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失われつつあるもの

平凡な日常の刺激や不満のはけ口として、それが社会正義だと自分勝手に解釈したなら、社会の成功者にカテゴライズされた人であれば誰でも、ほんのわずかなシミ程度の汚点を見つけては、その地位を失い、自己満足を得るまで、執拗に責め続ける。

嫉妬という、かつて、日本で最も恥ずべきとされていた感情に基づく発言や行動が、匿名という環境で当たり前のように日常にあふれる。そしていつの間にか、週刊誌という、かつては全く信頼されず、その内容に触れることさえ嫌悪の対象にされていた情報が、さらに下層の、人の感情がむき出しになったネットというメディアがあらわれたことで、その取り扱いの内容やレベルが変わらない中で、市民権を得るに至る。

本来、日本社会が持っていたはずの芯が、そうした感情にまみれたメディアに侵され、社会システムの中心にいる人たちが強い信念でその圧力をはね返せないものだから、勝手に世間の声と置き換えられた汚れた圧力に負け、その一時の感情を解消するためだけの安易な判断を下すことになる。

昨今の多くの問題はここに帰結するのだけど、特にここ数日の相撲協会の対応は、またそうした象徴的な出来事の一つだろう。

相撲とは横綱こそがその象徴で、そうした象徴への敬意や権威は周りの人間が作り上げるもので、その役割は相撲協会が担う。例え、横綱が相撲協会の支配下にあったとしても、それは外部に対して感じさせてはならず、ましてや素人集団の横綱審議委員会がコントロールするなど、相撲の価値を自ら落とすようなもの。

例えば白鵬の土俵に戻らない抗議行動など、本来、横綱にあのような態度を取らせてしまったことを行司、審判が猛省し、横綱をたてながら相撲協会がファンに対して謝罪すべきことだろう。横綱の権威を汚し、相撲協会の正当性を貫くことで得られることなど、協会理事や関係者の保身でしかない。相撲取り、競技者が第一でないことは本来は批判の的になるのだけど、残念ながら、この国の人たちは外国人に対して感情的な排除の論理をもつものだから、自らの立場や組織を守るためなら、その場しのぎの批判から逃れる手段に、安易に弱者の外国人を切り捨てる、それが例え最高峰の横綱であったとしても。

貴ノ岩の問題は言うまでもない。相撲協会内部の醜い権力闘争に横綱を利用するなど、協会の存在価値そのものを疑いたくなる。策士が策に溺れた姿ほど、はたから見て醜いものはなく、協会理事でありながら、相撲の現体制を守らず、自らの権力拡大を図る人物を現役力士、ファンの誰が信頼するのか。痛みに耐え、日本人横綱として奮闘したあの姿から感情的に依怙贔屓していた人たちも、横綱の進退まで天秤にかけ、相撲の存在自体を貶める今回の騒動で、さすがに愛想がつきたことだろう。弟子を守るという理屈もいいが、自らが若いころにしてきたことも踏まえ、とるべき行動を考えてほしいものだと思えてくる。

組織が旧態依然でいることはよくないが、外部の圧力を利用して仕組みを壊すことで得られるものは限られ、ましてや伝統競技であるなら、負の面しかない。その価値は、何十年、何百年と積み上げてきた歴史にあり、それを外部の人間に破壊させたなら、その根底を取り戻すことができなくなるから。安易に世間と言われる声に屈せず、何を守るべきかを信念をもって貫き通し、それをするべき責任者が命がけで取り組むのであれば、所詮は一過性で過ぎる批判などに負けるはずはないと思うのだけど。そうした人間が、相撲に限らず、政治や社会そのものから失われていっていることこそが、今の日本の問題かもしれないとも思いつつ。

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