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新国立競技場問題を振り返る

新国立競技場の整備計画決定とともに多く聞かれた、A案とB案どちらがいいかという話題。

そして、そのたび答える、質問者の、何か歴史的な決定に立ち会っているという軽い高揚感を一瞬で冷ます、どうみてもザハ案が一番良かったとの一言。

例えば予算のように、もっともらしい口実を得ると、火がついたように巻き起こる一部の人間による現状批判、思想のないマスコミは批判の流れを迎合し、さらに煽り、巻き込まれた大衆が津波のようなうねりを作り上げ、あらゆるものを根こそぎ破壊していく。

そうなると収まりがきかないのが、この国の国民性で、たいして思想もなく、その結果得られるもの、失うものが何かも考えず、一時の高揚感で、一視点に過ぎない大きなうねりに流される。時の為政者が、狭まった視野の、聞く耳を持たない原理主義に凝り固まった、政権転覆さえ起こしかねないその流れを止めるには、ただそれを受け入れるしかなく、かつてはアメリカへの宣戦布告を、最近も、その前兆が国会前のデモ行進で見受けられた。

一般国民が納得(≒理解)できるデザインをテーマに見直した結果、尖った先端性は削ぎ落ち、当たり障りのない、日本のどこにでも見られるようなデザインへと収束する。

スタップ細胞問題でも警鐘してきたが、科学や芸術の分野を論じる場合は、根本的な理解やセンスの劣る、この国の大半を占める文系人間は、自らに足りない部分があることを認識した上、一歩引いて謙虚に見守る姿勢で、その分野のプロに判断を委ねるべき。

常に先導したがる、頭だけはいい文系人間は、もっともらしく人を言いくるめる弁だけは立つが、興味があるのはその場の勝ち負けだけで、そこに思想はなく、だから、そこで巻き起こる議論からは何も生まれず、失うものしかない。

これまでも新たな未来は、発想やセンスに優れた人たちによる、当時は理解されない、斬新な取り組みから生み出されてきた。日本には、新たなものにチャレンジできる経済的な余裕と、未知のものを受け入れる価値観、そして、資源が限られるからこそ人間の発想・アイディアを大事にする思想があるはずなのに、心の余裕をなくし、つまらない損得勘定ですべてのものを整理しようとする現状、そこに多様性を生み出し、世界に発信してきた日本の魅力の低下、将来への危機感を覚える。

日本らしい木材多様の建物が見たいなら、明治神宮でも、出雲大社でも、もっと価値のある歴史と伝統を受け継ぐ建築物が、日本中どこに行っても見られる。わざわざ、世界から、国内から、その建物を見るためだけに訪れてみたいと思うものは、どういうものなのか。これまでに見たことのない、未来を感じさせる、感性に響くような、新しいデザインの建築物ではないのか。

世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」を見るために、エミレーツ航空を利用し、乗り換えついでにドバイの町を観光する。斬新な建築物には、人の心を揺さぶる、それくらいの魅力があふれ、それは計算書や平均に収束する国民の人気投票からは決して生まれないもの。

オランダのような風変りの建築物が並ぶ街並みをつくってほしいとは思わないけど、50年に一度の大規模事業であるなら、5年、10年で陳腐化するありきたりのものではなく、日本がこの先何十年と世界に誇れるような、未来をイメージさせる、斬新なデザインに挑んでほしかったとつくづく思う。


zaha2.jpg
コンペ応募案


zaha3.jpg
プレゼンテーション案


(余談)
・新国立競技場の恩恵を最も受けるのは、東京都。利用収益で換算するのではなく、観光客、イベント来場者による経済効果、世界への情報発信効果から、損益を考えるべきで、その経済効果算出を踏まえ、東京都が応分負担をすればいいこと。国立競技場が東京都にあることを当然のことと捉え、国家事業だからと、負担を全国民(≒税)に求めるとは、都知事の勘違いも甚だしい。

・国家としての必要性を認め実施する公共事業に、5割程度の地方負担(いわゆる直轄事業負担金)を求めるのは、最も利益を享受するのが、その地域となるため。都知事の態度で言うなら、新国立競技場は大阪や博多に造ってもよかった。五輪も東京で開催され、もっとも多くの国民が利益を享受できる地域性からも、東京に造ることを、合理的に納得している国民に対し、権利ばかりを主張し愚弄することは、無用な火種を生むだけで、慎むべきことだろう。

