り組みを会社全体に根付かせる方法まで、経営トップとしての視点もあるから、なかなか参考になる。高いレベルの仕事をして、なおかつ効率的にこなしていく。仕事と仕事以外の生活の均衡のとり方を、具体的な取り組みにより教えてくれる、おすすめの一冊である。

政権への見切り

いよいよというか、ようやくというか、ついに見切りをつけたのが民主党政権。

3ヶ月のハネムーン期間だの、そんな短いスパンで判断することなく、非常に寛容に、これまでの自民党支配とは違う何か、これまでの仕組みを変える、そのきっかけとなる一端でも見せてくれたらと、どれほどマスコミが非難しようが広い視野により温かく見守ってきたつもりだが、いよいよどうしようもないと諦めることにする。

沖縄での暴言なり、震災や原発への対応なり、大臣の無知なり、そんな些細なことは大局に影響を与えない。戦略としてどうとらえているのか、物事を判断するうえで、何を基準としているか。そこが信頼に足るかどうか。マニュフェストは、本来政党なり、政治家の資質の一部を表したものに過ぎず、人物を選ぶうえでの判断材料にこそなれ、その通りの政策を求める愚はないと批判的なのも、そういう理由による。

あらゆる事象の積み重ねではあるが、岡田氏が副総理就任以降、再び声高に叫ばれ始めた年金問題の対策案。消費税の使途を社会福祉目的に限るという、社会福祉を御旗に批判をかわし、本質を誤魔化そうとする安直な手法。またここに戻るのかと、消費税増税の名目にとられる、その場しのぎの方法に呆れというか、憤りさえ覚えた次第。


さて、何が問題なのか。

まず、消費税増税は、社会保障問題の一部を一時的に解決してくれるが、すべての解決にはつながらない。そして、社会保障以外にも解決すべき多くの問題があるが、増税分を社会保障のみに使うことは、社会保障問題をさらに悪化させ、その他の問題の解決を先送りすることになるからである。

デフレの原因ともいわれる将来への不安。年金問題の解決。これは早急に解決、つまり将来への確かな道筋を示す必要がある。この方法は、以前書いたように積立方式以外に解決の方法はないと確信するまでに至る。

現役世代が負担する賦課方式は、これから確実に見込まれる負担者減少、受給者増加の社会では成り立たない。不足分を消費税で賄う、将来世代に公平に負担してもらうため赤字国債を発行するは、結局消費税負担は現役世代が負担することになり解決策でもなんでもない、そして人口減少による国力衰退が見込まれる将来世代に現在の豊かな水準を維持するための負担先送りは許されない、というかあらゆる負担の先送りで将来にその余力は既にないと言った方が正しい。

民主党が年金試算を出せないのは、これまでの水準を維持しようと思えば、将来負担が膨大な額になるからである。負担者が少なく受給者が多いのだから、受給そのものを減らさない限り、当たり前のことである。その受給者には、目の前の批判をかわすべく、将来の破綻を無視して現水準の維持を優先する。大局的な戦略など持たず、目の前の国民のことが第一だから、当然の帰結。無責任に、負担とリスクを背負わす政権など、許せるはずがないとまず思う。


この政権のつまらないところは、やはりどこまでも大きな政府、自分たちで国民を地方を企業を手取り足取り導くことが正しいと信じていることにある。政治家が介入するから、非効率、無駄が生じ、民間による経済活動が圧迫されるという認識がない。自由な発想の妨げは、経済の活性化を消失させ、だからこの政権から成長戦略などという言葉は出てこない。政治が、行政が牛耳れば、成長などするはずがない、目の前のことが淡々と(公平という名の非効率により)執行されるのみ。

金を稼げないのに、すべてに金を出して支配しようとするから、その資金は借金のみに頼ることになる。そして、民主党政権以降、借金は膨大に膨れ上がり、それを恥じることなくまた特例予算として繰り返す。その結果、この政権は何と言っているのか。この財政赤字から第二のギリシャになる恐れがあるため、消費税をどうしても上げる必要がある、と。何を言っているのか、この人たちは。彼らの政策により、当然帰結すべき状況に陥ったところで、その責任の一切を棚上げし、他人事に突然起きた事故のように不安を煽る。

この人たちが、消費税増税による税収増で何をするかなど、容易に想像がつく。無人契約機で借りたお金のはずなのに、厚みの増した財布に気持ちが大きくなり、そのままパチンコ屋へと入っていく依存者と同じ。当面の年金と社会保障という一時しのぎの仕組みをもっともらしく国民に示し、現在の受給者に痛みを伴う、将来に亘る安全性を示す全体の仕組みは何も変えない。むしろ、従来の国債比率や償還率を変えるどころか、余力のできた税収で、低所得者保護という名の下、さらなる優遇策を講じ始める。そして、年金制度、社会保障制度は十年以内にも再び行き詰まり、消費税のさらなる増税という手法を繰り返す。

そしてそれは、消費税に留まらない。彼らがしようとしているのは、稼いでいる人から取り、声の大きな、見た目上収入が少ない人への不公平な再配分である。既にこれまでも増税が行われているように、所得税が必ずターゲットに、そして厚生年金、健康保険が必ず狙われる。

