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映画「関ケ原」

圧倒的な価格の安さと、品揃え、近所の店で取り寄せるよりも早い到着に、家電から食品、服飾品までネットが主要な購入手段になる中、数多くの選択肢の中から、直接見れない、触れられないものを、失敗せずに選ぶため、多くの他人の評判を集め、比較し、最大公約数的に間違いのなさそうなものを選ぶという方法が習慣化しつつあるこの頃。

信頼に値するかどうかも分からない、価値観や背景も知らない他者の評価が当てにならないこと、最大公約数の評価平均点が高いものを選ぶと、得てしてつまらない、当たり障りのないものだったりすることは何度も経験しているから、さらに専門家の評価まで範囲を広げたりと、判断に至るまでの情報収集の量、時間が膨大に増えている状況。

直接触れずに、他人の評判だけで判断することで失われるのが直観力で、知らないうちに他人の評価で取捨選択し、将来の判断材料となるはずだった多くの無駄を経験せずに成長することのリスクを、感じざるを得ない。

食事所でも多くの店を知ることで自分の中に基準ができ、新たな店との比較ができる。他人の評価を目にしないから、自分なりの感性で、店を評価できるようになるといった具合に。


さて、そんなことを感じたのは、本日見た映画から。

1800円という料金、2時間超の時間を無駄にしたくないと、おもしろそうだと感じつつ、映画を見る際には、ついついネットでその評判、感想を見るかどうかの最終判断材料にしてしまう、習慣化された行動。

わざわざ映画館でとなると年に1回程度、だからこそ、間違いのない選択をしたいという思いが強く、前回はちょうど1年前、上映開始初日だった「君の名は。」にひかれつつ、評判の高さに加え、映画館だからこその迫力が楽しめそうな「シン・ゴジラ」を選び、期待以上の内容を満喫したもの。

そして今回、ふつふつと映画館で観たい欲求が高まったのが、「関ケ原」。人気タレントを主人公に使った時代劇にありがちな、中身の薄い、若者向けの分かりやすい勧進帳悪、無理のある恋愛ストーリーを恐れつつも、こよなく愛した、原作・司馬遼太郎への期待感から、気にならずにはいられず。

週間興行収入の良さとは裏腹にネットの評判は悪く、その内容は、早口で何を言っているのか分からない、方言が聞き取れない、内容が分からないから字幕をつけてほしい、期待の関ケ原での戦闘シーンが終盤の十数分しかなくおもしろくない等々。

そんな感想に、期待は一気に高まり、これは本物の時代劇映画なのではと、突き動かされるままに映画館に向かったのが、本日。

歴史小説好き、特に、司馬遼太郎好きならば、石田三成や明智光秀を世間で作り上げられたイメージ通りに悪者だと思っておらず、むしろ権力闘争を仕掛けた稀代の傑物と好意的、中には憧れに近い印象を持っている人も多いだろう。

映画「関ケ原」の主人公は、石田三成。最初の場面で、主要人物を演じる俳優の字幕紹介が行われたことに、なぜ、これから映画の世界に入り込む入口で、現実社会にいる俳優の名前を見せるのかと憤るも、そこから始まる映画の内容は、タレント人気を当て込んだものとは一線を画す、本物志向。

早口、内容が分からない、最大公約数として上位にあがるこの映画の評判の理由がビシビシと伝わる、この映画のターゲットは、まさに本物の歴史好き。ストーリーのテンポを妨げる、遠回り、無駄な素人向けの歴史背景の説明はとことん省き、歴史を知っている前提で、関ケ原という舞台で全国を巻き込んで行われた豊臣と徳川の権力闘争を、人間模様、時勢の流れを掘り下げながら展開していく。

歴史を知っているならば、なによりも司馬遼太郎作品を読んいるならば、映画の速いテンポがこ気味良く、ああ、あの場面だなともちろんストーリーにも十分ついていけ、北政所の三河弁もその意味を理解するのに労せず、そして、これは教科書だけで歴史を学んできた人が見たら、絶対についていけないだろうなと感想を持つことだろう。

原作本を読んだ直後にドラマや映画を見ると、その違いが気になり、ストーリーに入り込めないものだけど、司馬作品の中でも傑作の部類に入ると読みこんだのが20年前だから、その記憶は断片的で、映画を楽しむにはちょどいい加減。これは、かつて司馬作品にのめり込んだ人たちこそ、楽しめる作品だろうと思いつつ。


最近は、反薩長史観という言葉があるように、勝者が作り上げてきた歴史を、史実を見直し、否定する流れがあるよう。どこかの国のように、醜い権力闘争に明け暮れ、外国勢力に付け入る隙を与えるまでに国力を衰退させた過去の事実を直視せず、美しい宮廷ドラマで過去を美化するだけの、現代人が都合よく作り上げた、歪曲された歴史しか認めないようなことは論外としても、やはり、勝者が作り上げたのが歴史であり、それは正史として、国家が継承すべきものだろう。

勝者の歴史を正史とするために、過去の史書を焼き捨て、歴史を塗り替えてきたのが中国だけど、それをしなかった日本において、また違う視点からの史実があったからといって、正史を塗り替えようとするのは、また違う。それはそれで尊重し、言うなればもう一つのストーリーとして、国家のアイデンティティを左右する正史としてとらえず、知識レベルの楽しみとして活かするものだろう。

徳川幕府という強大な権力があってこそ、幕末志士の活動が輝き、明治維新政府があってこそ、南洲翁の内戦も意義が生まれる。そして、徳川家康という壮絶な制度改革で武家の力をコントロールし、戦国時代を転換させ、江戸300年の平和を築いた正史を彩る人物がいるからこそ、正史によって消されたそこで展開された陰謀、悪行に対し正義、正論を振りかざし戦った石田三成という人物が映え、その一端を、島左近、大谷刑部、直江兼続といった当代一流の人物の信を得ていたことで推し量り、秘かに楽しむのである。

源頼朝が、足利尊氏が、織田信長が、豊臣秀吉が、徳川家康が天下を取る過程の小さな詐術、陰謀の事実を暴き、もって正史を汚す意味などなく、これらの偉人が、天下を治め、真正面から新しい世の中を創造した結果こそ、国家として最も評価すべき偉業であり、それが、現代社会へと紡ぐ礎になっているのだから。


さて、余談が長くなったけど、歴史好きなら映画「関ケ原」は、世間的な評判など気にかけず、映画館で見るべき作品だろう。久しぶりに、2時間30分という時間があっという間に流れる、いい作品に出会えたと思いつつ。

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