・総予算2500億円(国1500億円(6割)、都1000億円(4割))、(公共事業等の事業増加でもっぱら競争が働かなくなっている)ゼネコンによるコスト見直しがあれば、ザハ案を実現できただろうと思うところ。


(その他)
・失ったものが何かを思わせてくれる作品紹介サイト「すごすぎて建築できない建築家【ザハ・ハディド】まとめ
※開催時期が10年以上も違う、物価も、価値観(五輪への思い)も異なる他地域のメインスタジアムの建設費を比較することに何の意味があったのか。デフレにより、時の流れが、ものの価値が止まったままの国の、大衆の発想の貧しさ。その間、世界は少しも歩みを緩めることなく、今でははるかかなたに進んでいることを思い知らされる。
※文化ではなく、目の前の生活への歓心を買う施策(H27補正・低年金受給者給付金・約4千億円)となると、弱者保護という触れてはいけない一線とばかりに、マスコミも含めた批判精神が思考停止する、この国の偽善社会を憂う。


・その斬新さに感銘を受ける、アゼルバイジャンの首都・バクーにあるザハデザインの「ヘイダル·アリエフセンター
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2016年度予算案から、国家財政のあり方を考える

この政権への不満は、リーマンショック後に膨れ上がった歳出予算を、未だ平時の規模に戻せないこと。

社会保障の拡大を重視した左派・民主党からの政権移管後、旧態依然とした業界の変革も含めた、様々な政策転換とその決断を実行し、着実に成果を積み上げながら、歳出削減だけは、思い切った改革に至らない。

経済成長・税収増加時に、歳入が大きく上回り、借金を前倒し返済できる仕組みがないなら、借金1000兆円を超える中、今後、経済規模の縮小が見込まれるこの国において、安定した将来など迎えられるはずがない。


一度認めた優遇、緩和は、その瞬間から、その人たちにとっては権利となる。その見せかけの権利をはぎとらない限り、元の歳出規模に戻るはずがなく、それが必要な分野であるなら、他を削り調整するだけの話である。

真に必要な予算を確保するため、概算要求に一律のシーリングをかけないとは、きれいごと、パフォーマンスでしかない。予算が限られれば、その範囲で、各省庁が自らの求められる役割にとって、真に必要なものを取捨選択し、さらに必要に応じて政治決着、大臣折衝を行うのが、官僚機構であり、民間も含めた社会の仕組みである。

制限がない中で、誰が膨大な時間と労力が必要となる、厳しい折衝や、創意工夫をするものか。人間の知恵は、厳しい環境に置かれてこそ、その制限の中で最大のパフォーマンスを目指してこそ、使命感と自己犠牲の精神のもとで、生み出されるのだから。

歳出規模で言うなら、中期的には、バブル崩壊により、財政出動が急増する前の60兆円弱、短期的には、リーマンショック前の80兆円前後を目指す。

高齢者の増加や若年者の低所得化で社会保障が増えるなど、歳出の構造が変わっていたとしても、それは、歳出規模の範囲内で、どこに予算配分するかを、選挙で選ばれた政治家が、その価値観に基づき判断すればいいこと。すべての分野で、総花的に、最大限の要望に応えるなど、今の有権者に受けても、将来の国民への背信である。

そして同時に、歳入改革。

アメリカが双子の赤字を解消したように、好景気に国の成長投資を回収できる仕組みが必要。国家間競争に必要な法人税引き下げは仕方がないとして、企業の収益増を税収増に直結させる新たな手法が必要。それは、あらゆる業界の要望に応えてきた租税特別措置法の見直しであり、公共サービスを十分に享受する当然の理屈として、赤字大企業にも課税する外形標準課税の本格導入であり、実は最もメスを入れるべき、見せかけの経費で利益操作を行い、最大の公共サービスを、最低の負担で享受する中小企業への課税強化でもあるのだろう。

それは企業に留まらない。今後、負担が増えるほど、確実に不満が表面化するだろう個人課税の公平性。収入がガラス張りで、確実に課税されるサラリーマンが、必要経費という名目で課税を免れた上、その名目上の所得で様々な手厚い社会保障を享受できる個人事業主(自営業)、漁業・農業所得者への実態をどこまで受け入れられるのか。