かつて彼らは、自民党政権の施策をサラリーマン増税だと大批判した。彼らがやっていることは、それと何が違うのか。


結局、国民に嫌われるのを恐れているだけ。そこには、戦略など何もない。ただのその場しのぎ。国民の生活が第一。その国民とは誰なのか。声の大きな、困っていると自己主張する人々か。そんな余裕も、機会もなく、日々一生懸命働き、国内経済の車輪となるべき人たちを、なぜここまでないがしろにし、活力まで奪うのか。全てを牛耳る大きな政府を目指し、それが目的だからその先には戦略などなく、とにかく過剰なまでに似非まで含む弱者をとことん救済し、一時の手柄を誇張し、そのつけをサラリーマンと、将来世代に転嫁する。こんな判断基準の人達に、日本の舵取りを任せてたまるか。


消費税増税は賛成である。所得という曖昧な基準によらず、可処分財産、いわゆる支出能力を基準に公平に負担する税金だから。これは、不足税収を補うこと以上に、税の公平性を担保することを目的にすべき。だから、消費税増税の暁には、所得税等捕捉不可能なため不公平な負担となっている税を減らすことが求められる。

消費税の増税分の使途は、社会保障のみを目的とすべきではない。現在の社会保障自体が過剰支給により制度破綻を起こしており、制度自体を見直す方が先だから。本来、現給付で抑えるべきものであり、さらに負担を増やすこと自体発想が誤り。余裕があるなら、誰も痛みを伴う改革など受け入れられなくなる。

では、どう増税分を扱うか。ここで根本に戻り、年金改革への原資のみに充てる。年金積立方式の問題は、これから積み立てる世代はいいが、これから受給する世代への給付。まずは、将来の年金財源である年金機構の積立金を加え、年金給付額を示し、必要な財源を算出する。年金給付額は、積立方式だから、当然今もらう世代も、将来もらう世代も同水準になる。その計算方法は、これまで負担してきた人たちの平均的な負担割合から積立額を算出、その額を受給開始年齢から受給終了時の平均年齢で差し引いた支給期間から算出する。

年金給付額を示せれば、積立をしていない世代への必要な財源が明らかとなる。その不足分に対し、年金国債を発行。その償還財源に、消費税の増税分をすべて充てる。これから現役世代が負担する年金保険料は、受給者への賦課ではなく、その人自身の積立となる。負担制度継続だから、企業負担分も同様、個人への積立に回る。個人は、自分の負担額をすぐに把握でき、将来もらえる額も、給料や職場が変わるごとに試算できる。

消費税増税分は判断の余地なく償還財源となるため、政治家や行政の都合で余計なところに使われない。年金保険料を払わない人たちは、当然その分もらう額が少なくなる。積み立てていないのだから、当たり前のことである。


年金制度と社会保障制度を混同している人たちがいる。いやむしろ、あえて混同させ、社会保障問題を年金で解決しようとする人たちがいる。とんだお門違いである。なぜ、真面目に年金保険料を負担してきた人たちの財源で、負担から逃げた人たちを救わなければならないのか。なぜ、その人たちに財源を取られ、負担分以下の受給しかできないのか。そんな制度に、誰が保険料を支払うのか。

社会保障は国の責任である。最低保障年金など、甘い言葉に騙されてはいけない。保険料負担をしなかったがために、年金をもらえない人たちは、生活保護で対応すべきことである。それこそ、年金受益者ではなく、国全体が保護すべきことである。真面目に保険料を支払ってきた人たちは、当然にその分をもらう権利がある。本来、生活保護として、制限が付く中で最低限の生活を国が担保すべき人たちを、なぜ保険料負担者が面倒を見、自由な生活を謳歌させなければならないのか。

こんな制度に、誰がお金を払うのか。何も払わなくても、一律にお金がもらえるのなら、経費を乗せて所得を誤魔化し、所得そのものを計上せず、いや働きさえせず、受給開始を待てばいいと多くの人が考えるだろう。


所詮、政治家とはこの程度のことしか考えられないのか、いややろうとしないのかと諦めにの境地に至る。中華において、機微に反応する領主と違い、感情に左右されない、ときに冷酷な判断により住民の反感を浴びながらも大業を成し、次の時代に評価を得ることから国家運営の中心を担うようになった官僚制度は、民主党政権による政治主導の正義の旗印により、完全に悪玉へとまつりあげられた。ただ、この場当たり的な、戦略のない民主党政権の対応を目の当たりにしたなら、果たして政治主導の正義とは何なのかと疑問を呈さずにはいられない。

彼らに求めたのは、変化である。現状の閉塞感を打破する、新たな仕組みへの試みである。決して、場当たり的な人気取りではなかったはず。その中心に立ったとき、群がる衆に埋もれ、それを囲うように冷めた目で遠巻きに見ているその他大勢の人たちの姿が見えなくなってしまったのか。いや、国家を導くことではなく、政治家になること、政権を取ることが目標の先生方には、その笛に踊る人たち以外は興味がないということか。

痛烈な批判しか頭に浮かんでこない、ここ最近の政治情勢である。
プロフィール

Author:hiro

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