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二十歳の旅人に

何かと話題に上った、今年の成人式。これまでマスコミで扱われるのは、荒れる式典の状況一辺倒だったのに、「はれのひ」問題を機に、いかに新成人にとって、成人式が重要なイベントなのかということがクローズアップされ、それはそれで、一般の人々にとって、今の若い人たちの感覚を知るいい機会になったのではないかと思う。

とかく、物事の一面に過ぎない些細な出来事を切り取り、誇張し、いわゆるニュース性のある内容に仕立て上げ、各局が同じ内容を繰り返し報道するものだから、その大局を知る者から見ればいかに報道が真実を捻じ曲げ、編集という名のねつ造を繰り広げているかとマスコミへの不信を募らせ、その情報を持たない者から見れば、いかに現在の社会が問題を抱えているかと印象操作の織り込まれた虚位ニュースを信じ、社会や政治への不信につなげているのが現状。

そうした中、アクシデント的な事件が起きることで、情報の受け手がこれまでのマスコミ報道に何かしらの違和感を覚えることは、この先の小さな変化につながるきっかけの一つになるのではと期待したくなる。


世の中の大半を構成するのは、真っ当に勉学に励み、社会の一員として働き、給与を稼ぎ、家族を養い、欲しいものを購入し、ときに旅行にも出かけ、そうした人生を楽しむ、いわゆる普通の人々。だからこそ、真面目に働き、地域社会の構成員として地域・国家に貢献する、そうした人たちを中心に置いた政治・行政がまずは行われるべきで、そうした施策の基本は、家族とともに豊かな暮らしが可能な十分な所得と時間が得られる中間所得層を育て、その厚みをできるだけ大きくすることを目指すべき。そして、それを基本とした上で、そこで生まれる余力を、社会保障等において、最低限の生活を保証する原資として活用するのが、本来のあるべき姿だろう。

そうした、これからの社会の中核を担うべき人たちの門出において、脚光を浴びるべきはをこれからの社会の一翼を担う普通の人々であり、そうした人たちの(少し肩に力の入った)将来への抱負を聞き、既に社会を構成する人たち、既に社会を卒業しようとする人たちに日本の未来への安心、期待を抱かせる、そうした儀式としてあるべきではないかと思う。

そうした意味で、成人式を晴れの舞台として、素直に成人式に出たいと思っている、そういう普通の人たちが脚光を浴びたことで、新成人にとっては、今でも社会に出る一つのけじめの儀式として意義のあるものなのだと、単なる若者がはしゃぐための同窓会の機会を作るために、行政が市民の税金を無駄使いしているというこれまでの批判も少しは和らぐのではと思うところ。


思えば20年前の成人式、大学2年度の単位取得の最難関と目された刑法の後期試験を2日後に控え、早々に成人式の出席をやめることを決断、駅前マックで試験勉強に集中する一日を過ごす。そもそも、実質的に社会の一員になることを示す元服などの儀式と違い、現代社会により作られた形式的な行政主催のイベントにさして興味がなく、同窓会も行けば行ったでおもしろかっただろうけど優先順位は低く、それよりも目の前の壁に全力を尽くすことを優先した当時の判断は、自分らしいなとこの時期が来ると振り返ったりする。

男性と女性でその捉え方も違うのだろうし、昨今のSNS活況の裏にあると言われる他人に認められたいという承認欲求や自己顕示欲を強く持つ若者たちが増えていると言われる状況などを踏まえると、今回の騒動もまた違った見方ができると思っていたりするのだけど。

山口ならば、「ふが悪い(運が悪い)」の一言で済まされてしまいそうだけど、まあ、様々な要因が複雑に絡み合い自分の思い通りにいかないことが社会には多くあり、そうした経験を積むことで、同じような場面に出くわしても、事前に察知し、知恵を絞り、自ら行動し、周りの人も動かし、そうしたことを避け、さらにいい結果を出せるようになってくるものだから、今回は、いい流れにない中で起こった仕方のないことだと受け入れることも、これからの流れを良くするための一つの方法だと思ったりする。そう、人生後十年もすれば、この騒動を振り返ったときに、単に社会の、一業者の責任だけではなく、自分に足りなかったこと、どういう選択肢があったのかということ、どういう行動がとりえたのかということ、今の悔しさもいい思い出として懐かしさに置き換わり、そうした成長も感じられることだろうから。