消費税議論で露わとなった、売上高5千万未満の小規模店舗への消費税免税制度もその一つ。購入者への税負担免除を公言する店舗がない現状は、8%の過剰徴収分を、自らの懐に入れている実態(いわゆる益税)を明らかにする。汗水たらして稼いだ金から、何の努力もせずに素知らぬ顔で8%余分に懐に入れる輩がいることを許すほど、この国の人々には余裕がないような気がするのだが。

税でさえ、これだけの根幹的な問題がある。歳出となれば、言わずもがな。国家が、国民の税金で救うべき低所得者とは、いったいどういう人たちなのか。当然の権利ではない、納税者が納得する、透明性、公平性が当然に担保されるべきこと。健康で文化的な最低限の生活が、いつの間にかかさ上げされていないのか。それはやはり、これまで勝ち取ってきた権利ではない、その時代に生きる人々、納税者によって判断される、透明性、公平性のある制度であるべきだ。

結果、救うべき、本当に苦しい中で、歯を食いしばって生きている人たちに恩恵がいきわたらず、既得権益として、できる努力を放棄し、低いレベルでの安定を享受している人たちがいるのなら、それは見直すべきことだろう。


国民に豊かさをもたらすため、守るべき原資を安定的に確保するため、現政権も真っ先に取り組む成長戦略がある。将来の投資を怠る組織に、未来はない。現状維持とは、後退の始まりである。だから、借金も含めた財源を、今の国民の生活のためにばらまく価値観はとても受け入れられない。

日本に、どのような未来を描き、何に予算を配分するのか。常時を大幅に上回る歳出が根拠なく認められるなら、その検証さえなされないまま、その責任を誰もとることなく、将来世代への負担のみを残すことになる。だから、小さな政府により、最小限の歳出により、民間企業や個人が自由に活動できる仕組のみを作り、そこで生まれる利益を確実に国庫に入れ、将来を含めた国民への再分配につなげる、高効率な循環システムを徹底して追求していくべきと思うところ。

やがて行き詰ることが目に見えているチキンレースに、なぜリアルタイムで直面しながら、これだけの影響力のある人々がおり、自由に発言できる環境にありながら、主張も行動も起こさないのか。かつて、その主因に問われた公共事業が、あれほど簡単に悪者にされ、散々に予算を削られ、業界の存続さえ危ういところまでに追い込まれながら、今、その元凶として明白になったのが福祉政策となると、誰も切り込めない。翌日、同じ紙面で一斉に書きたてた、進まない財政健全化への批判と、より広い対象への福祉政策の拡充を求める、大衆に迎合する、マスコミの矛盾した無責任な対応こそ、この国の権力階層の判断基準なのだと思い知らされる。

自らに影響がないことに一喜一憂するのではなく、国民向けのパフォーマンスの一つ一つが、自らの、将来の子供たちへのリスクにつながっていることを自覚する必要があると、つくづく思うところである。


余談となるが、1000兆円の借金がありながら、国家財政が破綻しないのは、回収できる見込みがあるから。言わずもがなの1400兆円の個人金融資産。個人の資産を国が没収できるはずがないと安易に考える人はいないと思うが、既に世の中には、税金という法律で認められた資金吸い上げシステムがある。相続税の対象拡大は、その端緒と考えればよく、固定資産や貯蓄、投資と個人資産への課税方法はいくらでもある。

地域地域で見れば、同様の負担を強いられるところが他にもありながら、沖縄への毎年5千億円にのぼる税金投入は果たして国民が是とすることなのか、結果、資源の罠と同様に、地域経済への危機感、自助努力の機会を奪い、依存型体質にさせてしまっているのではないか(極端な優遇策を前提から外した、彼らの言う本土を上回る経済成長率と出生率自慢は、自虐ネタだと信じたいが)、東北における、海に囲まれた地理的特徴と繰り返し起こる地震災害を前に、想定外を認めない、自然を制するとばかりのその過剰な復旧・復興を目的に、借金と増税により20兆円近い税金を投入することは、本当に是とすべきことなのか、そうした負担が自らに降りかかる問題として認識し、あらためてあり方を考える時に来ているのではないかと思う。

