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2016年度予算案から、国家財政のあり方を考える

この政権への不満は、リーマンショック後に膨れ上がった歳出予算を、未だ平時の規模に戻せないこと。

社会保障の拡大を重視した左派・民主党からの政権移管後、旧態依然とした業界の変革も含めた、様々な政策転換とその決断を実行し、着実に成果を積み上げながら、歳出削減だけは、思い切った改革に至らない。

経済成長・税収増加時に、歳入が大きく上回り、借金を前倒し返済できる仕組みがないなら、借金1000兆円を超える中、今後、経済規模の縮小が見込まれるこの国において、安定した将来など迎えられるはずがない。


一度認めた優遇、緩和は、その瞬間から、その人たちにとっては権利となる。その見せかけの権利をはぎとらない限り、元の歳出規模に戻るはずがなく、それが必要な分野であるなら、他を削り調整するだけの話である。

真に必要な予算を確保するため、概算要求に一律のシーリングをかけないとは、きれいごと、パフォーマンスでしかない。予算が限られれば、その範囲で、各省庁が自らの求められる役割にとって、真に必要なものを取捨選択し、さらに必要に応じて政治決着、大臣折衝を行うのが、官僚機構であり、民間も含めた社会の仕組みである。

制限がない中で、誰が膨大な時間と労力が必要となる、厳しい折衝や、創意工夫をするものか。人間の知恵は、厳しい環境に置かれてこそ、その制限の中で最大のパフォーマンスを目指してこそ、使命感と自己犠牲の精神のもとで、生み出されるのだから。

歳出規模で言うなら、中期的には、バブル崩壊により、財政出動が急増する前の60兆円弱、短期的には、リーマンショック前の80兆円前後を目指す。

高齢者の増加や若年者の低所得化で社会保障が増えるなど、歳出の構造が変わっていたとしても、それは、歳出規模の範囲内で、どこに予算配分するかを、選挙で選ばれた政治家が、その価値観に基づき判断すればいいこと。すべての分野で、総花的に、最大限の要望に応えるなど、今の有権者に受けても、将来の国民への背信である。

そして同時に、歳入改革。

アメリカが双子の赤字を解消したように、好景気に国の成長投資を回収できる仕組みが必要。国家間競争に必要な法人税引き下げは仕方がないとして、企業の収益増を税収増に直結させる新たな手法が必要。それは、あらゆる業界の要望に応えてきた租税特別措置法の見直しであり、公共サービスを十分に享受する当然の理屈として、赤字大企業にも課税する外形標準課税の本格導入であり、実は最もメスを入れるべき、見せかけの経費で利益操作を行い、最大の公共サービスを、最低の負担で享受する中小企業への課税強化でもあるのだろう。

それは企業に留まらない。今後、負担が増えるほど、確実に不満が表面化するだろう個人課税の公平性。収入がガラス張りで、確実に課税されるサラリーマンが、必要経費という名目で課税を免れた上、その名目上の所得で様々な手厚い社会保障を享受できる個人事業主(自営業)、漁業・農業所得者への実態をどこまで受け入れられるのか。

消費税議論で露わとなった、売上高5千万未満の小規模店舗への消費税免税制度もその一つ。購入者への税負担免除を公言する店舗がない現状は、8%の過剰徴収分を、自らの懐に入れている実態(いわゆる益税)を明らかにする。汗水たらして稼いだ金から、何の努力もせずに素知らぬ顔で8%余分に懐に入れる輩がいることを許すほど、この国の人々には余裕がないような気がするのだが。

税でさえ、これだけの根幹的な問題がある。歳出となれば、言わずもがな。国家が、国民の税金で救うべき低所得者とは、いったいどういう人たちなのか。当然の権利ではない、納税者が納得する、透明性、公平性が当然に担保されるべきこと。健康で文化的な最低限の生活が、いつの間にかかさ上げされていないのか。それはやはり、これまで勝ち取ってきた権利ではない、その時代に生きる人々、納税者によって判断される、透明性、公平性のある制度であるべきだ。

結果、救うべき、本当に苦しい中で、歯を食いしばって生きている人たちに恩恵がいきわたらず、既得権益として、できる努力を放棄し、低いレベルでの安定を享受している人たちがいるのなら、それは見直すべきことだろう。


国民に豊かさをもたらすため、守るべき原資を安定的に確保するため、現政権も真っ先に取り組む成長戦略がある。将来の投資を怠る組織に、未来はない。現状維持とは、後退の始まりである。だから、借金も含めた財源を、今の国民の生活のためにばらまく価値観はとても受け入れられない。

日本に、どのような未来を描き、何に予算を配分するのか。常時を大幅に上回る歳出が根拠なく認められるなら、その検証さえなされないまま、その責任を誰もとることなく、将来世代への負担のみを残すことになる。だから、小さな政府により、最小限の歳出により、民間企業や個人が自由に活動できる仕組のみを作り、そこで生まれる利益を確実に国庫に入れ、将来を含めた国民への再分配につなげる、高効率な循環システムを徹底して追求していくべきと思うところ。

やがて行き詰ることが目に見えているチキンレースに、なぜリアルタイムで直面しながら、これだけの影響力のある人々がおり、自由に発言できる環境にありながら、主張も行動も起こさないのか。かつて、その主因に問われた公共事業が、あれほど簡単に悪者にされ、散々に予算を削られ、業界の存続さえ危ういところまでに追い込まれながら、今、その元凶として明白になったのが福祉政策となると、誰も切り込めない。翌日、同じ紙面で一斉に書きたてた、進まない財政健全化への批判と、より広い対象への福祉政策の拡充を求める、大衆に迎合する、マスコミの矛盾した無責任な対応こそ、この国の権力階層の判断基準なのだと思い知らされる。

自らに影響がないことに一喜一憂するのではなく、国民向けのパフォーマンスの一つ一つが、自らの、将来の子供たちへのリスクにつながっていることを自覚する必要があると、つくづく思うところである。


余談となるが、1000兆円の借金がありながら、国家財政が破綻しないのは、回収できる見込みがあるから。言わずもがなの1400兆円の個人金融資産。個人の資産を国が没収できるはずがないと安易に考える人はいないと思うが、既に世の中には、税金という法律で認められた資金吸い上げシステムがある。相続税の対象拡大は、その端緒と考えればよく、固定資産や貯蓄、投資と個人資産への課税方法はいくらでもある。

地域地域で見れば、同様の負担を強いられるところが他にもありながら、沖縄への毎年5千億円にのぼる税金投入は果たして国民が是とすることなのか、結果、資源の罠と同様に、地域経済への危機感、自助努力の機会を奪い、依存型体質にさせてしまっているのではないか(極端な優遇策を前提から外した、彼らの言う本土を上回る経済成長率と出生率自慢は、自虐ネタだと信じたいが)、東北における、海に囲まれた地理的特徴と繰り返し起こる地震災害を前に、想定外を認めない、自然を制するとばかりのその過剰な復旧・復興を目的に、借金と増税により20兆円近い税金を投入することは、本当に是とすべきことなのか、そうした負担が自らに降りかかる問題として認識し、あらためてあり方を考える時に来ているのではないかと思う。

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