・・・・・・・・・・・
さて、本題。成人の日に日経新聞に掲載されたサントリー広告が印象的で、最後に伊集院静の名前を見て納得。そうそう、最近読んだ彼の本「悩むなら、旅に出よ」と同じ感性で心に響いてきたものだから。

「独りで、旅に出なさい」

二十歳、成人おめでとう。
今日から大人と呼ばれても、ピントは来ないだろう。私もそうだった。
今、君は自分がどんな大人になるのか想像もつかないだろう。
どうしたら君の、自分なりの大人の姿が見えるだろうか。
そのためには、いろんなものを自分の目で見て、さまざまな人と出逢うことだ。
私の提案は、旅だ。それも若い時に、独りで旅に出ることだ。
日本でも、海外でもかまわない。一番安いチケットを買いなさい。金がなければ、
君の足で歩き出せ。自分の足で見知らぬ土地を歩き、自分の目で、手で、肌で
世界に触れることだ。
どんな人がどんなふうに生きているかを見ることだ
インターネット、テレビ、新聞、書物で知る世界とはまったく違う世界だ。
世界は君が考えているより広く、大きく、豊かで、また切なく、貧しくもある。
独り旅はまず、自分がまだ何者でもないことを教えてくれる。
自分の力で歩くことが、人生の、生きる基本ということを学ぶだろう。
若い時になぜ旅が必要か? それは若い新鮮な目にしか見えないものが、今の
純粋なこころでしか獲得できないものが、間違いなくあるからだ。
旅に疲れたら、夕空を、星を仰いで一杯やればいい。
苦くて、美味い、旅の酒の味は、生涯の宝になるはずだ。
二十歳の旅人に、乾杯。

伊集院静  (サントリースピリッツ株式会社)


・・・・
振り返れば、20歳となり、成人式を出ずに臨んだ後期試験を終え、長野オリンピックが開幕を迎える2月上旬、初めての海外、タイ・バンコクを目指し、パキスタン航空の往復チケットだけを手に日本を発った、独り旅。

そこで得たものは、旅行記でも記したとおり。バンコク到着翌日に街中に向かって道を歩く途中での地元の大学生と出会い、そのまま大学についていき始まった2週間の学生寮での生活、マレー鉄道に乗りたいとシンガポール、マレーシアと縦断した列車の旅、少々危険な目にも、体調面の限界も感じながら灼熱の東南アジアで過ごした45日間。

様々な人に出会い、なにより人の温かさ、親切に出会い、20年間作り上げてきた自分という存在の小ささ、日本と関係なく世界が回っている現実を肌で感じ、その経験一つ一つを心に刻んだ、自分の原点。駆られたように出かけた、20歳というタイミングの凄さ、もっとも感性が鋭く、感受性も豊かで、それでいて社会に交わるのに必要な落ち着きと、視野の広さを持ち始めた時分。日本人の集まりを避け、現地の人たちとの接触を楽しんだ、今にも増してとんがっていたあの頃の自分が好きでもある。

20歳前後の学生時代を振り返ると、本を読むことで、著者と比べた自分の知識や能力の足らなさを感じ、学生社会の環境に甘えない、自分の能力を伸ばす努力や挑戦につなげることができ、旅をすることで、日本に関係なく(日本のことなど誰も気にせず)、世界は動いている(世界の人たちは日々生活している)という当たり前のことを気付かされ、世界の大きさと、自分の存在する社会の小ささ、自分の周りで起きること、日本の社会で起きることさえ所詮は大きな世界に何の影響も与えないちっぽけなことだという現実を全身で感じることで、より広い視野を、より柔軟な思考を身に着けることができたもの。

それは同じ独り旅でも、22歳のタイとも、26歳のタイとも、27歳のニューヨークとも、29歳のトルコとも違う、やはり、20歳のむき出しの感性だからこそ感じ、出会えた旅なのだと思う。

多分、それを経験しているかしていないかでは、自分の根底にある価値観の厚みに違いを生むだろうと思うから、この伊集院静の言葉は素直に響き、もし、二十歳の若者がこれを見ているなら、思い切って、独りでの海外を目指してみてほしいと思う。そこにはドラマのような出会いはないかもしれないけど、SNSやテレビのない中で過ごす、ひとりもの思いにふけ、より鋭くなった頭でいろいろなことを考える時間が、知らないうちに自分に厚みをもたらしてくれるはずだから。

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