マスコミのチェック機能不全がもたらす弊害

マスコミに求められる役割の一つ、「政権のチェック機能」。

本来、政権のチェック機能とは、マスコミ各社の価値観により、政府の政策・判断を賛同・批判し、国民(≒媒体購読者)の同意・共感を背景に、国家を求める姿へと導くものだろうけど、権力を批判することそのものをチェック機能と勘違いしているこの国のマスコミには、その役割を求めることなど、どだい無理なことだろう。

この弊害は、国民が、理想の政治に気付けないことにあり、結果、国民の後押しを十分に受けられない政府は、その判断に緩みが生じ、得られるべき国家の利益が損なわれることになる。

それを、押しのけて進む推進力を持つ官房長官を持つことが現政権の強みであるけど、今このときに、国民が、政府のあるべき姿を認識・学べないことは、長期的な視点での政治意識の醸成を阻害し、将来の政権選択において、再び、価値観ではなく、風(≒雰囲気)に流された安易な判断をしてしまいかねず、大きな損失と感じざるを得ない。

ただ、やみくもに政権を批判するだけではなく、今起きている問題に対し、その判断が、将来、国家にどのような利益をもたらすか、また、かつての判断が、今、どのような成果をもたらしているか、という視点で、各社の価値観に基づき、政権のあるべき姿を国民に問うてほしいと思う。


こう思うに至るのは、安倍政権の深謀遠慮な判断がもたらした成果は、称賛されるべきものであり、それが国家のトップに求められる役割だと国民は認識したうえ、次の代表者を選んでほしいと思うから。

政権運営に限らず、企業経営も同じことが言えるが、国民の声、消費者の声を第一とするうちには、成長はない。トップが理想を持ち、そこに必要な施策を打ち出すことが求められる役割で、マネジメントをするだけなら、官僚でも、サラリーマン社長でも、その役割は務まる。

日本マクドナルドやワタミなど、停滞する企業の原因はそこにあり、所詮、消費者はこれまでの与えられた経験の範囲内でしか欲求を持てないのだから、新たな価値観はそこからは生まれず、だから投資においても、飛躍する企業を見極めるには、未来を描けるトップと、それを具現化できる組織体制を分析することになる。

同じく、かつて政権を担った民主党は、「国民の生活が第一」のスローガンのもと、国民の欲求を反映する、手当増額など高福祉政策をとり、「近隣諸国の声が第二」といったかどうかは別にして、中国、韓国の要求を最大限配慮する政策を行った。その結果は、あらためて検証するまでもなく、一面の満足は、新たな欲求の掘り下げ・拡大につながり、格差解消の大合唱のもと、国民の不満は増大、また、中国・韓国の要求はさらなる利益を求めた理不尽な内容へと変化、関係をさらに悪化させる。

誠心誠意とは、権謀術数が繰り広げられる政治の場では、目的を達成するための手段に過ぎない。その根幹に、絶対に譲れない価値観・理想・目的がないのなら、人間の止めどない欲望を受け入れるだけの無能な機械と化し、そこでの代償が、将来にまでわたる国民の税金と、国家の尊厳であるなら、その姿勢は許されざる罪でさえある。

相手に迎合せず、強い意思を持った交渉がもたらした結果を、あらためて認識する必要がある。譲らない一線は、相手の妥協を生み、最初に求めた理想の結果をもたらす。

中国の過激な反日デモパフォーマンスによる圧力外交から、経済に主眼を置いた対等のトップ会談を引き出し、韓国の大義なく小利を追う、歪曲・感情論による軽薄・直情外交から、一切の妥協をせずに譲歩を引き出す。この結果は、世界経済の変化など外部環境がもたらした偶然ではなく、将来を見据えた揺るぎない価値観・理想のもと、安易な妥協による目の前の成果に惑わされることなく、時間を味方に、粘り強く対応した成果である。

一度緩んだ規律を引き締めるほど、困難なことはない。それは、いつの間にか与えられた優遇から、当然の権利へと認識が変わるから。そして、そこをベースに、さらに支援の上乗せを求めていく、止めどない、人間の欲望。

一時の支持率やマスコミにより作れらる世論、ほんの一部に過ぎない過激なパフォーマーに流されない、強い意思による、選挙において国民に負託を求めた理想の国家の実現に向けた判断と行動。そこで体現された結果から、あるべき国家のリーダー像を共有し、次を担う政権においても、その政権運営を厳しい視点で監視していく。

マスコミの思いのない感情論的な安易な批判精神と、野党の主義主張のない無駄な対決姿勢により、国民が政治のあり方を学ぶ機会の損失と、この政権だからこそできる改革の進度の緩みが、ただただもったいないと思うばかりである。

自信喪失の萩城下町マラソン

長距離に適性がないのではないかと思う、不甲斐ない結果。

2週間前の軽い風邪症状から、直前の仕上げ練習で十分に走り込みができなかったとはいえ、今回は、しっかり最後まで走りきることを目標に、練習での20km走を4回。いつもなら、大会直前まで本番距離は走らないのだけど、10月末からじっくりと。タイムも、1ヶ月前が20kmを1時間35分(4分45秒/km)、1週間前が20kmを1時間34分(4分43秒/km)と、上々のでき。

しかも今回は、11月中旬に、防府市スポーツセンター(指定管理者:アシックス)が開催した「大人のためのランニング講座」に参加。大阪教育大学非常勤講師の佐藤さんから、実技を交え、マラソンの記録を伸ばすために必要な、ペース走での走り方と練習方法を学び、練習に取り入れる。

後半の極端なペースダウンを防ぎ、安定的なペースで最後まで走り切れば、タイムも自然についてくるはず。周りに引きずれ、ついつい飛ばしがちな前半を4分30秒ペースに抑え、後半落ちても、4分50秒以内に収める。本番の緊張感で、あわよくば、ベストタイムを更新する1時間35分を切ることを目指す作戦。

この作戦が崩れてのは、5日前の本番最後の練習で、欲が出たことから。13kmを56分(4分18秒/km)で、余裕を持って走りきる。これこそ、これまでの練習の成果と浮かれ、本番当日のペースを、4分20秒に設定しなおす。

結果、後半、13km以降に全く足が動かなくなり、がた崩れ。体力が尽きたとはまさにこのことで、なんとか歩かずにと足を動かすのみ。ペースは5分/kmまで落ち、後ろの人たちに、次々と抜かされていく。残り5km、4km、3kmと看板を見ても、そこからペースを上げる気力はなく、ラスト1kmからのスパートで、なんとか最後だけを取り繕う。

結果、1時間39分(4分41秒/km)。タイム以上に、過程の辛さと、その不甲斐なさばかりが印象に残る。練習が甘かったのか、作戦ミスか、そもそも適性がないのか。相変わらず、長距離に自信が持てないまま。これをステップに、フルマラソンにという密かな狙いは、また先延ばしになりそうなところで。

距離タイムペース所感
1km4.504.50抑え目にスタート。道いっぱい選手で混雑し、ペースは流れに任せるまま
2km9.204.30想定ペースに戻すべく、人をかき分けながら、ペースを徐々に上げる
3km13.424.22周りが同じペースの集まりとなり、ここからは一定ペースを刻み始める
4km18.064.24 
5km22.284.22 
6km26.484.20時に4分10秒ペースを切るまで上がるスピードを抑えつつ、ペースを維持
7km31.174.29ゲストランナーの早田元選手(カネボウ)を抜き去る
8km35.474.30商店街を駆け抜ける。足の疲れを感じつつ、声援に後押しされる
9km40.204.33 
10km44.524.3210kmを45分(4分30秒/kmペース)と想定通り
11km49.314.391回目の給水でペースが落ちる。高めの気温(14度)から、早くもバテ気味
12km54.044.33萩城跡にあるお土産屋の名物応援ばあちゃんの声援に応える
13km58.504.46足が動かなくなり、ここから、あの辛い旅が始まるのかと、憂鬱に
14km1.3.394.49ペースが落ち、早田元選手に抜き返される
15km1.8.374.58完全に足が止まり、気持ちで前に行く余力もなく、ただ足を動かすのみ
16km1.13.405.03残り5kmの看板にも、全く心動かず、現状ペースを保持
17km1.18.435.03どんなにきつくても歩かないと、自分に言い聞かせる
18km1.23.475.04 
19km1.28.515.04練習でなら、残り2kmはラストスパートポイントだけど、全く心も体も動かず
20km1.33.494.58 
21km1.38.294.40遅まきながら、最後の登り坂でペースアップし、十数人を抜き去る
goal1.39.204.41精も根も尽き果てる


プロフィール

Author:hiro

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